The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

The Birth of Catholic Zen 2

2014-12-10 05:38:58 | 世界経済

 このテーマの副題は、      
 " On the Significance of Catholic Zen's Existence in Modern Society,"
「現代社会における カトリック禅の存在意義について」

 significanceは
  1、意義・意味 - meaning
  2、重要性 importanceより堅い語

 I think that Catholic Zen is a courageous and valuable experiment , the practitioners will transcend the limitation of modern materialistic civilization . They were looking for the tranquility of God that would heal and liberate them from dark doubts and trouble of purgatory .
 カトリック禅は、勇気と価値のある試みであり、この運動の参加者たちは、現代の物質文明の限界を越えようとして、こぞってこの道場に集い、こころの内の、暗黒の懐疑と煉獄の葛藤を癒(いや)し解放してくれる神の静寂を求めていた、と思う。


 カトリック禅の運動の意義を記しておきたい、以下に展開する内容とエピソードは、すべて、私の体験によるもので、今でもあるにはあるが、かつて、カトリック禅の運動は活発で、世界中から多くの人々が集結し、各自の内的世界を探求した、メンバーは相当に優秀で、通常の宗教グループとは格がちがっていた、だが、ちょっと品が良すぎたかもしれない、こういう運動は、ある時期に、しっかりと根を張っておく必要がある、愛宮神父亡き後、歳月の経過とともに立ち消えてしまいそうだ。

 当初から参加し、実に多くの収穫があった、特に、この道場には14畳ほどの図書室があり珠玉の名著・古典が山積、そこで、数年に渡り、ただただ読書に没頭する、それから、ちょっとはマシになったのかもしれない、また、こういった運動を展開できたのは、この国のふところの深さ、そう、祭政文化の賜物(たまもの)だと思う。

 この運動について、宗教人類学の古野清人先生は、
 「カトリックは そうやって 相手の長所と特質を取り入れ自分の武器にして成長してきた」
 「この運動もそのひとつと考えるべきであり この世界は君が考えているようなロマンチックなものではない」
 「その神父は そうとうな食わせ者だ カトリック教団の歴史・特にイエズス会の発展は 謀略と詐術に満ちており 近代・現代の暗黒史にリンクしている イエズス会には そういう大審問官みたいな怪物が出て来るもんだ 君も用心したほうがいい」
            
 これに対してユング心理学の秋山さと子は、
 「それでもいいんじゃあないの」
 「・・・」
 「この国の仏教界が どんなものかは あなたも知っているでしょう」
 「どうにも救われない情けない状態になっている あの連中よりも 有名私立中学のぼうやのほうが上ね」
 「あまやかされて育って 気力・体力そしてアタマがヒンジャク ニンゲンの顔をしているのがフシギなくらいなのよ」
 「・・・」
 「なにしろ 仏教学部の入学試験にパスできない それどころか夜学も落ちたんだって ゲタをはかせてタケウマにのせて それでもダメ ABCも読めない子もいるんじゃあないのかしら」
 秋山ブシがさく裂だ、
 「だったら この良き伝統を受け継いでくれるのは ダイカンゲイ(大歓迎)ね」

 秋山さんと古野さん、どちらの意見が正しかったのか、思えば、なんて楽しい先輩だったんだろう、火花を散らすような丁々発止の会話が成立している。