日暮らし通信


その日暮らしの生活でも、感謝しています

日頃、見た事・聞いた事・感じた事・そして言いたい事などを発信します

「ツユクサ」 の白い花弁

2014年08月31日 16時24分50秒 | 日暮らし通信

最近 「ツユクサ」 の妙な魅力にとりつかれてしまった

今日は妻と一緒に駅前の花屋さんまで歩いて行った
明日が(ついたち)なので新しい仏花と榊を買うためだった

帰り道、妻が路傍でツユクサを見つけた

雑草呼ばわりされているが、そこにはかなり(まと)まって咲いていた
私は二本ほどその茎を折って持ちかえることにした

無造作に小瓶に挿してみたが
殺風景な我が家の食卓に明るい兆しが生まれたようだった




ツユクサを持ち帰ったのにはある理由があった
それはこの花には花弁が3枚あり
上部の2枚は青くて大きいのですぐ判るが
下部の1枚は白いがよく判らない

何とかその白い花弁を確かめたかったからだ

この写真は正面からみたツユクサの花
よく観察すると雄しべの奥に白い花弁が見える
実物は小さいので目視では見えないはずだ




これは実物でまず見ることの出来ない後からの写真
白い花弁がはっきりと見える
これで私もツユクサの花弁の姿を確かめることができました




小瓶に挿したが ”水持ちはいいだろうか?” と心配したが
食卓上での照度が足りないのか、3時間後には花を閉じてしまった

だがそこでまたある事に気づいた
写真のように白い花弁は青い花弁を包み込むように閉じている
それぞれが自分の役割分担を持っているのだろう

ツユクサの不思議な花模様にまた魅せられてしまった




  写真説明: 小瓶に挿したツユクサ
  撮影場所: 自宅DKにて


私たちの散歩雑感

2014年08月30日 15時52分56秒 | 所沢航空記念公園

四日振りに妻と園内を散歩した

歩き出してすぐに ”あれ~、何か雰囲気が違うなあ~” と感じた

蝉たちの鳴き声が聞こえないのだ

どうしてだろう?

ここからは私の勝手な想像ですが
秋雨のように降った雨で
蝉たちの背中の楽器が少し音調を乱してしまったのではなかろうか?

ちょっと静かな園内になっていた




池周りの遊歩道で鳥たちが賑やかにさえずっている木があった

よく見るとウメモドキの実がこんなに赤くなっていた

この実は鳥たちの好物、今はこの木がコミュニュケーションの場になっている




まだ天気が回復してないからか、遊園地に訪れる人はいないようだ




写真中央の木は 「プラタナス」

幹回りは充分、かなりの樹齢を刻んでいるに違いない




写真前方は私たちの散歩コースでの唯一つの坂道

緩やかなようだが妻にとっては少しハードかも?




前方に展示中のC46輸送機が見えてきた

ここまで来れば散歩も中間地点だ

でもC46輸送機もちょっと外観が汚れてきたようです




路傍にツユクサが咲いていた

よくよく見ても下側にある1枚の花弁がよく判らない




時計塔広場から所沢市内の高層ビル群を遠望しています

隣町の私たちはあの辺りを 「宿(しゅく)」 と呼んでいました

宿場街として栄えていた所なのです




珍しい 「コメツガの実」 を見つけました

コメツガはマツ科ツガ属の常緑針葉樹で、日本の固有種です




この実を私は 「じんたんぼ ((かし)の実)」 だと思ったのですが
実は 「コナラの実」 でした




また浮場で 「カワウ」 が羽根を休めていた

羽根を広げている鳥の姿を撮るのは始めてだった

見知らぬ女性が 「もう四日もいますよ」 と教えてくれた







散歩も終わりに近づきました

この(ススキ)を見ているとやはり園内は秋の気配でした




 撮影場所: 所沢航空記念公園 (H260830 撮影)


「ツユクサ」 を撮る

2014年08月29日 17時05分23秒 | 空堀川散策

 「ツユクサ (露草)」 の花を撮りたくて川沿いを探してみたが
私が歩くのは家を出て野塩橋と南秋津橋の間を循環する短い距離だ

見つかるまで、昨夜調べたツユクサのことを想い出してみよう

ツユクサはツユクサ科ツユクサ属の一年生植物
しかし路傍などで可憐に咲いているのに ”雑草” 扱いだ

古くから日本人に親しまれていた花の一つで 「万葉集」 などでは
 「つきくさ (月草)」 と呼ばれていた

和歌では秋の花として詠まれ、俳諧では秋の季語とされているそうです

やっと二か所で咲いているのを見つけた
ツユクサはいつも独りで咲いている
見れば見るほど小輪の花姿(はなすがた)

花弁は3枚あり、上部の2枚は特徴的で青く大きいが
下部の1枚は白くて小さいから目立たず判りづらい
雌しべが1本、雄しべが6本で成り立っている
かなり近づいて見ないとこの花の可憐さは判らない

レンズフード、アダプターを取り外して超アップにしようと試みたが
このような写真しか撮れなかった

 『万葉集』 から作者不詳の歌を一首

    月草に 衣は()らむ朝露に 濡れてののちは うつろひぬとも










  写真説明: ツユクサは可憐なり
  撮影場所: 空堀川沿いにて (H260828 撮影)


サオトメカズラ を撮る

2014年08月28日 16時47分15秒 | 日暮らし通信

最近、撮るのに手こずっている被写体がある
その被写体とは 「サオトメカズラの花」 です

この花は公園でも空堀川沿いでも見られるが
妻は意外とこの花に興味があるようで
この花を見つけると 「写真撮ったら」 と、催促されます

私は小輪の花が好きなのと、妻のリクエストにも応えて撮っているが
今年、今までに撮った枚数はそう少なくない

だが、どうしても撮った結果に満足できない
思ったように私のイメージと違った写真ばかりの出来栄えだ
花特有の鮮やかさがなかなか写っていないのだ

何故だろう? 何故だろう? とも思いながらまた撮っている
私も凝り性だから、そうなったら何とか結果を出したくなる








今日もそんな思いを持ちながら空堀川沿いを散歩したが
 「サオトメカズラの花」 を撮る前にじっくりとその花を見ることにした

するとこの花に対する先入観が少し違っていたことに気付いた

花弁は白色だが、紅紫色の中心は少しボケた色合いなのだ
それは花にあたかも一枚ボカシのフィルターを掛けたようにボンヤリしている
普通 ”どの花も鮮やか” だが、この花は余り鮮やかではないのだ

もともとこの花自体がボカシのような花姿だから
いくら私が頑張っても、私がどんなにイメージを持っても
これらの写真のように写るのは当然だと、私は諦めることにした







  写真説明: サオトメカズラ
  撮影場所: 空堀川沿いにて (H260828 撮影)

 「サオトメカズラ (早乙女蔓)」 は特有の臭いがあるので
他に 「ヤイトバナ (灸花)」 「 ヘクソカズラ (屁糞蔓)」 の名もあるようです

諺には 「屁糞葛(ヘクソカズラ)も花盛り」 がありますが、その意味は

   嫌な臭いがあってあまり好かれない屁糞葛でも
   愛らしい花をつける時期があるように
   不器量な娘でも年頃になればそれなりに魅力がある

ということのようです




雨に咲く花

2014年08月27日 15時43分13秒 | 空堀川散策

今日は朝から秋雨を思わせる霧雨(きりさめ)のように細かい降り方の雨模様だ

秋雨は 「秋の長雨」 「秋霖(しゅうりん)」 「すすき梅雨(つゆ)」 ともいうそうだが
もう陽気は一気に秋の雰囲気に向かっていることは間違いない
先日まで気温が高い毎日だったが今日は涼しいくらいだ

今日DSへ行く妻には長袖のシャツに黒いベストを着せ
ズボンは冬仕様のジーンズを穿()かせた
私が困ることの一つがDSへ行く時に妻に何を着せようか? と思案すること

そのようなセンスの無い私だから妻の姿が世間に出た時に
 「あまり見っとも無い姿」 でないようにと考えて着せるのだが
果たしてどのような評価を得ているのかは少し心配になっている

妻がDSへ行くと、すぐ私は傘持参で空堀川沿いを散歩した
私は男だてらに花が好きで興味があるが
雨の日に咲く花はちょっと違った(おもむき)があって写真に撮るのが好きなのです

雨に似合うのは 「紫陽花(あじさい)」 は定番だが
その他の花も意外と風情があるものです

何が? それは雨の(しずく)が宝石のように花姿を見守っているからです

今日の散歩で私の気持ちを後押ししてくれた花たちをご紹介しましょう
その中で、もう終わったはずの 「紫陽花」 の花が元気で咲いていましたが
また 「名知らずの花」 も交じっています
















 写真説明: 今日の散歩で出逢った花たち
 撮影場所: 空堀川沿いにて (H260827 撮影)


珍客がやって来た

2014年08月26日 19時47分51秒 | 所沢航空記念公園

もう永いこと妻と園内を散歩しているが
必ず通るのが公園南東部にある池周りの遊歩道
ここを歩きながら四季折々の自然の営みを親しむことにしている

今どきの池には北へ帰る習性を忘れてしまった少ない数の鴨たち
お日さまが出ると浮場(うきば)で甲羅を干している亀たち
それと(にご)った池の透明度で姿がよく判らないが
緋鯉(ヒゴイ)のような魚がいるだけだ

だが時には珍客がやってくることがある

これは 「アオサギ」 でしょうか? (私は鳥の名前をあまり知りません)
 「アオサギ」 は年に数回この池にやってくる
しかしいつも独り
いったい何処から飛んで来るのでしょうか?
浮場でじいっと水面(みなも)を見て時を過ごしています

翌日にはもう居ませんでした
何処へ帰ったのでしょうか?










 写真説明: アオサギ
 撮影場所: 所沢航空記念公園 (H260815 撮影)


次の写真は 「カワウ」 でしょうか?
この鳥は池の中で泳いでいるのを見たことがありますが
このように浮場で立っているのは始めて見ました

 「カワウ」 だとしたら
あの 「鵜飼(うがい)」 で主役の鳥でしょうか?
この鳥は二日間、池で羽根を休めていたようです










 写真説明: カワウ
 撮影場所: 所沢航空記念公園 (H260826,27 撮影)


このような珍客を池で見るのは珍しいことです

でも鳥たちは ”いいなあ~” と私は羨ましい気がします

何処へでも自由に思いのままに飛んで行けるなんて

また ”いいなあ~” と、鳥になりたくなりました





当市のゴミ収集事情

2014年08月25日 14時33分12秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

今日は 「燃えるゴミ」
の収集日でした

自宅庭にて
(H260825 撮影)



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このブログにアクセスして下さる皆様は、家庭から出るゴミをどのように処理しているでしょうか?

ゴミ収集方法は各自治体で異なると思いますが、当市では 「燃えるゴミ」 「燃えないゴミ」 そして 「容器包装プラスチック」 は指定日に有料の指定袋に入れて自宅前に置くと収集されます

その他のゴミ、例えば 「有害物」 「びん」 「かん」 「ペットボトル」 そして 「古紙・古着」 などは指定日に指定場所へ持って行くと収集されます

このように当市では一部のゴミ収集は有料化されていますが、裕福な自治体では当然無料でしょう。しかし当市のようにきつい財政状態ではやむを得ないことなのかもしれません

最近市側から 「ゴミの出し方と収集日が変わります」 との通知が流れました

今までは指定場所へ持っていった 「その他のゴミ」 も自宅前で収集するとのことです
便利になったとは思いますが、余計に経費も掛りそうなのに何故なのでしょうか?

それはびん・かん、有害物を入れるコンテナーが路上に置いてあるため 「邪魔で危険」 との苦情が多い、指定場所まで持って行くのが 「重くて運ぶのが大変」 などの意見があるためだそうです
しかし、それらの苦情による実害が実際に有るのか無いのか不明です

私の場合、指定場所までは少し距離があってもそう苦にはなりませんが、路上に置いてあるコンテナーは確かに危険性はあるようです

先日、市側主催の 「ゴミの出し方と収集日変更についての説明会」 があったので聞いてきました

参加者は20人ほど、びっくりしたのは全員高齢者でした
これで私ははっきり判りました
 「ゴミ出し」 は完全に 「高齢者の仕事」 になっているようです

前述したことが今日のブログの主旨ではありません
生活に密着している 「家庭ゴミ処理」 があまりに変わってしまったことに驚いています

かつては、と言ってもかなり前の話しですが、家庭から出るゴミは全て家庭内で処理していたように思うのです

燃えるゴミは庭で小規模に燃やしたし、生ゴミだって庭に掘った穴の中で分解し、その養分は自然と土に帰りました

しかしその様子が一変したのは石油製品であるビニール系の包装技術が進んだからです

今の時代、食材を例にとっても容器は全てウレタン系のトレ―などに入っていますが、家庭で燃やすことなど出来ないゴミになってしまいました

今日、私の地域では 「燃えないゴミ (生ゴミなど)」 の収集日でした

妻との二人暮らしでもゴミだけは出続(でつづ)けます。それを持って行ってくれることは有難いことです

私もそのゴミを何とか少なくしようと、発想力落ち気味の脳細胞を駆使して考えているのですが、なかなか良いアイディアが出てきません

今日当地は雨模様で妻との散歩は諦めましたが、その代わりに身近な 「家庭ゴミのこと」 を考えてみました





ふんわりと 熱気球

2014年08月24日 20時15分23秒 | 所沢航空記念公園

時々園内の広場で 「熱気球係留体験搭乗会」 が行われています

 「AirB 熱気球運営機構」 が運営しているこのエベントは
参加費が中学生以上・二千円、小学生千円
65歳以上と障害者の方は千円とのことです

私も一度は乗ってみたいのですが、それは叶いそうにもありません
写真でその様子を見てみましょう

まずはその遠景です




希望者が搭乗して、バーナーが点火しました




浮き上がりました
搭乗者の方はどんな気持ちなのでしょうか?




地上からだいぶ上がりましたよ




パイロットがバーナーを操作しています
気球本体を制御しているのでしょう




最高高度に到達したようです
係留用の綱がピンと張ってバケットを支えています




少しアップで気球を撮ってみました
これで体験搭乗は終わりです




体験搭乗だから高度は30メートルくらいでしょうか?
でも眺めは良かったに違いありません
私もいつか必ず熱気球に乗ってみたいものです


 写真説明: ふんわり熱気球 (登録番号:JA A1234)
 撮影場所: 所沢航空記念公園 (H260824 撮影)


妻とマグボトル

2014年08月24日 11時04分29秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

キバナコスモス

空堀川沿いにて



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常人なら誰でも持っている常識の多くを忘れてしまった妻だから 「何か新しい事」 を教えることなど到底無理なことだと私は思っていた

しかし最近その考えを ”少し修正する必要” があると考えさせられたある出来事があった

7月下旬、私は妻と近くのホームセンターへ行き、散歩の時に使う小さ目のマグボトル (今は水筒と言わないらしい) を買ってきた

マグボトルの一番の定義は 「マグ (カップ) の様に直接容器を口をつけて飲む水筒の魔法瓶」 とのことらしいが私には ”水筒” の呼び名の方が馴染(なじ)みやすい

この厳しい暑さだから散歩の時には妻への水分補給が私にとっては大切な仕事でもあるが、毎度園内で160円のジュースを買っていたが、自販機の数は限られている

それなら自前の麦茶持参で補給回数を増すことにしよう、と考えてのマグボトル購入だった

このボトルは上部のキャップにある ”開く” ための切り欠きを押すと ”ポン” と音がしてキャップが開くようになっている

さてここから私の妻への挑戦が始まった

キャップを開けるための切り欠きは常人なら極全(ごくまった)く普通の親指操作で簡単に開けることができる

しかし妻にとってはこの操作はかなり難しいようで、何回も繰り返し教えても、軽く押せば開く行為ができないのだ

誰でも子供でも簡単に出来る操作が妻には出来ない、しかしそれだから要介護の認定を受けているのだからと、私は特別に苛立(いらだ)つことも無かったが、時間がかかっても自らの手でキャップを開けることを必ず憶えさせたいと願った

自宅に居る時もなるべくそのボトルで水分補給して開け方を教えたつもりだが、なかなか妻には出来そうもない

ボトル購入後、五日が経ってその日も公園を散歩していた

私は路肩に咲いている小さな花を撮ろうと、ボトルを妻に渡して腰を落としてカメラを構えていた

その時 ”ポン” と背後で音がした
驚いた私が妻を見るとそのボトルで麦茶を飲んでいるではないか?
 ”やっと自分でキャップを開けて飲んだ” らしい
そして私の胸には感無量の思いが巡った

私はその音と飲んでいる妻の姿に感動し、思わず涙腺(るいせん)が緩んでしまった

並みの人間なら極普通の行為だが、妻の行為としては大げさな表現だが破天荒(はてんこう)な驚きの光景だった

これからも妻に何かを教える時は 「じっくりと時間をかけて」 教えれば憶えてくれると確信している

経験者でないと ”妻を介護すること” を理解して貰えないだろうが、私の毎日はこのような妻とのやり取りの中で時を刻んでいる

今日のブログタイトルは 「妻とマグボトル」 にしました
このタイトルに秘めた想い出を大切にするつもりです






縁は異なもの味なもの

2014年08月23日 11時11分03秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

ゼラニューム

空堀川沿いにて



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妻と園内を散歩していたら、また 「あら~ いいわねえ~」 と老婦人から声をかけられた
やはり私が妻の手を握って歩く姿が羨ましいとのことだった

年に数回はこのような声かけがあるが、決まって自らの境遇を説明する人が多い

そのご婦人も既にご主人を亡くしたとのことだったが 「わたしなんか、親の決めた人と一緒になって・・・・」 と、夫婦(めおと)になった経緯(いきさつ)を話してくれた

そのご婦人と別れた後、私はある先輩のことを想い出したが、以下はその先輩から聞いた話である

先輩は鹿児島の出身、20歳代で上京して米軍・ジョンソン基地 (現在の航空自衛隊入間基地) に就職した
当時のジョンソン基地はまだ米軍の爆撃機部隊が常駐していたが、その機体はB57爆撃機 (通称・キャンベラ) で、J65ジェットエンジンを二基搭載していた

先輩はそこでジェットエンジンの整備技術を学んだ
私が入社した頃はまだ新人教育など無い時代、見よう見まねで仕事を憶えるのがやっとだったが、ジェットエンジン関連の技術や整備の基本などをその先輩から教えてもらった

その先輩にある日、親元から写真同封の手紙が届いた
 「○月○日○○時、お前の嫁が東京駅に着くから迎えに行くように」 との内容だった

先輩もびっくりしたらしい、見ず知らずの女性なのに親はもう結婚を決めて進めていたのだ

現代の若者だったら 「プライバシーがどうの?」 「個人の権利はどうの?」 と文句を言うのだろうが、当時は結婚相手を親が決めるのは当たり前の風潮もあったから、別におかしなことでは無かったのかもしれない

これには先輩も驚いたがその女性はもっと驚いたらしい

でも鹿児島の女性は立派です。自然豊かな土地で育ったから東京なんて知る(すべ)もないのに 「写真一枚持って東京へ行けなんて、あまりにもひどい」 とは思わなかったそうです

先輩が言ってました。東京駅で写真見ながらお嫁さんを探す、同時にお嫁さんも写真見ながら夫になる男性を探す、二人とも必死で探したそうです

今のように通信手段の無い時代だったから、それこそ実物をお互いに確認する以外に方法が無かったよ、と、先輩は笑って話してくれました

親が子の結婚相手を勝手 (ちょっと表現が悪いですが) に探すことをどう思うでしょうか?

今の時代は受け入れられないでしょうが、私は経験豊かなご両親が子の最良の相手を決めることはそれなりに意味のあることだと賛成です

もっともその当時は若者でも 「耐え忍ぶ」 という人生航路の基本操船技術をわきまえていたから、親の言う通りにしたのでしょう

さて、先輩はその後どうしたのでしょうか?

私は何回も先輩の家にお邪魔していつもご馳走になりましたが明るい家庭でした
奥さん? それは可愛い、可愛い奥さんでした

先輩は180センチクラスの偉丈夫、それに比べて奥さんは150センチクラスの撫子、でも似合いの夫婦でした

その後、双子の男の子が生まれ、成長後は二人とも医師になったそうです。凄いですね

私も奥さんのように可愛い人を妻にと願いましたが、それが今の妻です
あまり願いどおりになりませんでしたが、ある時期まではまあまあでした

夫婦って不思議ですね?
どうして一緒になるのでしょうか?
誰が決めるのでしょうか?

俗に言う 「縁は異なもの味なもの」 の定義に合うのは夫婦だと私は思っています

さあ~て 「お前たちはどうして一緒になった?」 の質問は、申し訳ありませんが、もう時間がありませんのでお受けできません

あしからず





「鷺草」 を想う

2014年08月22日 14時07分50秒 | 花模様

この家に転居してから五年が過ぎた

俗に言う 「建売住宅」 に住むなんて
 ”夢にも思わなかった” のにと不思議な気持ちだ

ここに来てからは 「もう土いじりはしない」 と
庭の土の部分は 「防草シートを敷きその上に白砂利を置く」
ことを業者に頼んだ
そうすれば雑草が生えることも少ないし
何かを植えることも出来ないからだ

好きな庭仕事を止めたのは
何よりも妻の介護優先が私の仕事だと決めた結果だった

だがいつも花一杯だった前の家が想い出される
庭には小さいが二棟(ふたむね)の温室があって
主として好きな洋蘭などを八十鉢ほど丹精込めて育てていた

今でもこの暑い時期になると
温室の中で咲いていた鷺草(さぎそう)の華麗な花姿が想い出される
平成17年8月にタイムスリップして楽しむことにしよう





















  写真説明: 鷺草乱舞
  撮影場所: 旧自宅温室にて (H170821 撮影)



川沿いで見る果物

2014年08月21日 15時27分49秒 | 空堀川散策

空堀川沿いを歩いていると、咲く花を見るのも楽しみだが
所々に果物(くだもの)()っているのを見るのも楽しみになる

果物の定義は 「食用になる果実」 とのことなので
見ていると 「食べると美味(おい)しそうだ」 と食欲にも(つな)がって余計に興味が湧いてくる

短い時間の散歩だが、見かけた果物を想い出してみましょう

まず最初に目にしたのは柿だった
デジカメのマクロ機能をフルに使って撮りました
よく見るともう熟した色合いになっています
でもまだまだ食べる熟度にはなっていません
食べるならもう少し熟れた色合いになるまで待つことにしましょう




次はブドウです
このような姿のブドウを見ていると勿体無い気がする
以前私が住んでいた家にはブドウ棚が三つあった
種類は 「デラウエア」 「巨峰」 そして妻が好きな 「ナイアガラ」 だった
私は見よう見まねでブドウを育てた
基本的な幾つかの項目を実行することにより
この辺りの民家でもブドウは充分に育つことを実感できた
ホームセンターでブドウ用の袋を買って(かぶ)せると
後は9月に収穫するのが楽しみだった




少し脱線しますが、この画像はかつて我が家で収穫した 「デラウエア」 です
市販品には遠く及びませんが、美味しい味で家族に好評でした
ブドウの持つあの独特の酸味と甘さは果物の中でも最高の味で大好きです




次はミカンなのか? 柚子? なのか、はっきり判りません




イチジクを見ると小さい頃にタイムスリップします
小学生の頃、体が要注意児童だった私を心配した母は
イチジクが生る頃になると必ず 「これを食べなさい」 と私に持ってきました
 「イチジクは体にいいんだよ」 と言うのですが
本当の事を言うと私はあまり好きでは無かったのです
この川沿いでイチジクの実を見ると亡き母を想い出します




散歩の終わり頃に見たのは 「トケイソウの実」 です
あの満開のトケイソウの花姿からは想像もつきません
トケイソウには食べられる種類もあるとのことですが
この写真の実が食べられるかは判りません
この実の所有者の方はこの実をどうするのでしょうか?




私にとって散歩で見る果物はどれもいずれ食べたくなるものばかりです
でもこの写真の果物たちは人の手によって収穫されることもなく
そのまま鳥たちの好物になることでしょう

あの戦後の食が不自由だった頃を想い出すと
人間の食生活も過ぎたるほどの贅沢になってしまいました


 撮影場所: 空堀川沿いにて



「キアゲハ」 を撮る

2014年08月19日 20時52分12秒 | 所沢航空記念公園

園内を歩き出してすぐ妻が 「あっ、蝶だあ~、綺麗(きれい)」 と声高(こえだか)に言った
妻が指差している低い土手の斜面を見ても私には判らない
蝶だと言うから白い蝶か、黄色い蝶が飛んでいると思ったが
妻は写真のように低目の雑草に停まっている蝶を見つけたらしい

私の記憶が正しければあの蝶は 「キアゲハ」 だ




最初は距離を置いて撮ったが
欲が出てもう少し近くで撮りたくなった

私のデジカメは2センチがマクロ撮影限度
 「すみません、アップで撮らせてください」 と
無断撮影ではないことを断って限度までゆっくり近付いた
 「私、綺麗でしょう、上手(じょうず)に撮ってね」 と
この蝶さんとテレパシー語で会話に成功
そして撮ったのがこの写真

シャッターボタンを押した直後に
 「上手(うま)く撮れた? ではさようなら」 と
急角度でテイクオフ、遠くへ飛び去っていった

二枚とも同じアングルで撮ってしまったが
動きを感知されないように距離だけを詰めたのでそうなってしまった

でも 「キアゲハ」 は綺麗な蝶だ
こんな綺麗な羽根に乗せて貰って大空を飛んでみたいものです




 撮影場所: 所沢航空記念公園



苦悩した三日間

2014年08月19日 16時04分32秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

秋が楽しみです

空堀川沿いにて



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妻は上歯右に一個、下歯左右に二個の部分入れ歯 (ブリッジ型) を取り付けているが、残念ながら自ら取り外しはできない

食後は私がこの三個の部分入れ歯を取り外して、ブラシで洗浄、そしてまた私が取り付けているが、それも介護の内だと毎日そんなことを繰り返していた

16日 (土曜日) 昼食後も同じように歯を取り外そうとして、私は仰天した

上歯右の入れ歯が無いのだ
 「おい、歯がないぞ、どうしたんだよ~」 と語気鋭く言っても妻はそれを理解して答えが返ってくる訳でもない

私は 「どうしよう、どうしよう、困った、困った」 と慌てふためいてしまった
直感的に 「妻が入れ歯を呑み込んだ」 と思わざるを得なかった

長さ約25ミリ、幅13ミリ、厚さ10ミリほどの入れ歯が体内に入った時の悪影響を私は過大評価して恐ろしくなった

 「でも何とかしなくては?」 と気は(あせ)るばかりだったが、掛りつけの歯科医院は昼休みで電話は通じない

思いあまって東京消防庁・#7119へ電話してみた
オペレーターから代わった女性看護師は状況を聞いてから、三か所の 「救急外来病院」 を紹介、もし三か所とも受診拒否されたら119番へ通報してくださいとのことだった

その内に私の通院先病院があったから電話すると外来を受けつけるとのことだった

私は妻の入院などもあり得るとの臆測から、長男の嫁さんに電話して訳を話し、同道して貰うことになったが14時半前には病院へ着いた

早速レントゲンを撮ったが、今日病院は休みなので当直は循環器科の医師だった

その後部屋に呼ばれてレントゲン (今はデジタル化されていてディスプレイに画像が送られてくる) を診たが、それらしき物は写っていないとの所見だった

医師は念のため 「CT (コンピュータ断層撮影) を撮りましょう」 とのことですぐに妻はCT撮影室へ向かった

その間私は神様に(すが)るような気持ちでひたすら 「入れ歯が写りますように」 と念じていた

だがそのCT画像でも入れ歯は写っていなかった
医師は 「入れ歯は呑み込んでいない、と思われますが、月曜日に消化器科を受診して確認してください」 との所見だった

私はまだ 「入れ歯を呑み込んでいない」 ことに納得していないから、ここからまた私の苦悩が始まった

朝食後、歯を取り付けてから昼食後に取り外したが今まで外れたことがなかった
その土曜日10時頃、ご近所さんから頂いた京都銘菓 「八ツ橋」 を食べたが、それが餅状なのでくっついて呑み込んだと私は推定していた

しかし 「呑み込んでいない」 となると8時半から9時半過ぎまで公園を散歩した時に、妻が 「吐きだした」 としか考えられないことだった

私はこの出来事ですっかり憔悴(しょうすい)してしまった
かた時もこの件が離れず、悪い結果のみを考えては 「一体、どうなるのだろうか?」 と、見えない不安の波に溺れかかっていた
何をする気も湧かず、ボケっとしていて自分を見失い、好きなパソコンを開く元気も無くなっていた

歯科医院長さんからも心配する電話があった

部分入れ歯を呑み込んだ場合、通過する経路は肺に入るか? 食道に入るか? の二つで、前者の場合が危険性があるが、後者の場合はほとんどが自然に便と一緒に排泄されるとのことだった

更に院長さんは 「妻の場合は何ら異常が出ていない」 ので 「呑み込んでいない」 と推察されるとの所見だった

ようやく気を取り戻してネット検索すると 「部分入れ歯を呑み込んだ事例」 はたくさんあるようで、やはり食道に入った場合は2,3日後に自然と排泄されるとの説明は私を少し元気付けた

日曜日、この日も同じように妻と散歩したが、歩いてもこの件が気掛かりでショートコースで終わってしまった

月曜日また嫁さんに同道して貰って10時半前 「消化器科」 へ受診手続きしたが、予約外なので待ち時間も長かった

11時半過ぎ女性看護師さんから呼び出しがあった
 「消化器科の医師では判定出来ないことがあるので専門の医師に確認していますから後30分ほど待ってください」 とのことだった

やっと12時過ぎから診察開始、しかし呼ばれたのは 「総合内科」 の部屋だった

担当医師は私が持参した残り二個の入れ歯を見ながら 「このような歯を呑み込めば必ず写ります」 と、前置きしてレントゲンとCT画像を丁寧にスクロールしながら私に説明してくれた

そして 「このレントゲンとCT画像には入れ歯は写っていません、呑み込んでいないと結論します」 との所見だった

この所見を聞いて私は重い鎧を脱いだような安堵感に包まれ、「ああ、良かった」 と暗かった気持ちが晴れ渡るように軽やかになってきた

だが私がやっと正気を取り戻したのは今日になってからだった
不甲斐なくもこの件で体重がが1キロ減ってしまったが、こんな経験は始めてだった

でも不思議だ。妻はどこであの入れ歯を吐きだしたのだろうか?

あの日の散歩中か? と思いながら今日の散歩では 「もしかしたらあの入れ歯が落ちていないか?」 と、下ばかりを見ながら歩いていた私だった

この三日間、ブログ投稿どころではなかったが、その分をこのブログを長くして埋め合わせにしてしまいました

私が苦しんだこの件だが、妻は至って無頓着、そんな妻の姿を見ていたらまた妻への不憫さがまた募ってしまった

あんなに元気だったのに、と、思うのは私の愚痴だろうか?






私の空想 ・ 靖国神社参拝

2014年08月15日 17時06分35秒 | 日暮らし通信

今日は69回目の終戦記念日
以前は毎年この日は靖国神社を参拝していた

妻も毎月朔日ついたちには必ず 「昇殿参拝」 を欠かさなかった

妻を介護するようになってからはその参拝もできなくなったが
かつて平成17年8月15日に参拝した写真を振り返りながら
空想の中で 「靖国神社」 を参拝することにしました


まずは地下鉄有楽町線・市ヶ谷駅を降りて靖国通りを歩く
反対側には多くの右翼関係団体の車列が駐車している
何か異様な雰囲気でもある




報道関係の移動中継車も多く待機している




歩道では警察の機動隊員の警戒が厳しい




いつもはこの 「南門」 から入るのだが
この日は閉門されている




 「第二鳥居」 前では厳重な警戒態勢だ




「神門」 前では多くの参拝者が 「拝殿」 へ向かっている




 「神門」 から 「拝殿」 を望む




 「拝殿」 に向って参拝する人たち




このように旧軍人の姿をした人たちもいる




平日の 「靖国神社・拝殿」 (右のビルは法政大学)
この写真のみ平成16年8月1日に撮影したものです




今年もこのような雰囲気の靖国神社であったでしょう
だが要人参拝となると、また境内の様子が変わってくる

日本の総理大臣が参拝すると目くじら立てる国もあるようだが
祖国のために亡くなった英霊に誠を捧げることが
何故文句言う理由になるのでしょうか?

これで私の空想参拝も終わりました

正午、折から中継中の 「NHK 戦没者追悼式」 を見ながら
妻と一分間の黙祷(もくとう)を捧げました

それにしてもこの大戦による犠牲者が 「三百十万人」 と言う数字
とてつもない大きな、大きな数字でした