日暮らし通信


その日暮らしの生活でも、感謝しています

日頃、見た事・聞いた事・感じた事・そして言いたい事などを発信します

ヘルパーさんのこと

2015年06月30日 14時01分22秒 | 日暮らし通信
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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

ハイビスカス

空堀川沿いの民家にて
(H270628 撮影)



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妻は毎週、月、水、金曜日は介護ヘルパーさんの介助で入浴するが、その他の日は簡易的に私がシャワーを使って体を洗い清潔度を保つように心掛けている

しかし、妻はまだ寝たきりではないから自由に入浴ができるが、もし寝たきりだったらかなり介助負担が増すはずである

昨年からはケアマネさんが代わったので来宅するヘルパーさんも新しい顔ぶれとなったが、月、水曜日はAさん、金曜日はBさんの二人にお世話になっている

ヘルパーさんが代わったので、私も少し心配することもあったが、それは杞憂で、妻とヘルパーさんはもう何年も知りあいのような雰囲気で会話が弾んでいるのは有難いことだ

入浴介護はたった一時間だが、この時間は私にとっても、妻にとっても大変有難い時間となっている

特にヘルパーさんはいろいろなことに知識豊富で気配りが出来るので、私には到底考えも及ばないこともしばしば面倒を見て貰っている

それとヘルパーさんは意外と勉強家であることにびっくりしている

このような訪問介護をするためにはホームヘルパー2級 (正式名称;訪問介護員2級養成研修) の資格が必要だが、我が家に来るヘルパーさんはそれ以外の関連資格も持っていて、さらに他の資格取得に向けて勉強しているとのことなので並みのヘルパーさんではないようだ

さらにそのような資格を取るには所属する施設からの支援は無く、時間も費用も全て自分持ちなのにも驚いてしまう

 「介護という仕事」 はその人の適性が重視されるが、自己研鑽に励むヘルパーさんを見ていると、もっと経済的にも優遇すべきではないかと応援したくなる

まだ子育て中の若いお二人だが妻共々感謝しながら 「これからもよろしく」 と、週三回の入浴介護を楽しみにしています






あれから九年

2015年06月29日 13時51分55秒 | 日暮らし通信
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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

ニューギニアインパチェンス

自宅庭にて



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妻が二回目の入院をしてからこの六月でもう九年が過ぎたが、振り返るとその当時は私の精神状態も最悪だった

男だから取り乱すのは見苦しいと表面的には何事もないように振舞っていたが、妻の入院による内心の混乱は尋常ではなかった

その混乱は思わぬことで徐々に私を苦しめて現実化していった

その始めはスーパーの駐車場で、ドアを閉める時、右手を置いた場所が悪かったから、右手中指をドアで挟んでしまったが、指の先端を傷めるとそれは極端に飛び上がるほどの痛みを感じた

普段、注意深い私だからそのように指を挟むなんて考えられないことだった。この時、私は何か知らないが妙に挫折感を味わったように情けない気持ちになってしまった

注意しなければと自らを抑えようとしたが、また思いがけないことが起こった

病院から帰って夕食を作ろうとまな板の上で野菜を刻んでいた時、包丁で左手中指を切ってしまった。このようなことも始めてだった

勢いよく出る赤い流体、どうも止まりそうもない。私は慌ててどうしようもなく、ただただティッシュペーパーで中指を抑えるしかなかった

 ”困った、困った” と更に慌てふためいたが、ふと近くに住む娘に電話でSOSを発信することを思いついた

 ”とりあえず、左手を高くしてみたら” との娘の声は天からの救いそのものの響きが込められていたようだった

上記二件の出来事が起きて、私は明らかに平常心を失っていると感じるようになった

だが私にはその裏に隠されている何かを理解するだけの余裕は無かったようだ

さらに思いがけない事が起こった

入院中は毎日病院に行った

ある時、病院のトイレに行った時、何故かステテコの前が開いていないことに気付いた

私は夏の時期は、外出する時だけステテコを履くのだが、どうもその時前後を確かめなかったようだ

このことは私を苦しめたが 「心しないと危ない」 と、ある危機感を持つようになった

今から考えると、このような出来事が起きても、毎日乗っている車の事故が起きなかったことは奇跡のようだと私は感謝した

あの当時は確かに私のバイオリズムも最低で苦しかった。だが今、それを振り返ってもその苦しさを忘れている

それが人生だと思った。いつでもその時の苦しみを引きずって生きていたら人間は前に進むことはできないはずだ

もう九年が過ぎた。短いとも、永いとも私には言えないが、いろいろなことが起きたが幸いにもそれがクリアされて、生きてきた

人間なんてそんな繰り返しで一生を終わるのだろうと私は観念した

 「妻を介護する」 と言う私の人生での最後の仕事は、いったいいつまで続くのであろうか?






空堀川沿いから見た富士山

2015年06月28日 11時49分08秒 | 四季の花と風景

四季の織りなす 花 と 風景 をお届けします


 タイトル: 富士山見ゆ
 撮影場所: 空堀川沿いにて (H270628 撮影)


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今日は朝から素晴らしい快晴

やっぱり晴天の日は明るい陽射しが眩しくて気持ちも軽やかになる

それと主夫としては何と言っても 「洗濯物が乾く」 のが有難いことだ

10時過ぎ、妻と空堀川沿いを散歩して、ある場所で西方を見るとびっくり

この時期では珍しいもう雪も溶けた山肌の富士山が見えた

かなりズームアップして撮ったがこの程度の写真になってしまった

我が家と富士山は直距離でも100キロ以内のようだが、もし噴火したら間違いなく火山灰はやってくるだろう

 「もう暫くはゆっくりとお休みください」 と、富士山にお願いすることにしました

でもやはり雪を頂いた富士山の姿のほうが絵になっているように感じました






ある出来事

2015年06月27日 14時24分48秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

クチナシの花

空堀川沿いにて
(H270624 撮影)



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日頃、妻を介護していて心掛けることは、妻の容態の変化から起こる兆しを早く感知することだった

しかし、いつもそのような気持ちでいても、時にはその ”困った事” が感知できないこともあり、最近ある出来事は私を悩ませた

24日、朝起きると妻の歩き方が何となくおかしく、右足を引きずって歩くようなので私は多いに心配した

 「何処か? 痛いのか?」 と聞いても 「痛くない」 の返事だが、どうも歩き方が気になった

かなり以前に転んで右足を打撲したことがあったので、やはり足首周りに異常があるのか? と私は思った

足首を見たり触ったりしたが、特に異常は見当たらないが、念の為に 「消炎鎮痛シップ剤」 を足首に貼ることにした

その日はDS (ディサービス) へ行く日なので、迎えに来たヘルパーさんにもその旨を伝えて、一応様子を見るように頼んだ

さて 「困った事が起きた」 と、また私の取り越し苦労が始まったが、このまま歩行が怪しければ整形外科へ行くことも考えた

16時過ぎ、DSから帰った妻はまだ歩き方がおかしいが、DSでは何事も起こらず過ごしたようだった

その日は入浴介護の日なので準備すべく、椅子に座らせて靴下を抜かせたが、その時右足の指先を見た私はびっくりした

それは右足小指の爪が剥がれて、その爪が直角に立っていたのだ。そして小指も少し赤く腫れていた

小さな爪だが、何かに引っかかって剥がれたが根元は簡単には離れないから、爪が立った状態だった

それを見た私は 「これだあ~」 と思い、歩行を怪しくした元凶はこの爪に違いないと確信した

取れそうになった爪が靴下などと擦れ逢えば痛みも尋常ではないはずだから、歩くのもおかしくなるのは当然だと思った

その爪を切るのも躊躇したが、何とか切って化膿治療用の軟膏を塗った。おそらくはこれで大丈夫であろう

さて、こらからは私の反省となる

朝、私が足首を見た時に素足であれば、爪の異常も判ったはずだが、足首内部のことと早合点したのは過ちだった

だが妻が自己申告できれば、すぐに痛い場所も判るのだが、今の妻にはその感覚が忘れられているので、それが歯がゆいことだが仕方無いことだった

爪を切ってもまだ小指は少し赤く腫れているが、歩くのは正常に戻った

 ”良かった” と安堵したが、考えてみれば私の介護生活とはこのような出来事の繰り返しでもある






山吹の花

2015年06月26日 17時14分45秒 | 四季の花と風景

四季の織りなす 花 と 風景 をお届けします


 タイトル: 山吹の花
 撮影場所: 空堀川沿いにて






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●  私のひとり(ごと)  ●


山吹の花は不思議な咲き方をする

晩春に明るい黄色の花を多数付けたのがつい最近のような気もするが、それが終わってからは葉の茂りだけになってしまった

いつも散歩する空堀川沿いにも多数の山吹があるが、この時期その山吹が花を咲かせている

数は少ないが一重、八重とも所々(ところどころ)に咲く姿を見るようになった

小判の色として 「山吹色」 が使われているが、 「山吹色」 はオレンジ色と黄色の中間色のようだが、この花を見る度に昔の人はいい発想で小判と結びつけたと感心するばかりだ

今咲きだした花は俗に言う 「二番花」 なのであろうか







自動通話録音機

2015年06月25日 20時48分53秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

自動通話録音機

自宅DKにて



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今や社会問題となっている 「振り込め詐欺」 の被害額が巨額であることに驚くばかりだ

警察庁によると、2014年に全国の警察が認知した振り込め詐欺など被害額は、前の年から約70億円増えて、過去最高の559億4354万円となり、65歳以上の高齢者の被害が全体の約8割を占めているということです

そして1件あたりの被害額が738万円と聞いてまたびっくりです

ところで私が住んでいる東村山市での被害はどうなのでしょうか?

6月の市報によれば、当市での被害も多く、2014年中の振り込め詐欺被害総額は2012年の約二倍となる1億3千600万円で、被害に遭った年齢層は70歳以上とのことでした

でも被害者には申し訳ありませんが、騙される方はよくお金持ってますね。百万円単位、それ以上の千万円単位を振りこむのですから、私などの貧乏人はそれがよく理解できません

被害防止のためにいろいろな機関が知恵を絞っているようですが、悪人たちも悪知恵で次から次への新手の方法を考えているようです

東京都では、この振り込め詐欺などの現状から、警告メッセージと録音機能により、被害を未然に防ぐことができる 「自動通話録音機」 の無償貸し出しを開始しましたが、その数は1万台とのことで、これを各自治体に振り分けるのでしょう

さて当市でも市報にその貸出情報が載っていましたが、65歳以上の方で先着110台とのことでした

私宅ではどうしようか? おそらくはわんさと希望者が多くてすぐに満杯になるだろと思っていましたが、電話で申し込むと意外と受理されました

昨日、市の職員が現物を持って来て取り付けましたが、取り付けは簡単で固定電話機への回線を外して 「自動通話録音機」 の 「回線ポート」 へ接続、「自動通話録音機」 の 「電話ポート」 と電話機とをモジュラーケーブルで接続するだけでした

この録音機が取り付けられると、電話をかけた人はまず次のような 「警告メッセージ」 音声が聞こえます


 『この電話は、振り込め詐欺などの犯罪被害防止のため
 会話内容が自動録音されます
 これから呼び出しますので、このままお待ちください』


この 「警告メッセージ」 を聞いた悪人どもが 「こりゃまずい」 と通話を諦め、被害を未然に防止する効果を期待しているのですが、さてどうでしょうか?

これで会話内容も全て自動録音されますから、何かあった時には重要な証拠にもなります

この、「自動通話録音機」 の無償貸し出し、効果があることを期待したいのですが、昨日来た職員の話によると当市の貸し出し状況はまだ予定量の三分の一程度とのことです

でも許せないですね、振り込め詐欺は。高齢者を騙すなんてひど過ぎます






点検後は ”要注意” です

2015年06月24日 20時36分37秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

かつてパジェロに乗ってました

秩父ミューズパークにて
(H120804 撮影)



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今日は 「愛車のピノ」 を 「法定12ヶ月点検」 に出した

毎月走る距離も少ないので、今の自動車のレベルから考えると1年くらいでの調子は何ら問題無いのだが、走らなくても機械物は消耗する
部品もあるので、私は法定点検だけはパスしないようにしている

因みにこの愛車はもう6年、今日点検に出す時の走行距離は13,610kmでした

ところでこのような点検をすると、車の調子が上がったようにもなるが、実はそうでも無く、点検後の車は ”要注意” であると私は認識している

それは所謂(いわゆる) 「ヒューマンエラー」 による整備ミスが意外とあるものです

四輪自動車に乗るようになってからもう49年が過ぎたが、点検後に思わぬ事が起きたのを何回も経験している

一番怖かったのはやはり法定点検後の翌日、関越自動車道を走行中に異常発生、路肩に停めてボンネットを開けてみると、何と点火栓が一本抜けて外れていたが、愛車 「パジェロ」 は六気筒エンジンなのに、五気筒になっていたのだ

明らかに整備ミスで、点火栓を取り外して点検したが、一本だけ正規のトルクで締めなかったことが原因で、走行中に徐々に揺るんで外れてしまったのだ

次はスカイライン2000GTに乗っていた時のことだった

点検でオイル交換した。翌日、エンジン下の地面を見ると、何やらオイルらしきものが垂れていた

慌てて近くのガソリンスタンドへ行ってジャッキアップを頼んで点検すると、オイルドレインポートのプラグが緩んでいた

これも整備士のミスだったが、そのまま走っていたら、いつかプラグが完全に外れてオイルロスになるところだった

それと意外に起こるのがエンジン室に工具を忘れることで、三回ほどあった

走ると振動でその工具が落ちるが、不思議なことに走行中に工具が路上に落ちると微妙な音でも私はすぐに気付いて、車を停めた

その落ちた時の工具は三本とも今でも私の工具箱の中に残っている

その他、エンジン室にウエス (ボロ布) や手袋を忘れることも何回かあった

以上の事実からしても点検後は ”要注意” の意味が判っていただけたでしょうか?

海上保安庁が南極の越冬用にヘリコプターを持っていくが、そのヘリは新品では無く、半年ほど使い慣れたヘリを持っていくそうですが、新品や点検後の機械類はまだ信用が置けない存在なのです

さて、今日の点検後、我が 「愛車ピノ」 は大丈夫であろうか?







沖縄の 「慰霊の日」  に思う

2015年06月23日 20時17分13秒 | ちょっと一言

日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

梅雨の晴れ間

空堀川沿いにて



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沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で犠牲になった人々を悼む 「慰霊の日」 を迎えた

テレビではどの局もそれに関連するニュースを伝えたので、私も何回もそのニュース報道を見た

夜の19時、「NHK ニュース7」 でもその 「慰霊の日」 のことを伝えていた

それを見ていた妻が 「お父さん、沖縄の人たちは大変だったね」 と私に言った

 「えっ?」 と、妻の言葉に驚いた

あまり常人としての記憶を亡くしてしまった妻が、何でそのようなことを言うのであろうか?

私に釣られて今日は何回も 「慰霊の日」 のニュースを見たから、妻もその内容の悲しみを憶えてのことであろうか?

実は私は今日、ブログにこの沖縄のことを投稿しようと考えていたのだが、どうしても文が発想しない

それはいくら私が沖縄の人を悼んでも、所詮は関係の無い人だったから、悼む気持ちだって纏まるはずが無かった

午後にはブログに投稿しようとしたが、それも儘ならずその時期を逸してしまった

しかし、その妻の一言で私の悩みも吹っ飛んだ

言葉を飾って沖縄の人たちへの悼みの言葉はいらない、と思った

しかし、沖縄の人たちは凄い人たちだと思った

 「よく苦難に耐えた」 、本土の人たちはそれができたであろうか?

いつか、沖縄の地を訪れてみたいと願っているが、それは叶いそうにもない






川沿いの民家で咲く花

2015年06月22日 15時28分42秒 | 空堀川散策


梅雨入りしたのが8日、明けるのは来月21日頃だから
まだまだ梅雨との付き合いが続くのを我慢しなければならない

今日の朝も梅雨特有のドンヨリした厚い雲が垂れこめて始まったが
天気予報では 「不安定な大気状態だから要注意」 と気象予報士が言う

その通り、曇っていたら突然、陽射しが現れてパッと明るくなった

 「これは有難い」 と思っていたら、また突然ドンヨリ雲が現れて暗くなってきた

こんな繰り返しだが、それも今は梅雨だから文句を言わずに付き合うことにしよう

今日も9時半過ぎ妻と家を出て、買い物をした後、空堀川沿いを歩いて帰ったが
川沿いを歩き出すとまずは右手に民家が続いている

どの民家も敷地は狭いので、草花などは趣向をこらして
いろいろな形で主に鉢植えで置かれている

これらの民家ではそれぞれいろいろな花が咲いているが
私が名を知っている花もあれば、知らない花も数多い

今日の散歩で見た花・・花・・そして花・・を撮ってきました




















    写真説明: 今日の散歩で逢った花たち
    撮影場所: 空堀川沿いにて (H270622 撮影)




コロの物語

2015年06月21日 16時25分30秒 | 日暮らし通信
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■□ 写真タイトルと撮影場所 □■

名前はコロです

自宅DKにて
(H270621 撮影)






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今日は 「父の日」 だが、いつの頃からこのような日に世間が動かされているのであろうか?

私ももう父では無くいわば 「おじいさん」 になっているので子供たちには 「もう贈り物など要らないよ」 と言っている

だがどうしても私に贈り物を考えているのなら 「私には何も要らないから、その分妻の下着でも買って来て」 と、お願いをしている

午後になると早速娘夫婦がやって来て私に贈り物を持ってきたが、好意に甘えて貰うことにした

さて、娘が何やら動物を入れた籠 (ペットキャリー・バスケットと言うのか?) を持ってきたが、そのバスケットの中に居たのは猫の ”コロ” だった

娘に言わせるとこのコロにはそれなりの物語があるそうだ

建築技術関係の仕事をしている旦那のKさんが現場で産まれたばかりの仔猫を見つけた

現場で仔猫が産まれるのは珍しいことではないが、通常は何らかの方法で処理してしまうそうだ

ところがここからコロの人生 (猫生) が始まる

Kさんはその猫を可哀想だと思ったのだろう、帰りに連れて帰ることを決めた

だが電車で帰るのは問題がありそうなので、現場からタクシーで仔猫を連れて帰った

そのタクシー代も1万円も払ったそうだからその月の小遣いは少し窮屈になったことだろう

それからは娘夫婦によってその仔猫を育てる苦労が始まったそうだが、コロにとっては有難い娘夫婦との出逢いであった

人間の一生もある人との出逢いによって大きく変わることもあるが、この猫のコロは処分されてしまうのを救ってくれた恩人との出逢いで大きくその生き方が変わったはずだ

たかが一匹の猫だと言ってしまえばそれまでだが、仔猫を救ったKさんの行動は誰にでも出来る行為ではなかった

バスケット内のコロを撮ったが、いいポーズをして貰えなかった

それもそうだろう、始めて逢った変なおじさんがカメラを構えている姿は動物本能からすれば ”要注意、要警戒” で身構えるしかないだろう

右の写真はシャッターを押す前にコロが敏感に反応して画面が流れてしまった

私が 「コロを連れて空堀川沿いでも散歩しようか?」 と提案したのだが、娘に簡単に 「ダメ」 と拒否されてしまった

 「コロの物語」 はこれからもずうっ~と続くことだろう





落ちた柿の実

2015年06月20日 14時20分09秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

柿の実

空堀川沿いにて
(H270620 撮影)



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散歩していると、民家の敷地から公道へはみ出した大きな柿の枝がある

この家の住人はあまり剪定もしないからこのようにはみ出ていることに気付かないのだろうが、歩行者にとってはいささか迷惑な気持ちにもなる

その枝には日毎大きくなるのが判るほど、順調に育つ柿の実が成っている

だが妻はその枝から落ちて地上に数個転がっている実に興味があるらしかった

ある時 「どうして落ちるのかなあ~?」 と、その実を惜しむかのように私に言った

私は良い返事が浮かばないが、何か答えないといけないと少し間を取って考えてみた

 「柿の木には実が集まる会議があって、そこでジャンケンして、残る実、落ちる実を決めるんだって」 と、言った

そんな返事なので勿論妻は納得はしていないようだ

実際、6月になると落ちる実の数が増えてきたようだが、私はこれは木が自ら行う 「自然摘果(てきか)」 だと考えた

そこでネットで調べてみると 『柿は自ら結実を調整する機能を持っているようで、それを 「整理落下(せいりらっか)」 と言って6月下旬頃までは自然に実を落とす』 と説明されていた

このように6月に柿の実が落ちるのは自然の法則のようなもので、その営みの不思議さを知ることになった

さて、この 「整理落下」 のことを妻に話したが、やはりあまり納得する様子は無かった

今日も散歩の時、この柿の木を見ると、落ちている実が少なくなっていたので、これからは妻の興味も木に成っている実に移るだろう

食べるのが大好きな妻だから、柿の実にはそれなりの興味があるのだろうが、もう秋になって熟れた実を食べることを妻は夢見ているのかもしれない







不動寺のアジサイ

2015年06月19日 14時57分49秒 | 四季の花と風景


昨日 「ところざわのゆり園」 を見た帰りには
隣接するお寺を訪ねてみたが
お目当てはアジサイだった

この時期、境内には必ずアジサイがあるだろうと
期待しながら狭い静かな寺道を歩いて行った

この寺名は入口にある石塔に 「別格本山 狭山山不動寺」 とあるが
山号は狭山山、寺号は不動寺、ご本尊は不動明王とのことだった




建立は古いのかと思ったが、1975年 (昭和50年) だったが
その背景には次のような経緯があったらしい


  西武グループが各地のプリンスホテルを開発する際に
  芝増上寺をはじめとする各地の文化財をこの地に集め
  西武鉄道グループが、当時のオーナーであった堤義明と
  親しかった寛永寺の助力により
  「天台宗別格本山」 として建立した


とのことだったが、それで想い出したのは
プロ野球の 「埼玉西武ライオンズ」 が毎年ここで
必勝祈願をしているのもそんな繋がりがあるからであろう




さてお目当てのアジサイは?

ありました。私の好きな瑠璃色のアジサイが咲いていました

しかし、不思議です

境内を見回してもこの色のアジサイしかありません






アジサイの花を説明するにはいろいろと難しいようですが
中央に咲いているのが 「両性花(りょうせいか)
周囲に咲いているのが 「装飾花(そうしょくか)」 と言うそうです

でもその 「両性花」 がこのように咲いているのを見たのは
私も始めてでした






    写真説明: アジサイを撮る
    撮影場所: 不動寺にて



ところざわゆりの園

2015年06月18日 15時56分40秒 | 四季の花と風景


昨日 (17日) は電車に乗って 「ところざわゆりの園」 へ行った

西武狭山線・西武球場前駅の改札口を出て左手を見ると
 「西武プリンスドーム」 がドーンと現れた

それにしても大きな構造物だが
このドームの中でいろいろなエベントが開かれているなんて
ちょっと信じ難い気もする




改札前からは専用の通路があって 「ゆり園」 までは歩いて約3分だが
入口までは緩やかな勾配のせいか、私もいささか呼吸が乱れてしまった




9時半過ぎ入口へ。入場料は1100円

入場者が意外と少ないので切符切りの女性に聞いて見ると
 「今日は天気予報があまりよくないのでそのためかもしれません」
とのことだったが、私としては人間が少ないのが有難い気がする

だが 「今日は天候の急変が考えられます
雷が鳴ったら直ちに避難をお願いします」 との案内には少し不安になったが
緊急時には何処へ避難すればいいのかは聞いていない




ところでここは2005年6月に 『ユネスコ村自然散策園・ゆり園』 としてオープンした

当時は 「ユネスコ村大恐竜探検館」 との並行営業だったが
2006年9月に 「ユネスコ村大恐竜探検館」 が閉館になると
2007年よりユネスコ村の冠名称がとれ
 『ところざわのゆり園』 と表記されるようになったそうです

簡単に言えば私たちが 「ユネスコ村」 と呼んでいた場所なんです




ここには50種類・約45万株の 「ゆり」 があるとか?
まずは遠景でゆりの花を見ることにしましょう












次は少しアップして撮ったゆりの花です












 「ゆりの園」 から見た 「西武プリンスドーム」 ですが
ちょっと不出来な写真に撮ってしまいました





        写真説明: 丘陵で咲くゆりの花
        撮影場所:  「ところざわのゆり園」 にて (H270617 撮影)




丘陵に咲くゆりの花

2015年06月17日 16時56分43秒 | 日暮らし通信

四季の織りなす 花 と 風景 をお届けします


 タイトル: 丘陵に咲くゆりの花
 撮影場所: ところざわのゆり園






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●  私のひとり(ごと)  ●


今日は 「ところざわのゆり園」 に行って、狭山丘陵に咲くゆりの花を見てきました

ブログアップする予定でしたが、帰ってから急用があって時間が無くなってしまったので、とりあえず今日撮った写真の中から二枚だけご紹介します







私は、まだ大丈夫だろうか?

2015年06月16日 15時21分55秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

アガパンサス

空堀川沿いにて
(H270616 撮影)



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先日、次のような新聞記事を見た


65歳以上の高齢者のうち、認知症の人は推計15%で、2012年時点で約462万人に上ることが1日、厚生労働省研究班の調査で分かった

認知症になる可能性がある軽度認知障害 (MCI) の高齢者も約400万人いると推計

65歳以上の4人に1人が認知症とその “予備軍” となる計算で、政府は早急な対策を迫られそうだ

それと有病率は、年代別にみると、74歳までは10%以下だが、85歳以上で40%超となり、ほとんどの年代で女性の方が高かった


と、高齢者にとってはいささかショッキングな内容だった

今日も妻と近くのスーパーで買い物、その後空堀川沿いを歩いて帰った

家に着いてDKに入り、いつも食パンを入れている籐の小籠を見た私は ”ああ~ しまったあ~ 忘れたあ~” と、思わず叫ぶところだった

いつも食材や日用品が無くなるとメモ用紙にその名前を書いて、買い忘れが無いようにしているつもりで、買い物に行く時はそのメモ帳を
必ず持って行く習慣にしている

今日のメモ帳を見ると買う食材の中に確かに 「パン6」 と書いてあり、それは 「食パンの6枚切り」 の略語だが、それなのに買い忘れに気付かずに帰ってしまい、小籠を見てそれに気付いたのだ

買い物中には二、三度そのメモ帳を見た記憶があるがそれでも 「パン6」 を忘れたことは少し情けなくなってしまった

こんな買い忘れはもう何回もあるが、もしかしたらそれは 「痴呆症の始まりか?」 と、また悪い結果だけに結び付けてしまった

だが、昨日の昼食、夕食の献立は全部憶えているので 「まだ俺は痴呆症ではない」 と、自己弁護しているが大丈夫であろうか?

妻を介護している私が、もし痴呆症になったらどうなるか? と考えるだけでも私たちの生活は成り立たなくなる

「私は何も要りませんから、どうぞ痴呆症だけにはなりませんように」 と4人の1人にならないように神仏にお願いするばかりだ

食パンを買い忘れた私、妻を独り留守番させて、自転車でまたスーパーへ行き 「パン6」 を買ってきました

これからは 「メモ帳に書かれた項目を良く見て買い物すること」 それが今日得た教訓でした

でも 「65歳以上の4人に1人が認知症とその “予備軍” 」 とは? どうなるのでしょうか? 私たちの将来は?