日暮らし通信


その日暮らしの生活でも、感謝しています

日頃、見た事・聞いた事・感じた事・そして言いたい事などを発信します

ディサービス事業所廃止

2024年03月17日 09時22分30秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






先月末、ケアマネさんから 「まさか?」 と、思いがけないことを聞いた。

それは永年妻が利用しているDS (ディサービス) 事業所が三月一杯で廃止するとのことで 「寝耳に水」 の情報だった。この事業所は介護業界大手の経営だからそのようなことは考えたこともなかった。

だがその事業所からは利用者に対して廃止情報が来ないのが不思議だったが、12日にやっと 「事業所廃止について」 の書面が届いた。

それによると廃止の理由は 「職員採用の悪化および建物設備の老朽化による閉鎖」 だと記されていた。

現在、社会的にも 「人手不足」 が問題化されているが、介護関連施設でも人員の確保が難しいようで、その余波が我が家にも及んだのだろうか?

妻はこの事業所で永年DSを利用したが、先日、施設長さんの話しだと、妻は記録的に永い期間の利用者とのことだった。

だがこの事業所廃止に対して文句を言う筋合いはないが、今後のことを考えて、至急他の事業所を探すことになった。

市内にはたくさんの事業所があるが、ケアマネさんが幾つかの事業所のカタログを用意してくれた。

私は自宅から極く近くにある事業所を選択、11日、妻と嫁さん同道で体験入所して雰囲気や設備、DS内容などを見学しながら相談員から説明を受けた。

しかし、私はこのように実際のDSの現実を見るのは始めてなので、珍しいことばかりだったが、4月からはここで妻がお世話になることを決めた。

13日にはその事業所の相談員、ケアマネさんが来宅、利用に際しての情報交換などを行なったが、利用に際してはいろいろな契約書などもあるので、20日に再度、話し合うことになっている。

何とか妻はDSを受けられるようで安堵したが、この 「人手不足」 が今後の介護業界に影響することは無いのだろうか? と、心配度が増してしまった。

いつも散歩の時に遠くから見ていたこの施設 (写真) だが、まさか妻がお世話になるとは? 人生、全く不可解だと思った。











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      写真説明:  4月から妻はこの施設でお世話になります

      撮影場所:  空堀川沿いの左岸にて  (2024.3.14)







春を誘う沈丁花

2024年02月25日 16時40分21秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






既に立春は過ぎたのに、陽気はまた冬に戻ったように寒くなってしまった。この投稿文を作る前の14時過ぎ表に出たら、小雨、外気温は6度、冬並みの冷気に身震いした。

でも春はもうそこで待機しているだろうが、先日、午前8時半過ぎ、妻がDSへ行く車を見送ってから独りで家を出た。

散歩途中、ある民家の庭先で 「沈丁花 (ジンチョウゲ)」 を見つけた。まだ蕾だが、咲く日も近い活き活きとした姿だった。

そうか、もう沈丁花が咲く季節か? と、独りで頷いた。

咲けばあの独特な匂いで人を誘うのだが、まだ蕾だからその匂いを一生懸命凝縮して開花に備えていることだろう。

 「沈丁花」 という名前は、香木の沈香 (じんこう) のような良い匂いがあり、丁子 (ちょうじ、クローブ) のような花をつける木、という意味でつけられたそうだが、2月23日の誕生花でもある。
花言葉は 「栄光」 「不死」 「不滅」 「歓楽」 「永遠」 とか。街中にこの花の匂いが溢れるともう春の気配も本物になる。

歩きながら落葉して身軽になっていた雑木の枝々 (えだえだ) に小さな新芽が無数に芽吹いているのを見た。もう春に備えての準備は怠りがないようだ。

だが週間天気予報を見ると、まだ一桁の気温の日もある。 「春よ来い」 と、暖かい日差しが欲しくなりました。







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      写真説明:  沈丁花

      撮影場所:  ある民家の庭先にて  (2024.2.20)







日曜日の夕食を楽しむ

2024年02月25日 15時23分57秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ







既に立春は過ぎたが、また冬に戻って寒い日が続き、今日は朝から雨が降っている。でも何となく春の気配を感じるようになった。

長男夫婦と同居してからもうすぐ七年となるが、それ以前は妻との二人暮らしだった。

この同居で私の生活環境にも大きな変化があったが、一番有り難いのは食に関することが全て嫁さん (長男の妻) 任せになったこと。料理も出来ない私だから妻に三度の食事を用意するのは大変な重荷だった。

でも私たちのメインの楽しみと言えば、食べるか? 寝るか? くらいだから、せめて食べたい物を用意してくれることを願ったが、それは全て叶うものでもない。

かつては何かお祝い事があると必ず外食していたが、今はそれも控えている。

妻に 「何が食べたいか?」 と、聞くと、一にお寿司、二にピザ、三に牛丼だと言う。

ある時、それに答えて日曜日の夕食を妻の好きな食べ物にすることを嫁さんに提案した。

それは

  第一日曜日は 「お寿司の日」 ○
  第二日曜日は 「牛丼の日」  ☆
  第三日曜日は 「ピザの日」  ○
  第四日曜日は 「牛丼の日」  ☆
  第五日曜日は  相談して決める  ☆

   (○は長男払い、☆は私払い)

とする。そんな提案だった。

嫁さんからは同意が取れないと思ったが意外にも 「そうしましょう」 と言われてホッとした。

オーダーするのは嫁さんだが、お寿司とピザは宅配、牛丼は長男がお店へ行きテイクアウトしてくる。

でも幸いなことに妻も私も好き嫌いがないから何でも食べる。嫁さんが造った料理はいつも完食、高齢者として食べられる事は有り難いことだといつも思っている。

そんな経緯でその後はこの提案通りに妻も私も日曜日の夕食を楽しんでいる。









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      写真説明:  ロベリア

      撮影場所:  ある園芸農家の温室にて  (2013.2.7







もりおか冷麺

2023年09月23日 17時26分44秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






先日、東北に住む妻の女性知人であるTさんから宅急便で段ボールが届いた。
妻宛だが、残念ながら妻は健常者の行為は出来ないので私が開梱した。

 「あっ、冷麺だ」 と、名物の冷麺 (写真 ①) がたくさんあるのを見て私はニコッとした。

中には簡単な挨拶と 「暑い時に冷麺を食べてください」 との付箋があった。
妻にも説明したが、何とか理解できたようだ。

さて食べたいがどうしようか?
我が家の食担当者は嫁さんだが 「冷麺貰ったから食べよう」 と、言ったが、嫁さんは何日分かの献立がすでに作成済みだから、その後になるらしい。

やっと今日昼食でその冷麺 (写真 ②) を食べた。
嫁さんが考えて幾つかの具材が添えてあったが、ちょっと麺の歯応えが違う。

昨日、冷麺のことをネットで調べたが 「盛岡冷麺は、盛岡の麺職人・青木輝人氏が昭和 29 年に 「食道園」 を開店した際に、朝鮮半島に伝わる咸興冷麺と平壌冷麺を融合させ、創作したのが始まりです」 とのことだったが 「盛岡冷麺の麺は、コシが強く、表面はツルッと喉ごしが良いのが特徴です」 との食感が書いてあった。

その特徴の通りの食感だった
普通の麺とは違うので、最初は戸惑いもあったが、食べている間に喉ごしが良くなって美味しい冷麺の食が進んだ。
嫁さんが選んだ具材も冷麺の味を引き立てていた。

妻はどうだろうか? と、気になった。
要介護の妻は感じる事を自己表示できないので判らないが、いつもと同じように箸を動かしているので、私と同じような食感を感じているのだろうと、私は勝手に判断した。

妻に 「美味しかった?」 と、聞いたら、こっくりと頷いたので冷麺の味を感じたのだろう。

Tさんが薦める通り、暑いときにこの冷麺が適食だとに思った。

届いた後に妻に代って私がTさんに電話してお礼を述べたが、その気遣いに妻も感謝しているはずです。

これからも冷麺を食べるのが楽しみになりました。







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「もりおか冷麺」




嫁さんが調理した 「もりおか冷麺」



      写真説明:  もりおか冷麺

      撮影場所:  自宅DKにて  (2023.9.23)









認知機能検査

2023年08月03日 15時28分51秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






7月末のある日、 「警視庁府中運転免許試験場」 に行き運転免許更新に必要な 「認知機能検査」 を受検した。

今は高齢者による事故多発で 「高齢者いじめ」 とも言えるように75歳以上の高齢者は運転免許証更新時には 「認知機能検査」 を受けてその認知性を検査することが義務化されている。

でも何故75歳以上の人がこの検査を受けなければならないのか? の疑問があるがその理由は下記の通りらしい。

75歳~79歳の運転者の死亡事故件数が74歳以下の約2.4倍であるなど、75歳以上の年齢層にかかわる事故情勢がきわめて厳しいものであり、また認知症の有病率は加齢とともに増加しているのが理由です。

上記のようなデータを見ると納得せざるを得ないが、でも 「法の下では誰でも平等」 の理念からするといささか高齢者に対する差別のようだと私は不満だ。

私は今回を含めて認知機能検査を受検したのは三回目だが、毎回検査概要が異なるのはどうしてだろうか?

一回目は近くの民間の自動車運転教習所での受検だったが、二回目以降は警視庁の運転免許試験場となった。

それと二回目までの検査項目は

   ① 時間の見当識
   ② 手がかり再生
   ③ 時計描画

だったが、今回 ③ は何故か項目から除外されていた。その理由はわからない。

この項目の中ではやはり面倒なのは 「② 手がかり再生」 だ。
16個のイラストが順次スクリーンボードに投影され、受験者はそれを記憶する。

数分後にはその記憶を便りにイラスト名を記入する。
これはかなりの記憶力が試されるが、私は満点欲しさに16個のイラスト名を全て記入した。

私は二回目の検査では満点だったので、今回も満点を取るようにと思いながら検査に望んだが、今回からは何点取れたのかは知らされず 「認知症のおそれがある基準には該当しませんでした」 と記載された通知書を受け取った。

これは基準点が76点以上の人には同じ内容の通知書 (第三分類) らしいが、私が望んだ満点は幻になってしまった。

これで 「認知機能検査」 はクリアされたが、第三分類の人は更に自動車教習所などで 「高齢者講習 (合理化)」 を二時間受講することが義務化されている。
その講習をクリアすると免許証更新が可能となる順序だ。

でもこのように 「認知機能検査」 が実施されるようになってからは事故率の変化はあったのだろうか? と、私は高齢者いじめが厳しくなる制度に疑問を持っている。

この検査の受検料は1,050円、その後、教習所での講習を予約したが、その受講料は8,000円とのことでした。

検査は終ったが、しかし、このような短時間で、そして二項目だけの検査内容で、人間の認知度を判定できるのか? と、少し異議感が残った。

私は車に乗ることは少ないが、介護者としては車は必要な交通用具だから許される限り免許証は更新するつもりだ。
それとこの検査を受けるだけでも自分の認知度を確かめる機会だと思っているからだ。

車は便利な用具だが、使い方を誤ると簡単に凶器となる。それを防ぐには安全運転する心構えを失わずに操作するしかない。

8月中旬に高齢者講習を受け、11月中旬には警察署で免許証更新と、まだまだ先が永いが、この認知症検査クリアで更新への道が開けてきた。

因みに私が運転免許証を取得したのは昭和 36 年 5 月、免許証を持っている人は珍しい時代だった。

職場の先輩から 「これからは車社会になるから、早めに免許証を取りなさい」 と、アドバイスされた。それが現実になろうとは正直思いもしなかった。

その後、車運転で無事故無違反で今に至っているのは有り難いことでもある。
とは言ってもそれが永久に続く保証は何もない。車を運転する時は、とにかく神経を集中して安全運転に徹するしかない。







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警視庁府中運転免許試験場



      写真説明:  試験場庁舎

      撮影場所:  近くの歩道橋上にて  (2023.7.27)







ハナキササゲ

2023年06月17日 10時15分56秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ







北山公園菖蒲苑に入ると左手に花満載の大樹があった。

今までに見たこともない花模様だが、その由来を記した看板があった。さらにネットなどで調べて見ると次ぎのような歴史のある木だった。

その名は 「ハナキササゲ」 だが、ノウゼンカズラ科で、学名は 「カタルパスペシオサ (北米産)」 とのこと。

明治・大正年間に 「黄金樹」 の名で大量に輸入されたが、現存する木はきわめて少なく、文京区白山・小石川植物園に数本確認されている。

その由来だが、この木は市内栄町の府中街道と江戸街道が交差する所、通称 「九道の辻」 の野火止用水際に自生していた樹齢110年以上の大木の一部だったそうだ。

府中街道の道路拡張工事でこの木の伐採が予想された事から市民が中心になり、東京都建設局・北多摩北部建設事務所に移植をお願いしたが、その結果、2001年3月にこの地に移植され、現在に至っているそうです。

お花の見頃は、5月下旬から6月上旬なので、大樹に興味のある方はぜひ一度ご覧になってください。








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      写真説明:  ハナキササゲ

      撮影場所:  北山公園菖蒲苑内  (2023.5.30)







飛行機を撮る

2023年03月08日 14時32分43秒 | 日暮らし通信


発信元:  赤とんぼ






若い頃から飛行機を撮るのが趣味だと思いながら親しんできた。

いろいろな場所で撮ったが、私が会社を退職するまで、多く撮ったのが米軍横田基地だった。

私は 1966 年 4 月に転勤辞令を受けた勤務先がその横田基地に隣接する工場だった。

フェンス越しに見える広大な敷地は治外法権のアメリカ、と思いながらも写真を撮るには格好の場所だった。

だが、問題が。それは当時は基地内は撮影禁止だった。そのため周辺上空を飛行する機体を撮って我慢していたが、その後、撮影が許可されるようになった。

1960 年代はベトナム戦争がまだ続いていたので、横田基地には珍しい飛行機が飛んでくるので飛行機好きな私にとっては有り難いことだった。

でもその頃はフィルムカメラだったので、現像、焼き増しするとお金も掛かるので財布と相談しながら飛行機を撮る時代だった。

そして当時、フィルム感度も ASA 100 だったので、私は知人に頼んで TRI-X ASA 400 のフィルムを切り売りで買って使用していた。

今のようにデジカメなら何百枚も撮れるようなことは思いもよらぬことだった。

その 1960 年代は若さもあって、もっぱら飛行機撮りに明け暮れていた。

横田基地には尽きない想い出がたくさんある。今は家庭環境のため飛行機撮りもできないが、過去の写真を見ると懐かしさが蘇ってくる。古い写真だがこの場を借りてもう一度出番を与えてやりたいと思います。







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ランディングしたC5A輸送機、駐機場へ向かってタキシングしている




高出力のターボファンエンジン4基を搭載している




大きなフラップが印象的だ



      写真説明:  C5A輸送機

      撮影場所:  工場構内から米軍横田基地を撮る  (2001.7.3)







スーパーシートで帰りました

2023年03月01日 17時23分21秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






平成16年4月2日 (金曜日) 私たち夫婦は知覧を訪れるため羽田発ANA619便で鹿児島空港へ飛んだ。帰らなかった多くの特攻隊員たちに少しでも慰霊の気持ちを捧げたいとの想いを抱いて知覧の地をぜひ訪れたいと願ったからだ。

帰りの便はANA630便。機体はエアバスA320の予定であったがジャンボ機B747-400LR (JA8174) に変更された。当時、この機体はANAでも最新鋭機で国際線仕様である。

着席するとスーパーシート (ファーストクラス) への転席が可能とのアナウンスがあった。追加料金を払うので妻は渋ったが私は懇願、説得して転席することになった。

飛行機好きな私にとっては千載一遇のチャンスで、今後飛行機に乗ることはあってもスーパーシートを使うことなど絶対に無いと思ったからだ。ぜひ、スーパーシートに座って帰りたかった。

客室乗務員にエスコートされて二階へ。操縦席の真後ろがスーパーシートである。座席は両側に二席だけで広い洋間風の感じである。座席番号は72J、72K。CからHまでは席は無いが一般席と席番は同じのようだ。とにかく広いのでゆったりできる。 「スリッパをどうぞ」 とか 「毛布は如何ですか?」 と専属の客室乗務員が面倒を見てくれた。二人とも殿様と姫様気分のようになった。

19時15分、定刻より10分遅れて離陸した。水平飛行になると夕食も出て "お飲物は何でもどうぞ" とのことだったが、私たちはウーロン茶で我慢した。本音はビールかウイスキーのオンザロックを飲みたかったが妻からブレーキがかかったので止めた。

だが夜間飛行なので下界が見えないのは残念であった。

元来、私たちは田舎者なのでいろいろと珍しがっていると機体はもう高度を下げている。羽田に近くなると東京の夜景は綺麗だ。

だがここでまたタイムスリップして特攻隊の若者たちが出撃した頃の東京を想い出した。

米軍機の無差別爆撃で東京は火の海と化して焼け野原となってしまった。その東京がこのように煌々と夜の帷の中に息づいている。荒廃から繁栄へと時が無造作に流れたようだが決してそうでは無い。幾多の人命が散ってその礎を作った。多くの涙を流した人たちが苦難を乗り超えて立ち直った。 "統率の外道" と言われた特攻作戦で散華した若者たちへ今、再び哀悼の念を捧げずにはいられなかった。

21時過ぎANA630便ジャンボ機は静かに着陸した。これで私たちの知覧への旅も無事に終わったが、スーパーシートで帰るなんて夢にも思っていなかったので、この想い出は今でも胸の中に大切にしまってあります。







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      写真説明:  B747-400LR (JA8174) 

      撮影場所:  鹿児島空港にて  (2004.4.4)







多摩湖の堤防にて

2023年01月18日 11時28分46秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






昨日は9時前、自転車で家を出た。天候は曇り、ブルッと寒さを感じたが、今日の予定は 「多摩湖で富士山を撮る」 と、決めていたので我慢してペダルを踏んだ。

30分ほどして多摩湖の堤防に着いた。それにしても寒い。

早速、堤防上から西方を見ると、雲量多く富士山の姿が隠れて見えない。折角来たのに残念だが、富士山を撮るのは諦めてしまった。

堤防の南側から北側に歩きながら、時々立ち止まって360度を眺めながら見た景色は素晴らしい。

この人工の湖は 「多摩湖」 が名称だが、土地の者たちは 「村山貯水池」 と呼んで親しんでいた。

この多摩湖は東京都民の水瓶だが、完成するまではいろいろと歴史の波に流されたようだ。

戦時中は米軍の爆撃を想定して周囲には数カ所の砲台が作られたが、米軍は直接爆撃することは無かった。

昔、小学校では遠足でここに来るのが当たり前のようだったが、土地の者にとっては親しみのある貯水池だった。

それにしても寒い、また暖かい日に来て、富士山を撮ることにしましょう、と早々に帰ることにした。







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第一取水塔 (後方は第二取水塔)




南側から堤防西側を望む




堤防東側



      写真説明:  多摩湖の景色

      撮影場所:  多摩湖の堤防にて  (2023.1.17)







洋ランに魅せられて

2023年01月10日 13時58分04秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






私が洋ラン好きなのを知っているメル友さんが写真を送ってくれた。

今までにいろいろな植物を育ててきたが、その中でも好きだったのは洋ランだった。

転居する前は、庭の一画に小さな温室を建てて、いろいろな洋ランを80鉢ほど育てていた。

とは言っても洋ランについてはあまり知識もなかったが、蕾みを付けて、それが膨らんで、花が咲くと満足感に浸っていた。

だが私の小さな温室で苦労するのは冬期の加温だった。昼間は汗ばむほどの温室内も夜になれば室温が下がるから小さな石油カンテラを幾つか灯して加温したが、それでも温度を高くすることは難しかった。

もっと加温する方法もあったが、電気代を考えると躊躇したからほどほどの加温だった。そのため胡蝶蘭だけは温室で育てることはできなかった。

胡蝶蘭は低温では枯れなくても花を持たせるにはある程度の高い温度が必要だったから、冬期は胡蝶蘭だけは室内に持ち込んで温度管理した。

そんな想い出のある洋ランだが、送って貰った写真を見ていると、やはりその花姿に魅せられてしまう。

メル友さんの了解を得て、今日は三枚、洋ランの写真をアップしました。







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      写真説明:  メル友さんが送ってくれた洋ランです

       







屋上で撮った富士山

2023年01月07日 09時00分48秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






先日、市役所に行く用事があったが、終った後は市内で富士山が撮れる場所を探して見たが、そのような場所は見当たらなかった。

確かに撮れる場所は一カ所記憶にある、それは多摩湖 (村山貯水池) の堤防上だ。でも天候や、雲の動きなどの条件が良ければの話しだ。

そこへ行こうと思ったが、電動アシスト自転車の電池量が少ないので諦めることにした。

そこでふと思いついたのが、近くのホームセンターの屋上はどうだろうか? だった。

五階相当の屋上駐車場に行って見ると、西方にくっきりと頂上付近に雲を従えた富士山が見えたが、このような姿の富士山を見るのは久しぶりのことだった。

早速何枚も撮ったが、困ったのはそれを邪魔するような電線だった。南北に張り巡らされた電線が富士山の景観の前に立ち塞がって台無しになった。

ズームアップして撮った写真を見てもその電線がはっきりと写っているのはどうしようもない。でも美しい富士山はやはり雄大で厳かな日本一の山だった。

ところで、ネットで 「富士山噴火の周期」 についてのニュースを見たらちょっと不安になった。それによると

 「富士山は 1,707 年の宝永噴火を起こして以来、300 年以上は噴火していない。
しかし、5,600 年前から噴火した回数は 180 回以上。30 年に1度は噴火していたことになる。
このデータを踏まえると、富士山は活動休止中であってもいつ噴火してもおかしくありません」

との内容だったが、我が家から富士山までの距離は 100 キロ以内のようだから、噴火したら間違いなく降灰被害を受けることだろう。

冬の時期に見る富士山はどっしりと静かに構えているが、活火山である本性をいつか見せることだろう。







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富士山 (遠景)




噴火したらどうなるのだろうか?



      写真説明:  屋上で撮った富士山

      撮影場所:  某ホームセンター屋上にて  (2023.1.5)







この鳥は モズ?

2023年01月06日 16時39分15秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






昨日は市役所へ行くために、空堀川沿い右岸を上流に向かって自転車を走らせた。

途中、ある雑木林の小枝に小さな鳥が止まっていた。

鳥の名音痴の私だが、どうも 「モズ」 のようだ。

そこで想い出すのが 「モズのはやにえ」 だ。

モズは捕らえた獲物を木の枝等に突き刺したり、木の枝股に挟む習性をもつ。秋に初めての獲物を生け贄として奉げたという言い伝えから 「モズのはやにえ」 と言われるらしい。

一度はこの 「モズのはやにえ」 を見たいが、そのチャンスは無さそうだ。

小さな鳥だから目視ではよく判らないが、パソコンで拡大して見ると、実に愛らしい姿であることに気付く。

モズの周りで見える落葉した小枝を見ると微かに新芽が膨らんでいる。もう春先に備えて準備を始めているのだろうか?

鳥を撮る機会も少なくなったが、時にはこのようにあまり見ることができない鳥に出逢うことが楽しみでもある。







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モズを見るのは珍しいことだ



      写真説明:  モズ (百舌)

      撮影場所:  空堀川沿いにて  (2023.1.5)







今年もよろしくお願いします

2023年01月01日 10時19分51秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






    明けましておめでとうございます。

    本年もよろしくお願いします。

    皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

              令和五年元旦   赤とんぼ







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頑張れ~ 卯年の皆さん



      写真説明:  今年の干支は 卯 です

      撮影場所:  自宅DKにて  (2022.12.31)







令和四年を振り返る

2022年12月31日 10時28分37秒 | 日暮らし通信


発信元:  赤とんぼ







令和四年も今日で終り、令和五年が近くで出番を待っていることだろう。

この令和四年を振り返ると、我が家の生活安定度は要介護の妻の体調によって左右される。

妻は七月下旬に体調を崩し、その後 「感染症外来」 を受診、三時間ほどの検査で異常は無かったが、受診義務で PCR 検査を受検、医師からは 「コロナ感染は大丈夫でしょう」 と言われて安心したが、検査結果は陽性だった。

その時 「私も間違いなく感染する」 と覚悟したが、キットで検査するとやはり陽性、それからは家族四人での安静生活が始まった。

しかし、私も妻も無症状であったことは幸いだった。

同居している長男夫婦は陰性だったが、長男は勤めも休んでひたすら時が過ぎるのを望んだ十日間だった。

その後、妻は十一月中旬にはまた体調不良になり、今度は 「救急外来」 を受診、その時も特に異常はないとの診察だったが、やはり受診義務で PCR 検査を受検、結果を心配したが陰性だった。

体調を崩した原因がどうも便秘のようなので、新たに薬を処方してもらった。

それと妻はあまり水分を摂らないことが便秘の原因とも考えられるので、それからは小まめに水分を摂るようになった。

そんな対策などで今は安定しているが、冬の寒い時期だから安易に油断できないのが妻の体調だ。

それと心配なのはコロナ感染、今年は私も妻も三回接種、通算五回となった。二人とも接種後の副反応を心配したが、体温が少し上がるくらいですぐに通常の体調に戻った。

日々の生活の中での要介護ではいろいろな事が起こるが、それは当たり前の事として私が介護するしかない。

世の中には私以上に介護で苦労している人もいるだろうから 「私の人生最後の仕事が介護」  とポジティブに考えて新年を迎えることにしよう。

私の散歩コースではまだ山茶花の花が楽しめます。今日は山茶花の花をアップしました。







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      写真説明:  山茶花 満開

      撮影場所:  空堀川沿いにて  (2022.12.27)







ジェットエンジンの想い出

2022年12月27日 15時53分37秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






時折、好きな飛行機を見たいとの衝動に駆られることがある。だがかつてのように空港に張り付いて写真を撮ることは諦めている。

その気持ちを抑えるために過去に撮った写真を眺めるのが精一杯だ。今日もそんな気持ちで写真を整理していたら、懐かしい写真に出逢った。

それはかつて見学した 「所沢航空発祥記念館」 で撮った 「航空自衛隊・T1B 中等練習機」 だったが、この機体の傍 (写真中央右側の白い部分) にはその機体に搭載されている 「J3-IHI-7B ターボジェットエンジン」 も展示されていた。

もう数十年も前のことだが、このエンジンは実際に私がテストした懐かしい想い出がある。この機体もエンジンも戦後初めて国産化した由緒ある歴史を持っている。

国産化には幾多のハードルもあったが、私はこのエンジンが量産される以前から開発エンジンとしてのテストを繰り返していた時代だった。

その頃は無茶苦茶とも言える勤務態勢でエンジンテストに明け暮れる毎日だった。

今はもうターボジェットエンジンは過去のこと、今の航空機にはターボファンエンジンが搭載されている。

最初の写真が 「航空自衛隊・T1B 中等練習機」 、後の二枚が 「J3-IHI-7B ターボジェットエンジン」 です。ジェットエンジンに興味がない人でも、ちょっと見ていただくと有り難いです。







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航空自衛隊・T1B 中等練習機 と J3-7B エンジン




エンジン排気ダクト




J3-IHI-7B ターボジェットエンジン



      写真説明:  T1B 練習機 と J3-7B エンジン

      撮影場所:  所沢航空発祥記念館  (2019.1.22)