自民党が300議席を越える予想、それどころか衆院475の3分の2の317に手がかかっているとか、これは、参院で否決されても単独で可決できる、これといった経済政策を提出できない野党よりも、自民党ということなのか。
だが、そろそろ「質の政治」を考えて欲しいものだ、これは経済界もおなじことで、なぜ、この国のエッセンスを学ぼうとしないのか、アップルのS,ジョブズは道元禅に傾倒し出家を懇願、日本の禅僧は、
「ビジネスの世界でもspiritualな仕事はできる」
シンプルで簡潔なデザインと機能は、清らかな少年が坐禅をしている姿だ。
さて、年の終わりに、かつてニッポンで展開したカトリック禅のありさまを、世界に向けて、報告してみようか、
This work is one chapter of it that is " The Best Civilization is Saisei System of Japan", and that system is to set and worship the existence over human being, I do believe it would be able to transcend modern civilization .
In those days, at Sinmeikutu of Catholic Meditation Hall, a crowd of people gathered and practiced zazen there .
They came from German,Italy,France,Philippine,South Korea and Japan. One catholic said to me."Three days of zazen had more effect than eight days of Catholic meditation, it certainly had penetrating effect on me, I was deeply moved,"
How many people have perceived the sickness of our era, lived that era without trying to evade it, and made serious effort to transcend it ?
During his twilight years.Father Enomiya was in a towering state at mind, one day I asked it to him.
"Is it Buddhism or Catholic ? "
He answerd it with smiling,
"Buddhism or Christianity - either one is all right."
Father Enomiya's love might open for us the one way to save humanity.
この作品は「世界文明の正統は日本の祭政である」の一章であり、祭政とは、人間以上の存在を設定して信仰することで、私は、現代文明を超越できると思っている。
当時、多くの人々が、カトリックの瞑想道場の秋川神冥窟に集結した、彼らは、ドイツ・イタリア・フランス・フィリピン・韓国そして日本からやって来た、あるカトリック信者は、
「3日間の坐禅は 8日間のカトリックの瞑想よりも効果がありました 私のこころを貫き深い感動を引き起こしてくれました」
一体、どれだけの人々が、現代の病弊(びょうへい・病気)を認識し、避けずにそこに生き、それを越えようと努力してきたか、晩年の愛宮神父は突き抜けた心境に達していた、私が、
「ここは 仏教ですか それとも キリスト教なのですか」
すると、
「どちらでも どちらでも いいのですよ」
神父の愛は、人類を救う一筋の道を開いてくれたのかもしれない。
ところで、カトリック禅と私の個人的な接点は、建設政務次官の秘書の時代にまでさかのぼる、その際、次官に会う大臣に会う、官僚出身の大臣はテクノクラートでセンが細く、NIPPON という高度で複雑な法治社会を運転していくには、20年30年の学習と訓練が必要であり、だから、安心して行政を任せられるのは、やはり、官僚出身ということになる、ある日、激甚災害の認定をする審議官に会った、なかなかの人物だったのだが、いつの間にか官庁組織のランクでヒトを判断するようになっている自分を発見した、あの世界では、しかたがないことかもしれない。
思い切って仏教系の大学院に行く、若かった私は、さほど気にはしなかったが、やはり、ここは世間が見るような世界であり、
「おまえなあー ブッキョーやりたかったら 学部から入ってこなけりゃあー ダメなんだよー ダメダメのダーメ」
教団の出世コースに乗ったエリート、これっぽっちの宗教センスもない、三流商社の営業部長といったところ、困ったもんだ、我が世の春を謳歌していた、彼のハラは、
「目さわり なんだよなあー」
Gentleman ではないね、そして、坐禅する場がない、最初は歓迎しているようだったが、だんだんとイヤな空気になる、
「仏教教団もまた ちいさなちいさなニッポンのムラ社会だったんだなあー」
そんな時、ユング心理学の秋山さと子さんが、
「いいところがあるわよ」
それが、カトリックの坐禅道場・秋川神冥窟、ある接心には50名ほど、そのうちの2~3割が外国人、スペインのシスターは夕暮れになると悲しそうだった、神父は、
「坐りなさい 坐りなさい」
「坐れば忘れられます 坐れば超えられます」
ガラス窓にふたつの黒い影、愛宮尊父は、
「インドの核心はヨーガで ニッポンの本質はZENです」
" What a beautiful misunderstanding it was ! "
「なんと うつくしい間違いだったのであろう」