日暮らし通信


その日暮らしの生活でも、感謝しています

日頃、見た事・聞いた事・感じた事・そして言いたい事などを発信します

「全生園」 と 「国立ハンセン病資料館」

2014年07月31日 21時23分02秒 | 日暮らし通信


今日は東村山市にある 「国立療養所多磨全生園(たまぜんしょうえん)」 を散策することにした

全生園は全国にある国立ハンセン病療養所の一つでハンセン病患者の収容施設であり
現在も過去に収容されたハンセン病患者の治療・看護等を行っている
しかし我が国のハンセン病対策については忘れてはならない暗い歴史があることも事実である

ここは広大な敷地の中に様々な施設があるが、今は園内には自由に入ることが出来る

ハンセン病患者の悲惨な歴史を振り返りながら、まずは次の碑文を見ていただきたい
これは東村山市が 「いのちとこころの人権の森宣言」 を記念した石碑である




 写真説明: 「いのちとこころの人権の森宣言」 碑文
 撮影場所: 全生園にて


私が次に訪れたのは園内東側にある納骨堂、あまりにもひっそりと静寂そのものだ
この納骨堂には多磨全生園の開設以来、園内で死亡した入所者の遺骨が納められている

納骨堂に刻まれた言葉は 「倶会一処倶会一処(くえいっしょ)
 「死しても浄土にてまた逢おう」 との意味を込めると言う

納骨堂傍の石碑には建立の主旨、経緯が刻まれているが
そこに記す3,493人は建立当時の数字で現在はもっと増えているのだろう
その多くの遺骨は家族に引き取られることもなく、孤独無縁のままここに眠っている






 写真説明: 納骨堂 と 碑文
 撮影場所: 全生園にて


園内北側の鬱蒼とした森の中に 「永代(ながよ)神社」 がひっそりと建っている
昭和9年 (1934) に当時の入所者たちの手で立てられた神社である
入所者は様々な面で自由を束縛されたが、信仰の自由は保証されたのだろう

しかしこの神社自体も苦難に遭う
戦後GHQの指令により神社は撤去されたが
昭和30年に再度建立されて現在に至っている




 写真説明: 永代神社社殿
 撮影場所: 全生園にて


最後に訪れたのは全生園の敷地内にある 「国立ハンセン病資料館」
平成5年 (1993) に開館した
ハンセン病患者・回復者たちが生き抜いてきた証しを残し
私たちの社会に同じ過ちが繰り返されないことを願っての開館だった

私が二階の展示室に行くと既に女性7人が見学中で私だけが男性だった
女性はいずれも若い年代、熱心に資料を閲覧していた

見学した感想を述べるには長い時間を頂きたいので省くことにするが
日本のハンセン病対策で誤ったのは治療より隔離政策を優先したことだと私は思った

それと私は知らなかったのだが、多くの子供さんも強制隔離を余儀なくされたことを資料は訴えていた
親と一緒に入所してもすぐに引き裂かれて、もう永久に会えなかった悲劇はあまりに涙を誘う

日本のハンセン病対策の歴史を振り返ると、あまりも悲惨で残酷な人命無視ばかりが目立つ
おそらくは牛馬よりも劣悪な状況の中で患者たちは過ごすことを強制された
(むご)い歴史の連続だと私は感じた
これからはそれを光明に転ずることをぜひ国は先行して実行するように願うばかりだ

もう一つ謎が解けたことがある
土地の者は全生園を 「ぜんせいえん」 と呼んだ
だが 「ぜんしょうえん」 が正式名称だ、何故だろうか?
それは全生園 (ぜんしょうえん) の前身は 「全生 (ぜんせい) 病院」 だと資料の中にあった
おそらくはそれが混同して土地っ子は 「ぜんせいえん」 と呼んでいたのだろう

 「国立ハンセン病資料館」 、もう一度見学したいと思っている




 写真説明: 国立ハンセン病資料館全景
 撮影場所: 国立ハンセン病資料館にて


お寺さんへ

2014年07月30日 16時51分32秒 | 日暮らし通信

今日の気温は昨日と同じくらいだが、違うのは湿度
昨日の湿度は39%、今日は70%と蒸し暑さは格段の違いで
昨日の気温は32度だったが、カラッとしてあまり暑さは感じなかった
湿度というのは意外と私たちの生活には影響しているようです

今日は自転車でお寺さんへ
旧盆の8月12日にはお寺さんで 「大施餓鬼(せがき)法要」 が厳修されるが
その時のために壇信徒は決められたお盆供養料 (盆供) を納めるように決められている

盆供 (土地っ子はボンコと言っている) は戒名によって異なるが
このお寺さんでは院号居士:一万五千円、居士:一万円、信士:七千円、禅定門:五千円となっていて
新盆のお宅ではその盆供料の倍額となっている

それと強制ではないが護摩木 (一本三千五百円) を頼むのも慣例となっているが
ある時からその長さが短くなったのは何故なのだろうか?

盆供がどのような根拠で決められたかは知る由もないが
違う宗派の人に話したら 「えっ、そんなに高いの?」 と驚いていた

昔はこの辺りでもお坊さんが一軒一軒回って盆供養をした
子供の頃は終わると始まるお坊さんの説教を神妙な気持ちで聞いたものだった
しかし、今ではお坊さんを見るのはお葬式の時くらいになってしまった

若い人は領収書も出ないこのような出費に馴染めない人もいるようだが
これからはある程度透明化しないとお寺さんと壇信徒の関係も昔のようには成り立たないだろう

このお寺さんへ自転車で行くのは始めてだったが
途中で花でも撮ろうかと期待したのだが、意外とシャッターチャンス無し
この夏の時期、路肩に咲く花は少ないようでした









蝉 と ヒマワリ

2014年07月29日 20時36分16秒 | 所沢航空記念公園

園内は蝉たちの鳴き声で賑やかになった

その声はそれぞれの蝉が勝手に鳴いているようだが
ひょっとしたらコンダクターかリーダーのような蝉がいて
テレパシー風な楽譜を元にそれぞれの蝉が
自分に与えられた音調を守って鳴いているのかもしれない

そんな空想を持ちながら聞いていると
その賑やかさも一つのリズムとなって私の耳に入ってくる

蝉たちはその声で存在をアッピールしているが
ヒマワリたちはその花の艶やかさで自らを鼓舞しているようだ

公園中央の斜面花壇にはたくさんのヒマワリが只今満開だ
多くの花は太陽に向かっているが
中にはソッポを向いている花もあるのは人間社会と同じだ

”ヒマワリはいいねえ~” と声を掛けたくなるが
花一輪の風情も好きだが
このヒマワリのような多輪花の情景からはまた格別な美しさが迫ってくる

”夏の花はヒマワリ” と決めつけている私にとっては
この ”ヒマワリ繚乱” は暑さを忘れさせてくれる夏の好きな情景でもある





  写真説明: ヒマワリ 二景
  撮影場所: 所沢航空記念公園



妻の髪の毛をカットしました

2014年07月28日 21時10分11秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

サフィニア

路傍にて



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妻を介護するようになってから予期せぬことをするようになったが、その一つが妻の髪の毛をカットする仕事だ。

何故私がそんな美容師さんみたいなことを? と私も不思議な心境だった。

街中(まちなか)の美容院か、いま流行(はや)りのQB (千円カット) に行くか、それともディサービス施設でも出張カット屋さんが来るのでそこでカットしてもらいたいのが私の本音だ。

ところが妻は 「お父さんお願いします」 と、(かたく)なに私の願いを受け入れるつもりはなさそうだ。

そう頼りにされるなら 「仕方ない」 と、何とか(はさみ)(くし)を持ってカット作業を始めたが、もう何年も続いている。

今日午後2時過ぎ妻を椅子に座らせてまたカット作業開始。

正直言って毎回このカット作業の結果に満足したことはないが、ただ妻の髪の毛をカットしていると、何か切ない気持ちになる。

元気なら自分好みの美容院でカットしているであろう妻が、夫のぎこちない鋏(さば)きに任せていること事態がアブノーマルなことだ。

今日の結果も 「不出来なカット」 と自分で評価、でも私にはどうしようもないカット作業です。

終わってから妻に 「今日もあまり上手(うま)くできなくてご免な」 と言いながら手鏡をかざしてカット後の髪の毛を見てもらいました。

 「短くなったね、ああ、サッパリした」 との感想でしたが、私はこの返事で大満足です。

ところで ”妻はどんな髪型か?” と、お尋ねですか?

はい ”私好みであるボーイッシュな短めな髪型です” 






私のいじめ思考

2014年07月27日 19時51分23秒 | ちょっと一言

日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

小学生たちが植えた日々草

所沢航空記念公園



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今日の朝刊に小学生女子がいじめが原因と思われる自殺記事があったが、内容は大事(おおごと)なのに一段記事扱いとは少し不満だ。

小学生が自殺する? そのこと事態を理解できない私だが、いじめに遭って悩み、苦しんだ胸の内を私は共感することができそうだ

何故なら私も中学二年の時に厳しいいじめに遭ったからだ

私は貧しい家庭の子、そして標的にされたのは頭の小さな禿げた部分だった

小さい頃、私はよろけて倒れ、針箱の角に頭をぶつけて受傷、それが2センチほどの丸い禿げとなったが、母は 「私の不注意でお前に傷を残してしまった」 と、時々私に謝るように嘆いていた

その禿げをいじめっ子たちは私を責める格好の理由とした

休み時間になると必ず彼らのいじめが始まる。私はじいっと堪えて時が過ぎるのを待つしかなかった

いじめるのは三人。いずれも自営業の息子たちで裕福な環境の中で育っている

先生も誰も助けてくれない。当時はいじめという行為そのものが存在しなかったのだろう

でも私はそんなに苦痛だとは思っていなかった。 「馬鹿どもたちがまたか?」 と思ったこともなかったが、そのいじめの時間が過ぎるのをひたすら待っていた

当時、いじめなどが問題視されることもなかった。私も特別な感情はなかったように思うのが、現代の認識とはかなり違ったようだ

いじめから自殺? いじめられても私は ”死” という難しい選択を考えたことなど一度もなかった

いじめの時は厳しかったが、家に帰れば母親の温もりがあるから、耐えることができたのかもしれない

それが今どきでは若い小学生が簡単に死を選ぶようになった背景とは一体何なのであろうか?

そんな私へのいじめも三年になると学級替えがあって自然消滅、私も平穏なクラスの雰囲気の中で授業を受けるようになった

だがいじめを受けたことは将来忘れることはない

いじめたのは八百屋の息子のK、魚屋の息子のY、そしてリーダー格だった金物屋の息子のEと今でも忘れない

いくら誘われても中学の同窓会には行く気はしない

いつだったか? その三人が糖尿病で苦しんでいると聞いた

しかし私は 「ざまあ~みろ」 と喜びはしなかった

その三人が一度でもいいから 「俺たちがいじめた奴がいたなあ~」 と、振り返えれば私も許すことを考えるだろう

新聞記事にあった女子小学生へ

早く逝ってしまいましたね。私もいずれはその辺りに行くでしょう

そうしたら私とゆっくりお話しましょう、待っていてください





7 の不思議

2014年07月27日 13時37分28秒 | ひこうき雲




   写真説明: テイクオフする Boeing 777 (JAL JA773J)
   撮影場所: 第二ターミナル展望デッキにて (羽田空港)

今年は航空機事故が多発、整理してみると

3月8日 マレーシア航空370便 (ボーイング777型) がタイランド上空で消息を絶ち、行方不明

7月17日 マレーシア航空17便 (ボーイング777型) がウクライナ東部のドネスクで墜落 (撃墜?)

7月23日 台湾の高雄発復興航空機 (ATR72型プロペラ機 機体番号:B-17008) が澎湖島の空港付近に墜落

7月24日 アルジェリア航空機5017便 (MD83型機) が消息を絶って行方不明

と立て続けに事故が起きている

ところで上記4件の事故で日付以外の内容を見ていると、私は妙に引っかかることがある

それは私の勝手な推理だがどの内容にも ”7” の数字が含まれていることだ

単なる偶然の重なりあいであろうが、私は不思議なことだと思っている

それにしても多くの方々が亡くなられ、それを取り巻くご家族の悲しみは頂点に達している

その悲しみに対して、心から哀悼の意を捧げます



雷様は怖いです

2014年07月25日 18時14分27秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

ノウゼンカズラ

路傍にて



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昨日は18時過ぎから激しい雷雨になって、私が住む東村山市にも 「大雨、洪水注意報」 が発令された。

激しい稲妻(いなずま)と叩きつけるような雨の降る音に妻は(おび)えるように私の手を握り締めた。

こんな雷雨の時、私はもう逝ってしまった妻の両親を想い出した。

畑持ちの両親は仲が良く、毎日二人で農作業に打ち込んでいた。しかし、例え遠くでも雷鳴が聞こえると金属製の(くわ)や鎌は畑の境界線に植えてある茶の木の下に置いて家に帰った。

雷雨になるようだと仏壇に線香を焚き、居間に蚊帳(かや)を張ってその中に入り、二人でじいっと座っている姿は私には異様にも見えた。

それは(あたか)も雷に対して迷信を信ずる古い人の時代遅れの感覚だと、私はそんな目線で両親を眺めていた。

しかしそんな嘲笑(ちょうしょう)じみた私の考えを一瞬に吹っ飛ばす出来事があった。それはある暑い夏の夕方のことだった。

明るかったのに一転(にわ)かに暗くなって雷鳴が(とどろ)き激しい雨が降りだした。

当時、我が家は石油ボイラーによる給湯装置だったが、電源を切ることもせず、私はそんな雷鳴に躊躇(ちゅうちょ)せず入浴することにした。

浴槽に入って間もなく、凄い音とともに近くに落雷したらしい。

その瞬間、私の体は良導体となって地中を伝わってきた電流が左足から体内に流れ、心臓から約20センチ下まで通電した。

私は恐怖に打ちのめされた。もう少し電流が流れて心臓から抜ければ完全に死の体となっていたはずだ。

おそらくは落雷によって巨大な容量の電流がアース線を経て給水装置に逆流したのだろう。

この出来事はそれまでの自然のエネルギーに対する考えを一変することになり、呼び捨てにしていた名称も 「雷様(かみなりさま)」 と呼んで一目(いちもく)置くこととなった。

先人たちは雷様の恐ろしさをよく知っていた。

両親が蚊帳の中でじいっと時が過ぎるのを待っていたのも、正しく先人たちの経験と知恵の教訓であったのだろう。

鍬や鎌を持たずに帰るのも、金属だから途中で落雷の恐れを回避する方法を知っていたのだ。

 「地震、雷、火事、親父」 と怖いランクを決めたのも先人たちのデータ蓄積の分析結果だったのだろう。

1~3位までは全くその恐ろしさは変わっていないが、4位の 「親父」 だけは ”張り子の虎” のように ”怖さ” が失墜してしまったのは私も親父だから残念だ。

今夕は雷様の出番もなく穏やかに暮れていくようです。

雷様、どうか暫くお休みください、とお願いしました。





夏の花は ヒマワリ

2014年07月24日 20時53分40秒 | 日暮らし通信

昼下がり、自転車で走っていたら、路肩の一画が突然明るくなった

ヒマワリが数本、それぞれ花を咲かせていた

夏の花は? と問われれば ”ヒマワリ” と私は答える

花を見つめると ”見事だねえ~” ”鮮やかだねえ~” と声をかけたくなった

おっともう一つ忘れていた ”綺麗(きれい)だねえ~” の褒め言葉を






梅雨明け後の空堀川散策

2014年07月23日 19時53分02秒 | 空堀川散策

いつもこのブログにアクセスしてくださる皆様へ
 暑中お見舞い申し上げます
 今年の夏も厳しい暑さが続くようです
 皆さまにはご自愛の上、毎日をお過ごしください

昨年に比べて16日遅く昨日梅雨明け、そして今日は 「大暑」 です
これから年寄りは暑さには要注意です
エアコン代を気にせずに暑さを(しの)ぐことにしましょう

梅雨が明けていろいろと予定している仕事があるのですが
8時半過ぎ、妻がDS (ディサービス) に行くと、すぐ空堀川沿いを40分ほど散歩しました
でもね~ この川は一級河川なのに何で水が流れていないのでしょうか?

今は川沿いに咲く花も少ないのですが
私の行く手を(はば)むように咲いていたのがこの芙蓉(ふよう)です
この花大輪です
いつも花をアップで撮る時はカメラをかなり近付けるのですが
この花は逆に少し下がらないとファインダーに入らないほどの大輪です

こんな大輪を見ていると ”どうだあ~” と
言わんばかりに精一杯咲いているようで、その勢いに引き込まれてしまいそうです
そして私に ”あんたも元気で頑張ってるか?” と、私がエールを貰ったようにも感じました 
アオイ科である芙蓉の花言葉は 「繊細(せんさい)な美」 「しとやか」 とか
大輪の花にしては細かい情感のある言葉です
それにしても槿(ムクゲ)とよく似ています  




この川沿いの散歩はあまり変化の無い景色が続くのを見るだけです
川沿いにはこの写真のように住宅が密集しています
自然豊かな所にお住まいの方はこんな光景は疲れるでしょうね
この辺りは昭和30年代は畑ばかりで、人が住むなんて考えられない土地でした
空堀川は蛇行が激しく豪雨の時は暴れ川になって、氾濫(はんらん)を繰り返していました
その後、川が直線化されるように護岸工事が行われたので氾濫は無くなりました




川沿いにある民家のフェンスでこの写真を撮りました
(つぼみ)? それとも実? お判りでしょうか?
これは 「トケイソウの実」 です
私がここで満開のトケイソウの花を撮ったのは6月12日のことでしたから
その後、このようにふっくらと実に変化したのでしょう
トケイソウは500種類もあると最近知りました
中には食用の種類もあるそうですが
この実を見ていたら何か美味(うま)そうな気になりました




夏向きな俳句を一句

  「蝉時雨 人なき寺の 昼下がり」   読み人知らず




ミズキ と ヒマラヤスギ

2014年07月22日 20時58分49秒 | 所沢航空記念公園

今日は見てみたい所があるのでコースを少し変更して歩きました

その途中珍しい光景を二つ見ました

その一つはヒマラヤスギの松かさです

ヒマラヤスギは、マツ科ヒマラヤスギ属の常緑針葉樹なのでマツの仲間です

だからマツボックリと同じようにこんな樽型の松かさが成るんですね

ここには5本くらいヒマラヤスギの大木が並んでいますが松かさがあるのは一本だけです

やはり雄の木、雌の木があるのでしょうか?




二つ目はミズキの実です

ミズキはミズキ科ミズキ属の落葉高木。別名はクルマミズキ (車水木)

私はこの木に気付かなかったのですが、鳥の鳴き声が賑やかなので判りました

鳥たちはこの実を好んで食べているようでした




今日は蝉たちの鳴き声が賑やかになりましたが、まだまだこれから調子が上がるはずです

関東甲信地方では今日梅雨明けとなりました
昨年に比べて16日遅く、平年より1日遅い梅雨明けでした


妻の宅配弁当

2014年07月22日 16時46分18秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

コスモス

所沢航空記念公園



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妻が夕食時に宅配弁当を食べるようになってから四年が過ぎた。

それまでは私が苦手な食事作りで何とか済ませていたが、ある時期、妻の体重がかなり増えてしまった時は途方に暮れてしまった。

 ”これは食べ物のせいだ” と悩み ”どうしようか?” と、さらに悩む日が続いた。

そこで思いついたのが宅配弁当だった。

だがこの宅配弁当、何社も業者があるのにはこれまた始めて知ったことだった。

何社か試食もしてみたが、結局大手業者の宅配弁当にすることにした。

決めた理由は弁当内容にもあったが、一番の決め手はその弁当を配達するご夫婦の対応だった。

私より年上のご夫婦が何故弁当配達をするのか? まして二人で仕事しているのに、一人分しか時給がもらえず、更に自動車、ガソリン代が自分持ちなんて、私には考えられないことだった。

失礼だと思ったが最初にお会いした時に聞いてみた。

 「この歳で家でゴロゴロしていてもしょうがないので」 と、私が心配していたことなど全く意に介さない簡単な返事だった。

この一言で私はこのご夫婦に宅配を頼むことにした。

品があるご夫婦の態度は穏やかそのものだが、私は ”このような夫婦の生き方もあるのか” と感心することばかりだった。

そのご夫婦もご主人の膝の調子がよくないとのことで今年の三月で仕事終わりになってしまった。

ところが代わりに配達するようになったのが、同じように私より年上のご夫婦だった。

同じように質問してみたが、答えが前のご夫婦と同じなのにはまた驚いた。

この両夫婦を見ていたら、いずれも奥さん主導型でご主人は裏方タイプ、奥さんがグイグイと引っ張るご夫婦のようでした。

後日譚(ごじつたん)だが妻の体重増加はあながち私の作った食べ物だけのせいだけでは無く、薬の後遺症でもあることも判った。

そう言えば体重増加当時撮った妻の顔は薬の影響なのかかなり浮腫(むく)んでいたのは不憫な感じそのものだった。

いろいろあったが妻の体重は元に戻った。退院後の痩せた時に買ったジーパンが穿()けるようになったのは有難いことだ。






私たちの散歩事情

2014年07月21日 15時53分18秒 | 所沢航空記念公園

妻と散歩していたら、後から
 「あら~、いいわねえ~、羨ましいわ」 と老婦人から声がかかった
私が妻の手を引いて歩いている姿に興味を持ったらしい
 「そんな浮いた話ではなく、これには事情があって」 と、説明したいところだが
その老婦人はお構いなしに私に話しかけた

もうご主人は何年も前に亡くなったこと、夫婦で手を(つな)いで歩いたことなど無かったこと
などがその内容だった
さらに 「私たちは親が決めた結婚だったの」 とのことだった
でもご主人は優しい人だったらしいから、その結婚は幸せだったのだろう
と、こんな経緯(いきさつ)もあって今日の散歩も終わりました

途中、時計塔の下でたくさんのヒヨドリが群れていた
この場所にはよくヒヨドリがいるのだが
何か餌になるものがあるのだろうか?
私もヒヨドリになりたいと思った
そうすれば自由に大空を高く飛んで自由に動き回れるのに




私たちが歩いていると、その老婦人と同じような言葉を何回もかけられたことがある
 「夫と妻が手を繋いで歩く」 という姿が特異なのだろうか?
それともある種の羨望感(せんぼうかん)があってのことなのだろうか?
妻の手を引いて歩くのには次のような裏話がある

あの大震災が起きて一週間後、空堀川沿いを歩いていて妻が転倒
 「しまった」 と叫んだがどうにもならなかった
右手の腫れが心配になってすぐ整形外科へ
 「右手橈骨遠位端(とうこつえんいたん)骨折」 との診断で全治二か月とのことだった
この事故は私にある反省心をもたらした
それまでは歩くときは妻の左側で注意をしていたのだが、
その注意心が散漫だったことが悔やまれた
その対策が 「妻と歩く時は右手で妻を支える」 ことだった
それ以後その対策を守ることが散歩時の普通の動作となった

先日ある方から花の名を教えてもらった
そのアメリカハマグルマは曇空(くもりぞら)(もと)でも鮮やかだった




なぜこんな悲劇が

2014年07月20日 20時58分17秒 | ひこうき雲



写真説明; JA757A (ANA B777 通称トリプルセブン)
撮影場所: 第二ターミナル展望デッキから (羽田空港)

この文章は私の深い悲しみと憤りの中で文字を綴った、しかし怒りは納まっていない

マレーシア航空機 (写真と同型機) がウクライナ東部上空で撃墜された
なぜ民間航空機が撃墜されたのだろうか?
だが原因は明らかだ
誰かが、または何処かの組織がミサイルを撃って撃墜した
でもそのミサイルはそう簡単に操作出来る訳ではない
ある高度の訓練を受けた者が操作した可能性があるから大国の援護が垣間見える
テレビニュースで見る墜落現場の様子は悲惨そのものだ

その現場で明らかに残っているのはエンジン部品だ
今の機体外板は軽いから簡単に悲惨する
だがエンジン部品は強固だ
熱に強い合金を使用しているから簡単には飛び散らない
テレビの画面にはエンジン部品であるタービンやファンブレードが映っていた

この写真と同型機が1万六百メートル上空で撃墜された
おそらくは乗員乗客は瞬時に自らの意思を失ったことだろう
またこの機体には多くの幼子が同乗していた
そんな(むご)いことをした加害者が許される筈が無い

ただただ犠牲者の皆さまに哀悼の意を捧げます   合掌


蝉しぐれ

2014年07月20日 15時52分32秒 | 所沢航空記念公園

今日もまた8時半過ぎから妻と園内を散策した

梅雨明けは未だだが園内数か所で蝉の鳴き声が聞こえた
でも本調子に近付いた声もあれば
まだ調子が上がらない声もあるようだった
鳴く時間もまちまちで
少し長めもあれば、すぐ鳴き止んでしまう蝉もいた
今は蝉の鳴き声は ”リハーサル” の時かもしれません
蝉はまだ鳴き出したばかり、全く聞こえない静かな場所もあった

池の遊歩道を歩いていたら妻が 「あっ 蝉だ」 と言った
蝉? どこ? と見上げたが 「違うよ、そこだよ」 と近くを指差した
それは蝉の抜け殻のことだった
よく見ると葉の上にきちんと蝉の形が残っている
こんな場所でも脱皮するのかと生きものたちの営みに驚いた
でもこの蝉、まだ命があるかのようで、すぐにでも動き出しそうな気配だ
 「私の大切な衣装だから、大事にしてください」 と言わんばかりだ
 「はい、判りました」 と数枚撮らせていただきました
しかし、見れば見るほど立派な抜け殻です



私の好きな言葉に 「蝉しぐれ」 がある
それどういう意味? 調べたら

 「しぐれは時雨(しぐれ)で雨のこと。多くの蝉が雨のごとく鳴きしきる事をいう」

とのことです
そう言えばこの園内でも蝉たちの大合唱で
(うるさ)いほどの声で鳴く時期があるが
それが 「蝉しぐれ」 なんですね

 「蝉しぐれ」 と言えば私の好きな演歌歌手・福田こうへいさんを思いだす
ふと 「南部蝉しぐれ」 を口ずさんでしまいました

園内はまだまだ 「蝉しぐれ」 には時が必要なようだが
これからは蝉たちの鳴き声が日毎(ひごと)ヒートアップするのは間違いないだろう


公園に咲く花たち

2014年07月19日 19時31分26秒 | 所沢航空記念公園

8時過ぎ、表に出たらポッツリ、ポッツリと小さな雨が落ちている
 「散歩は駄目か?」 と思案した
でも 「行ってみるか、降ってきたら帰ればいいや」 と妻を誘って家を出た
公園まで約3キロを走る
今日は道路も空いていたので助かった
私にとっては妻との散歩がその日のメインとなる仕事
そんな状態がもう9年も続いている

園内を歩きながら、あまり何も考えないのだが
花が咲いているとそれを興味深げに見る
そしてそれを撮るのが私の習性のようにもなっている
だが、この時期の園内は咲く花も少ない

まず目についたのがこのレンゲ
妻の好きだったタンポポは既に咲き終わり
その代わりに妻が興味を持っているのがレンゲ
見つけると必ず 「あっ、レンゲだ」 と私の手に力を込める
そのレンゲも日毎少しずつ数が減っている




私はあまり草花の名を知らない
知らないと 「名知らずの花」 と言うことにしている
だが、この 「名知らずの花」 たちは意外と可憐なのだ
この花は菊系統だろうが名を知らないから取りあえず 「野菊」 と呼んだ
黄色系の花は周りを明るくする
どんよりとした梅雨空の下でもこの花の艶やかさを見ると何故かホッとする




曇り空でのムクゲも鮮やか
この種類は千利休(せんのりきゅう)の孫、宗旦が愛したことから
ソウタンムクゲ (宗丹槿(そうたんむくげ)) と呼ばれているとか
この花は日の丸のようで、夏の時期でも清涼感を漂わせて咲いている

八重のムクゲにはまた違った風情(ふぜい)を感じる
そっと花びらに触れてみたくなるように私を誘う
ムクゲは10月頃まで楽しめる
その頂点に花が咲き終わるともう寒さを心配する時期になる






早乙女草(さおとめそう)は植え込みなどに(から)んで咲いている
でもこの花、下品な別名も持っています
今日園内で探したが、撮れそうなのはこの花だけでした




街中ではもう終わろうしている紫陽花(あじさい)
この公園ではまだ清楚さを失わずに咲いている
梅雨の時期、雨に似合うのはやはり紫陽花だった




この花も 「名知らずの花」 だ
花は小輪だが仲間が集まって多輪となって美を競う
小輪の 「名知らずの花」 はいつも私を惹きつける




花模様の終わりはこのコブシの実
この実はいつも私の愛すべき友達である
それが判るのかこの実だけは葉隠れせず下に向かって大きくなっている
 「こんにちは、どうぞ撮ってください」 と私に語りかけてくる
 「立派な実になったね」 と私、見る度に大きくなっている
コブシの実を見ると千昌夫さんの 「北国の春」 を想い出す




不粋(ぶすい)な私でも花を見ると何故か気持ちが落ち着く
日課の妻との散歩、それをサポートしてくれるのは四季に咲く花たちでもある

今日は傘を持っての散歩になりましたが
 「お前たちの散歩が終わるまで降らせないから」 との天の心遣いに感謝しました