The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

The Birth of Catholic Zen 3

2014-12-12 03:48:35 | 世界経済
     
 It has been nearly half century since catholic adopted zazen as a method of meditation and built the Catholic Zen meditation hall "Akikawa Sinmeikutu" and it would seem that among a few people the everyday practice of faith using zazen has begun to take root.

 「カトリックの人々が瞑想方法のひとつとして坐禅を採用し、カトリックの坐禅道場・秋川神冥窟を建立してから半世紀ほどが経過するが、一部の人々の間に、坐禅による信仰の実践が根付いているように思われる」

    West neets East
 この運動は、一時は、大変な盛況、西洋のキリスト教と東洋の仏教の出会いか、いや、キリスト教の世界支配の一環か、事情通は、
 「しかたがないかもしれないね」
 それは、今のニッポンの仏教界の実情を知っているからで、
 「どうしようもないんですよ」
 ニッポンの既成仏教教団のどの宗派にも、この情報社会の現実を直視し、そして、それを乗り越えようとする勇気・能力がない、いや、その問題意識すらない、あるのは、無気力と無自覚とカネ目当ての生活であり、それに満足するマンネリズム、どうにもこうにも手の打ちようがない。

 大学院で親切にしてくれたのは小さな寺院の学生、なにやかやと面倒をみてくれる、品がいい若者であった、そして、ちょっとさびしげ、彼の父親は僧侶なのだが、
 「お布施を受け取ろうとしないんです」
 「・・・」
 「母親が泣いて頼んでいました
   子供が三人 文房具を買わなければなりません 本代も必要です
   わたしたち三人 食べていかなければいけません 生活費がいります
   どうぞどうぞ 受け取ってください 取ってください
   お願いです お願いです お願いいたします     」

 貧しい檀家だったんだろう、道元禅は、そこに花開いていた、
 「ぼくは 東京に残って 勉強をつづけたいんですが・・・」

 だが、教団で羽振りのいいのは、大寺(おおでら)の跡継ぎで、あのゴーマンでオーヘイな二枚舌の大学助手たちだ、なんだか民主党の前のソーリに似ていた。

 たった一人の友人は、求道の道を行く貧しい寺の出身で、いつもちょっとはにかんでいた、だが、いつの間にか大学院に来なくなっていた、
 「いいひとから いなくなるんだな」

 だから、私には、Nippon の仏教教団を、少し、憎む気持ちがある。