The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

The Birth of Catholic Zen 7

2014-12-22 04:59:25 | 世界経済
       
 直近のロシア情勢はヨーロッパ側がしかけたもので、この機会に、一気にロシアをつぶす、世界のルールに従わない、それは西側のル-ルなのだが、ロシアをつぶして広大な地域をヨーロッパのマーケットにする、あるいはそんなプロジェクトの一環ではなかろうか。

 ソビエトと共産中国、どっちを残そうか、ソビエトの解体、ところが、その後身のロシアがボーチョーを始める、
 「こまったもんだ」
 「いいチャンスかもしれませんよ」
 ロシアの経済は原油輸出で支えられている、サウジに頼んで原油の減産を待ってもらう、
 「うめあわせはするからね」
 サウジとしては、ロシアの原油を叩き落とし、アメリカのシェールガス開発をストップさせられる、だが、風雲児のプーチン、そっちがそうなら、2年間持ちこたえよう、原油の価格が低いままなら、サウジをはじめ中東の産油国はどうなるか、ヨーロッパの金融資本家はどうなるのか・・・
             
 Enomiya came to Japan in 1929 and served successively in posts induring a profession at Sophia University ,the chairman of the Japan Society of Jesus , and professor at Hiroshima Elizabeth School of Music .
In 1945 he was caught in the atomic bombing at Hiroshima and sufferd serious injurries , but mirraculously servived.
 愛宮神父は1921年に来日し、上智大学教授・日本イエズス会上長・広島エリザベト音楽大学教授等を歴任し、1945年、広島で、原爆に被爆し重傷を負うが奇蹟的に助かる。     

         K神父の見性      
 神冥窟の接心を主催するもう一人の神父がKだが、こちらは、臨済宗の師家の認可をゲットしていた、
 「カトリックの神父で 初めての見性です」
 それでは、愛宮神父はどうだったのか、原田租岳の後継者・原田雪水の元で参禅していたが、どうなったのか、ある事情通は、
 「愛宮神父は やさしすぎるんですよ」

 曹洞宗なら問題は無いのだが臨済宗のシステムを受け継いだ原田系統は、そこんところがややこしい、
 「いい意味での ハッタリが必要なのかもね」

 臨済宗では、悟りを重視する、だが、本来が空(くう)の現象世界に、悟りなどという固定点なぞあるはずもない、空も空・空亦復空(くうやくぶくう)、それもまた・・・だから、臨済宗では、なんとか見性しても、次々に考案を与える、これを見た曹洞宗の僧侶は、
 「まるで 梯子)はしご)みたいだな」

 こちらは悟りの生活をおくっていくんだ「只管打坐(しかんたざ)」、出発もなければ目標もない、おまけにキンチョー感もない、だから、いつまでたっても、
 「初心者の禅」
 どっちもどっちなのだが、このK神父は、愛宮神父側の参禅者からは、なんだか、とっても、嫌われていたんだ、これヒミツね。

 
 さて、ワタクシ、思い切って、アメリカの西海岸に飛ぶ、旅費はゼーンブ ジバラ(自腹)、それで貯金はゼロになった、ロスアンジェルスのZen Centerを訪問すると、ユダヤ人の数学者を紹介された、でっかいアタマで前頭葉がワンワン、フクシマ原発みたいになにかが出ている、だが、
 「大賢は 大愚のごとし」
 その反対、これでは一流にはなれないだろう。
          
 サンフランシスコのゼンターの坐禅会に出席、5時半、ギイーっと鉄のドアが開き、ヴェトナム人・ヒスパニック・黒人さらにアングロサクソンの連中、数十人でスタート、5分10分15分、その時、禅堂の空気がちょっと違うのに気がついた、なにかがうごめいている、潜在意識がヒソヒソか、キングコブラがとぐろを巻き、コウモリがひらひら、ヒポポタマスがおしりをプルプル、ゾウがパオーン・パオーン、魑魅魍魎が跳梁跋扈、これは、なんだ。

 帰国して老師に独参、
 「ちょっと おかしいんですよ」
 「どう おかしい」
 「静けさの波長が ちがうんです」
 「う~む」
 天下の禅者・最後の禅者
 「師家(しけ)は だれか」
 「リチャード・ベーカー」
 「それだな」

 師家の心境が堂内をおおう、師家の潜在意識がそこをocupyする、分かっているようで分かっていない、それが西洋人の限界かもしれない、ちょっとほほえみ、
 「目の青いうちは ダメだな」

 老師は元気だった、中庭に赤い花が咲いていた。