
大戦後の満州では、発疹チフスやコレラが流行して多くの人々が亡くなり、死体の山ができた、この時、満州医科大学の学生やスタッフが、大活躍をする、それを、満州の中国人が見ていた。
彼らは、両親が亡くなった日本人の子供を引き取って、自分の子供として養う、ある家庭では、この日本の孤児を、6人の自分の子供の長男として養育した。
1981年、2557名の残留孤児が、帰国したが、このうち、261名が中国にもどる、老いた養父母と一緒の生活を選んだのだ、
「恩に 報いる」
なんというエピソードであろうか、だから、今の習近平体制が終ったら、
「新しい動きが 起きるかもしれない」