日暮らし通信


その日暮らしの生活でも、感謝しています

日頃、見た事・聞いた事・感じた事・そして言いたい事などを発信します

イギリス in 1977 (その8)

2022年09月30日 09時29分16秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






● この項のタイトル: 二番エンジン異常? ●

さて次の給油はデンマークのコペンハーゲン空港。この空港は遥か地平線まで続くように広い。

ここでは日本の老婦人から話掛けられて時を過ごした。そのご婦人は独りでもう何回もヨーロッパに行ったとその印象などを聞くことができた。

ところで気になることがあった。給油中は機外へ出てロビーで待機するのだが、ロビーからは私が乗ってきた機体が見える。

整備員が点検しているが私が良く見ていると二番エンジン (飛行機のエンジンは後視左から一番、二番と数える) にオイルを補給している。

自分の仕事柄それが何であるかがすぐ判った。

アラスカでも二番エンジンに補給していたのでこのエンジンだけがオイル消費が多いようだ。通常、異常が無ければオイルはそう減るものではない。このエンジンは何かのトラブルを持っているのに違いない。

もっともエンジンがひとつくらい止まっても飛行には差し支えないから深くは心配しませんでした。

コペンをテイクオフするともうイギリスへ直行です。北海からドーバー海峡を越えやっとヒースロー空港へ。

ランディングしてリバース (逆噴射により機体にブレーキをかける) が作動した瞬間に誰彼ともなく突然拍手が起こった。

それはそうでしょうね、16時間の長旅でしたから無事に着いた安堵感が拍手させたのでしょう。私も思い切り拍手の輪の中へ入りました。

それにしても長かった。私も終始緊張気味で機内食なんかあまり食べなかったように記憶している。それと通路側の席だったので外の景色は殆ど見ることができなかった。

入国審査が終わってやっと肩の荷が降りた。迎えに来てくれた先発出張した会社の皆さんから 「ご苦労さん」 と言われてやっと異国に来たと実感した。

いくら飛行機が好きと言ってもこのフライトだけは空の旅を楽しむなんて余裕がなかったことが不思議だった。 (この項終わり)

今日は快晴です。穏やかな日差しの中で一日が暮らせそうです。9時前の外気温は24度、暑くもなし、寒くもなしの快適な空気が漂っています。

アップした写真はまだ未熟な熱帯果物の写真です。この実は、熱帯アメリカ、東南アジアに自生するフトモモ科の植物で 「バンジロウ」 です。別名は 「グアバ」 とも言い、熱帯の国々では食用として栽培されているそうです。







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      写真説明:  熱帯果物

      撮影場所:  神代植物公園にて  (2018.1.18)







イギリス in 1977 (その7)

2022年09月29日 12時57分37秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






● この項のタイトル: 羽田から英国・ヒースロー空港へ ●

初めて海外に行くことに多大な期待と不安があったが、最も心細かったのが一人での往きの空の旅であった。

当時の国際空港は羽田、そこから英国の玄関・ヒースロー空港まで一人で行くなんて考えもしなかっただけに不安が募るばかりであった。

英語も達者でないので隣の席に外人でもいたらどうしようとか、通関はどうなるのかと考えれば考えるほど心配ばかりしていた。

予定で一緒に行く人がキャンセルされたことを聞いた時は出張を辞退しようかと思ったほどである。ええ~い、どうにもでもなれと、いささかやけっぱちな気持ちであった。


何時の便であったか忘れたがテイクオフは夜の8時頃だった。航空会社は BA (英国海外航空)  で機体は Boeing 707 であったように記憶している。

私の座席は機体左の二席ある通路側、左側に日本人が座っていたのを見て安堵した。その方は私の会社と取引のある商社マンでヒースロー空港の通関までお世話になった。

当時はシベリア上空の飛行は禁止されていたのでヨーロッパへ行く便は全てアラスカのアンカレッジを経由していた。

羽田を飛び立って初めて立ち寄ったアンカレッジで給油するため乗客は待合いロビーでしばし休息することになる。

びっくりしたのは日本語が通じることで帰りにも立ち寄るのでお土産の予約があって、その土産がたくさん準備されていた。

ソ連の崩壊に伴ってシベリア上空が解放されるとアンカレッジは過去の場所となったが当時の賑わいを知る者にとっては誰がそれを想像したであろうか。

ロビーの椅子でボケッと座っていたら突然肩を叩かれて振り返るとH設計部長の顔がありびっくりした。

別便で英国・ロールスロイス社への出張だが私の出張の話しを聞いて私を探していたとのことであった。

偶然の出会いのようだが私にはそれこそ願ってもない一瞬で、人との出会いの有り難さを思い知ったひとときでもあった。 (この項終わり)


今日は久しぶりに晴れました。洗濯物が良く乾きそうです。

今日アップした花は、ツツジに似た熱帯の花 「ムラサキソシンカ」 で、インド、中国原産のマメ科の植物です。







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      写真説明:  熱帯植物

      撮影場所:  神代植物公園にて  (2018.1.18)







イギリス in 1977 (その6)

2022年09月28日 09時21分55秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






外国へエンジンを送るなんて社内でも経験しなかったことだから、いろいろな戸惑いやら不安が交叉する中で準備が進められたがエンジンは二台、それも船便だった。なぜ船便なのかは定かではないが、航空便より安全性を優先させたのだろう。おそらくは東京港から英国のサザンプトン港へ向かったようだ。

その中で印象に残ることが一つある。
エンジンは木製のコンテナーに格納して送るが問題があった。それはトレーラーで輸送中のショックがエンジンにどのように影響するのかということである。

エンジンを格納するコンテナーのベッドにはショックを和らげるアブソバーが付いていて走行中の振動が直接エンジンに伝わらないようになっているのだがその効果が判らなかった。

そこでコンテナー内のベッドやエンジンの数箇所に加速度計を取り付けデータを取ることになった。

エンジンを格納したコンテナーをトレーラーに乗せ羽田まで往復するのである。夜の8時頃だったろうか? 工場を出発してまた工場に戻ってくるのである。私が一人同乗して走行したが運転はいたってロースピード。今だから想うのだがあの頃はエアーサスペンション付きのトレーラーは無かったのだろうか?

それと余談だが、大型トレーラーの運転助手席は高くて抜群の視界の良さだった。このような重機を運転したいと思ったほどだった。

幸いにもエンジンに悪影響を与えるようなショックは無いとの判定で、結局、二台のエンジンを発送することができた。

外国へ物を送るにはそれなりの制約があり苦労したが、試験が終わった時に運転に必要な部品が全て届いていたことに胸を撫で下ろしたことを覚えている。 (この項終わり)


今日からは好きな洋ランや熱帯植物などを見るために 「神代植物公園」 に行った時に撮った写真をアップします。
まずは 「斑入りクレロデンドルム・クアドリロクラレ」 との長い名前を持つ洋ランです。

ここに転居する前の家では庭に小さな温室を作って、いろいろな洋ランを育てることに熱中しました。
洋ランに魅せられた楽しい時期でもありました。







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      写真説明:  熱帯植物

      撮影場所:  神代植物公園にて  (2018.1.18)







イギリス in 1977 (その5)

2022年09月27日 16時02分11秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






42年半の会社勤めでは出張することも多かったが、最も印象に残るのは通産省の大型プロジェクトで開発された 「FJR710/600S ターボファン・エンジン」 の高空性能試験の一員としての英国出張であった。


エンジン高空性能試験を簡単に説明しよう。

ジェットエンジンは航空機に搭載されて地上から一万数千メートルの上空までの広範囲で使用されるが、高度が上がるに従い気温と気圧が減少する。

ジェットエンジンは連続燃焼であるが空気が薄くなっても空燃比が一定になるように FCU (Fuel Control Unit:燃料制御装置) はエンジンに入る空気温度と気圧を感知して自動的に制御するように設計されている。

しかし地上における通常の運転試験では高空での制御が設計通りに作動していることを確認することは困難である。

そこであらゆる大気条件を人工的に作出し、あたかも高空で飛行しているのと同じ条件で性能を確認することができる装置が 「高空性能用セル」 である。

セルとは 「運転場」 と同義語である。
しかしこのセルは動力源としての電気量などが膨大なため1970年代には欧米でも公立及び軍の施設を含めても数基しか無かった。

だが、高空での性能データは開発中のエンジンにはどうしても必要な要素であった。


FJR710 ターボファン・エンジンの場合は英国の NGTE (National Gass Turbine Eatablishment:国立ガスタービン研究所) と契約して現地で高空性能確認試験及び高空着氷試験を行った。

私もこの試験の一員に選ばれ昭和52年 (1977) 10月から約二ヶ月間英国へ出張した。 (この項、終わり)

今年のお彼岸の中日は朝から雨が降り続いていた。
中日が雨とは、珍しいような気もするがコロナ騒動での移動制限も緩んだので三日連休の人は旅行なども計画したことであろうが、その天気は少し残念なことだったろう。

散歩途中で見る柿の実も徐々に熟し始めている。
食欲の秋に相応しく柿をガブリとかじってみたいものです。







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      写真説明:  柿 色づく

      撮影場所:  空堀川沿いにて  (2022.9.25)







イギリス in 1977 (その4)

2022年09月26日 09時16分51秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






海外出張者に選ばれたのは名誉なことだが、普段着で行く訳にも行かず、困ったと思ったがそれを助けてくれたのは妻の計らいだった。

お金もかかるが、当時会社からは支度金が10万円支給されたので少しは助かった。

まずは三つ揃いのスーツを二着作ることにした。

しかし、今のように紳士服専門店もないので、いつもお世話になっている知り合いの洋服店に頼んで作ってもらった。

またコートも必要だから妻と池袋の西武百貨店に行き、パーバリのコートを買ったが、ついでに革靴を二足買った。

だいぶお金もかかったが、総計幾らだったのかは妻しか知らない。

だがその他持っていく物もほとんで新しく整えたので、その準備も大変な事だった。

その他、いろいろと用意する物も多く、パスポートを申請したり、運転免許証を国際免許証に切り替えるために府中の運転免許試験所へ行ったりと忙しく毎日が過ぎた。

その当時、私はスカイライン 2000GT に乗っていたが、不在中は時々エンジンを掛けるようにと妻にスタート手順を教えたが、これが難題。

覚えてもらうのに一苦労した。

私的に準備する物も多かったが、公的にもいろいろと社内の準備も多忙だった。

今日の花はまだ元気に咲いているアサガオです。







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      写真説明:  元気に咲いているアサガオ

      撮影場所:  空堀川沿いにて  (2022.9.23)







イギリス in 1977 (その3)

2022年09月25日 11時01分07秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






先日、エリザベス女王の国葬をテレビで見た。

さすがイギリス連邦女王の国葬だけに盛大で威厳のあるシーンが連続していた。

BBC によるテレビ制作だから、天皇、皇后両陛下の姿を見ることはなかったが、あのような国葬は今後世界中を探してももう見ることはないと思った。

外国の建物はあのような国葬にはマッチした雰囲気があって、歴史の深さを感じた。

それと全体の動きが時間を計っているかのように同じスピードで過ぎていくのはどのような仕組みで統制しているのだろうかと、不思議だったが、総体的に見て女王陛下の国葬に相応しい大がかりな行事だった。

さて日本では阿倍元総理の国葬が近づいてきたが、ある世論調査では反対が六割にもなるが、それでも続行するのだろうか?

女王陛下の整然とした盛大な葬儀を見たから、日本の国葬は比べることも出来ないほどの権威も品格も低級な葬儀になってしまうことだろう。

国葬中止の英断を下す、政治家はいないのだろうか?

今日も9時過ぎ独り散歩したが、川沿いではキリッとムクゲが咲いていた。

だが途中で一天俄に西の空が暗くなってきた。

急いで帰ったが、すぐに本降りの雨となった。

台風14号は過ぎていったが、意外と風もあまり吹かず、大雨にもならずに済んでホッとした。

今日はムクゲの花をアップしました。







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      写真説明:  ムクゲ

      撮影場所:  空堀川沿いにて  (2022.9.20)







イギリス in 1977 (その2)

2022年09月24日 17時00分37秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






先日、もう45年前にもなるイギリス出張の話を投稿したが 「38歳の時に外国出張した先祖がいるのか?」 と、我が家の後孫が想い出すように何かを書き留めておきたくなった。

私がイギリスへ出張するという噂が広まると、びっくりしたことが起こった。それは多くの同僚、知人、そして親戚から餞別を頂いたことだった。

今は外国へ行くのは当たり前のことだが、当時はまだまだ海外に行くのは珍しいことだったから中にはいろいろと想像した人もいたのかもしれない。

先日、隣の奥様がご主人の出張先であるアフリカのアブダビへ行き、帰ってから話を聞いたが、成田から経由地を経てのアブダビまでの航空機運賃は約20万円とのことだった。

だが45年前は羽田からアラスカのアンカレッジ、コペンハーゲン経由でイギリスのヒースロー空港までは約75万円の航空機運賃だった。

さてたくさんの餞別だが、多くは現金だったが、中には高価なウイスキーや日本酒を呉れる人もいた。

私は頂いた方全ての人をリストアップして一覧表を作り、お土産を用意することを準備した。その数、家族を含めると73人だった。

イギリスへ行ってからは土、日曜日に外出すると必ずお土産を物色したが、かさばる物は避けてメダルやキーホルダーなどの軽いけど価値あるお土産を買うことにした。

しかし、やはり高価だったのは家族、Mへのお土産だった。

でも海外出張するには私的にもそれなりの準備も大変だった。その話は次回に譲りましょう。

今日の写真は川辺に飛んで来たコサギをアップしました。







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      写真説明:  コサギ

      撮影場所:  空堀川沿いにて  (2022.8.25)







イギリス  in  1977 (その1)

2022年09月19日 16時56分52秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






エリザベス二世女王陛下 (在位: 1952年2月6日 - 2022年9月8日) が崩御された。心から哀悼の誠を捧げます。

女王陛下の棺が置かれたウエストミンスター・ホールを弔問のために訪れる市民の列は途切れず、予想待ち時間は一時、24時間を超えた。待ち時間が想定を上回ったため、行列に加わることが一時、中断されたとのことだった。

イギリス国民の王室に対する敬慕の念が如何に深いかを示す行動だろう。

そんなニュースを聞きながら、私は1977年、会社業務で10月から約二ヶ月間イギリスへ出張したことを想い出した。

出張業務はイギリス王立の研究施設を利用して国産大型ターボファンエンジンの高空性能を確認するテストのため、私は現場の責任者として派遣された。

イギリス滞在中はいろいろな習慣に戸惑いを感じたが、イギリスの人たちは皆、親切だった。

土、日曜日は休みだったから、一緒に出張した同僚とレンタカーを借りて、ドライブするのが楽しみだった。

イギリスは日本と同じ左側通行なので運転は楽だったが、一つ忠告されたのは 「踏み切りでは一時停止しないように」 との規則だった。日本では必ず一時停止だが、イギリスでは徐行して左右確認すれば通過可能だから、一時停止すると追突されるとのことだった。

同僚は免許証無しだから運転は私の仕事、あのトラファルガー広場内も運転したが、今から想えばよくもそんな大胆な運転をしたもんだと若さが懐かしくなった。

ところでロンドンなどの街中ではあちこちにたくさんの幟や旗が飾られていた。イギリス人に尋ねると 「今年は女王陛下の即位25周年記念です」 とのことで、やっとイギリス人が女王陛下を敬愛していることを知った。

日本人が皇室を敬愛するように、イギリス人にとっても女王陛下に対する忠誠は揺るぎない絆があるのだろう。

女王陛下の葬儀は国葬だが、イギリスでは議会に説明して了解を得てから国葬の準備が進んでいる。

日本では阿倍元総理の国葬に対して世論で反対の声が多いようだが、当然の動きでもある。事前に国会での説明も無く、国葬を決めること事態が議会軽視と言われて、反対の動きも多くなるのも当然のことであろう。

私は政治家の国葬には反対。国葬は元首に限ると法律化することが必要だろう。

女王陛下の葬儀には天皇、皇后両陛下が参列される。即位後は初の外国訪問だから、無事に役目を果たされて帰国することを願っています。

今日の花は 「サオトメバナ」 です。







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 「サオトメバナ」 は雑草です

      写真説明:  サオトメバナ

      撮影場所:  空堀川沿いにて  (2022.9.15)







私の決断

2022年09月11日 16時42分46秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






私は9月に入ってから 「もう車の運転をしない」 と、心に決めた。

この二ヶ月あまりの間に車のバック中、二度も壁やフェンスに接触、車の左後部を傷つけてしまった。

幸いにも人身が絡まなかったので助かったが、神様が 「もう、運転をするな」 と、警告してくれたようで、いろいろな葛藤もあったが 「もう車は運転しない」 と、決めた。

そして車を処分することも考えたが、要介護のMの通院などを想定すると車無しの環境はどうしても思いつかなかった。

今後、車の管理は長男夫婦に任せることにしたが、特にいつも傍にいるH子さんに車の運転を頼むことにした。

同時に 「免許証返納」 も考えたが、運転しなくても免許証は持ちたいと思ったので、今後も免許証更新は出来る限り挑戦するつもりだ。

何故かと言うと、更新時に受ける 「認知機能検査」 で私の認知機能を確認することは必要と考えたからだ。

だが、H子さんは永らく運転しなかったから大丈夫かと心配したので長男に 「一緒にドライブして慣れさせて」 と、頼んだ。

長男はその後実際に、Mが通院するコースを往復、H子さんに運転させてチェックしたとのこと。
H子さんに確かめたら 「運転、大丈夫です」 と返事が返ってきたから、次の通院は早速運転をお願いした。

私が免許証を取得したのは 1961 年 5 月のことだが、当時、免許証を持っている人は少なく、今のように乗用車など持てないのが当たり前の世の中だった。

だが会社の先輩から 「これからは車の時代だよ。早めに免許証を取りなさい」 と勧められ一年間毎月三千円を貯金して教習所に通った。

実際に車を運転するようになったのは、あのスバル 360 を買った 1961 年からで、その後56年間も無事故、無違反で現在に至っているのは私の運転心得としての 「スピードは控えめに運転する」 が効果あったと思っている。

免許証を取得してから61年、この9月で 「私の運転歴史」 も幕を閉じる。繰り返すが免許証を持ったまま 「もう車は運転しない」 と決めた。

車は便利だが、逆に考えると凶器でもある。特に高齢者の運転はかなりの慎重さが要求される。

でも悔いの無かった 「私の運転歴史」 だった。

散歩中、もう秋めいたのに、まだ咲いているアジサイを見つけた。意外としっかりと咲いている花姿にエールを送った。







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      写真説明:  まだ、アジサイが咲いている

      撮影場所:  空堀川沿いにて  (2022.9.7)