今日は東村山市にある 「国立療養所多磨全生園」 を散策することにした
全生園は全国にある国立ハンセン病療養所の一つでハンセン病患者の収容施設であり
現在も過去に収容されたハンセン病患者の治療・看護等を行っている
しかし我が国のハンセン病対策については忘れてはならない暗い歴史があることも事実である
ここは広大な敷地の中に様々な施設があるが、今は園内には自由に入ることが出来る
ハンセン病患者の悲惨な歴史を振り返りながら、まずは次の碑文を見ていただきたい
これは東村山市が 「いのちとこころの人権の森宣言」 を記念した石碑である
写真説明: 「いのちとこころの人権の森宣言」 碑文
撮影場所: 全生園にて
私が次に訪れたのは園内東側にある納骨堂、あまりにもひっそりと静寂そのものだ
この納骨堂には多磨全生園の開設以来、園内で死亡した入所者の遺骨が納められている
納骨堂に刻まれた言葉は 「倶会一処倶会一処
「死しても浄土にてまた逢おう」 との意味を込めると言う
納骨堂傍の石碑には建立の主旨、経緯が刻まれているが
そこに記す3,493人は建立当時の数字で現在はもっと増えているのだろう
その多くの遺骨は家族に引き取られることもなく、孤独無縁のままここに眠っている
写真説明: 納骨堂 と 碑文
撮影場所: 全生園にて
園内北側の鬱蒼とした森の中に 「永代
昭和9年 (1934) に当時の入所者たちの手で立てられた神社である
入所者は様々な面で自由を束縛されたが、信仰の自由は保証されたのだろう
しかしこの神社自体も苦難に遭う
戦後GHQの指令により神社は撤去されたが
昭和30年に再度建立されて現在に至っている
写真説明: 永代神社社殿
撮影場所: 全生園にて
最後に訪れたのは全生園の敷地内にある 「国立ハンセン病資料館」
平成5年 (1993) に開館した
ハンセン病患者・回復者たちが生き抜いてきた証しを残し
私たちの社会に同じ過ちが繰り返されないことを願っての開館だった
私が二階の展示室に行くと既に女性7人が見学中で私だけが男性だった
女性はいずれも若い年代、熱心に資料を閲覧していた
見学した感想を述べるには長い時間を頂きたいので省くことにするが
日本のハンセン病対策で誤ったのは治療より隔離政策を優先したことだと私は思った
それと私は知らなかったのだが、多くの子供さんも強制隔離を余儀なくされたことを資料は訴えていた
親と一緒に入所してもすぐに引き裂かれて、もう永久に会えなかった悲劇はあまりに涙を誘う
日本のハンセン病対策の歴史を振り返ると、あまりも悲惨で残酷な人命無視ばかりが目立つ
おそらくは牛馬よりも劣悪な状況の中で患者たちは過ごすことを強制された
惨
これからはそれを光明に転ずることをぜひ国は先行して実行するように願うばかりだ
もう一つ謎が解けたことがある
土地の者は全生園を 「ぜんせいえん」 と呼んだ
だが 「ぜんしょうえん」 が正式名称だ、何故だろうか?
それは全生園 (ぜんしょうえん) の前身は 「全生 (ぜんせい) 病院」 だと資料の中にあった
おそらくはそれが混同して土地っ子は 「ぜんせいえん」 と呼んでいたのだろう
「国立ハンセン病資料館」 、もう一度見学したいと思っている
写真説明: 国立ハンセン病資料館全景
撮影場所: 国立ハンセン病資料館にて
今日の気温は昨日と同じくらいだが、違うのは湿度
昨日の湿度は39%、今日は70%と蒸し暑さは格段の違いで
昨日の気温は32度だったが、カラッとしてあまり暑さは感じなかった
湿度というのは意外と私たちの生活には影響しているようです
今日は自転車でお寺さんへ
旧盆の8月12日にはお寺さんで 「大施餓鬼
その時のために壇信徒は決められたお盆供養料 (盆供) を納めるように決められている
盆供 (土地っ子はボンコと言っている) は戒名によって異なるが
このお寺さんでは院号居士:一万五千円、居士:一万円、信士:七千円、禅定門:五千円となっていて
新盆のお宅ではその盆供料の倍額となっている
それと強制ではないが護摩木 (一本三千五百円) を頼むのも慣例となっているが
ある時からその長さが短くなったのは何故なのだろうか?
盆供がどのような根拠で決められたかは知る由もないが
違う宗派の人に話したら 「えっ、そんなに高いの?」 と驚いていた
昔はこの辺りでもお坊さんが一軒一軒回って盆供養をした
子供の頃は終わると始まるお坊さんの説教を神妙な気持ちで聞いたものだった
しかし、今ではお坊さんを見るのはお葬式の時くらいになってしまった
若い人は領収書も出ないこのような出費に馴染めない人もいるようだが
これからはある程度透明化しないとお寺さんと壇信徒の関係も昔のようには成り立たないだろう
このお寺さんへ自転車で行くのは始めてだったが
途中で花でも撮ろうかと期待したのだが、意外とシャッターチャンス無し
この夏の時期、路肩に咲く花は少ないようでした
園内は蝉たちの鳴き声で賑やかになった
その声はそれぞれの蝉が勝手に鳴いているようだが
ひょっとしたらコンダクターかリーダーのような蝉がいて
テレパシー風な楽譜を元にそれぞれの蝉が
自分に与えられた音調を守って鳴いているのかもしれない
そんな空想を持ちながら聞いていると
その賑やかさも一つのリズムとなって私の耳に入ってくる
蝉たちはその声で存在をアッピールしているが
ヒマワリたちはその花の艶やかさで自らを鼓舞しているようだ
公園中央の斜面花壇にはたくさんのヒマワリが只今満開だ
多くの花は太陽に向かっているが
中にはソッポを向いている花もあるのは人間社会と同じだ
”ヒマワリはいいねえ~” と声を掛けたくなるが
花一輪の風情も好きだが
このヒマワリのような多輪花の情景からはまた格別な美しさが迫ってくる
”夏の花はヒマワリ” と決めつけている私にとっては
この ”ヒマワリ繚乱” は暑さを忘れさせてくれる夏の好きな情景でもある
写真説明: ヒマワリ 二景
撮影場所: 所沢航空記念公園
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写真説明: テイクオフする Boeing 777 (JAL JA773J)
撮影場所: 第二ターミナル展望デッキにて (羽田空港)
今年は航空機事故が多発、整理してみると
3月8日 マレーシア航空370便 (ボーイング777型) がタイランド上空で消息を絶ち、行方不明
7月17日 マレーシア航空17便 (ボーイング777型) がウクライナ東部のドネスクで墜落 (撃墜?)
7月23日 台湾の高雄発復興航空機 (ATR72型プロペラ機 機体番号:B-17008) が澎湖島の空港付近に墜落
7月24日 アルジェリア航空機5017便 (MD83型機) が消息を絶って行方不明
と立て続けに事故が起きている
ところで上記4件の事故で日付以外の内容を見ていると、私は妙に引っかかることがある
それは私の勝手な推理だがどの内容にも ”7” の数字が含まれていることだ
単なる偶然の重なりあいであろうが、私は不思議なことだと思っている
それにしても多くの方々が亡くなられ、それを取り巻くご家族の悲しみは頂点に達している
その悲しみに対して、心から哀悼の意を捧げます
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昼下がり、自転車で走っていたら、路肩の一画が突然明るくなった
ヒマワリが数本、それぞれ花を咲かせていた
夏の花は? と問われれば ”ヒマワリ” と私は答える
花を見つめると ”見事だねえ~” ”鮮やかだねえ~” と声をかけたくなった
おっともう一つ忘れていた ”綺麗
いつもこのブログにアクセスしてくださる皆様へ
暑中お見舞い申し上げます
今年の夏も厳しい暑さが続くようです
皆さまにはご自愛の上、毎日をお過ごしください
昨年に比べて16日遅く昨日梅雨明け、そして今日は 「大暑」 です
これから年寄りは暑さには要注意です
エアコン代を気にせずに暑さを凌
梅雨が明けていろいろと予定している仕事があるのですが
8時半過ぎ、妻がDS (ディサービス) に行くと、すぐ空堀川沿いを40分ほど散歩しました
でもね~ この川は一級河川なのに何で水が流れていないのでしょうか?
今は川沿いに咲く花も少ないのですが
私の行く手を阻
この花大輪です
いつも花をアップで撮る時はカメラをかなり近付けるのですが
この花は逆に少し下がらないとファインダーに入らないほどの大輪です
こんな大輪を見ていると ”どうだあ~” と
言わんばかりに精一杯咲いているようで、その勢いに引き込まれてしまいそうです
そして私に ”あんたも元気で頑張ってるか?” と、私がエールを貰ったようにも感じました
アオイ科である芙蓉の花言葉は 「繊細
大輪の花にしては細かい情感のある言葉です
それにしても槿
この川沿いの散歩はあまり変化の無い景色が続くのを見るだけです
川沿いにはこの写真のように住宅が密集しています
自然豊かな所にお住まいの方はこんな光景は疲れるでしょうね
この辺りは昭和30年代は畑ばかりで、人が住むなんて考えられない土地でした
空堀川は蛇行が激しく豪雨の時は暴れ川になって、氾濫
その後、川が直線化されるように護岸工事が行われたので氾濫は無くなりました
川沿いにある民家のフェンスでこの写真を撮りました
蕾
これは 「トケイソウの実」 です
私がここで満開のトケイソウの花を撮ったのは6月12日のことでしたから
その後、このようにふっくらと実に変化したのでしょう
トケイソウは500種類もあると最近知りました
中には食用の種類もあるそうですが
この実を見ていたら何か美味
夏向きな俳句を一句
「蝉時雨 人なき寺の 昼下がり」 読み人知らず
今日は見てみたい所があるのでコースを少し変更して歩きました
その途中珍しい光景を二つ見ました
その一つはヒマラヤスギの松かさです
ヒマラヤスギは、マツ科ヒマラヤスギ属の常緑針葉樹なのでマツの仲間です
だからマツボックリと同じようにこんな樽型の松かさが成るんですね
ここには5本くらいヒマラヤスギの大木が並んでいますが松かさがあるのは一本だけです
やはり雄の木、雌の木があるのでしょうか?
二つ目はミズキの実です
ミズキはミズキ科ミズキ属の落葉高木。別名はクルマミズキ (車水木)
私はこの木に気付かなかったのですが、鳥の鳴き声が賑やかなので判りました
鳥たちはこの実を好んで食べているようでした
今日は蝉たちの鳴き声が賑やかになりましたが、まだまだこれから調子が上がるはずです
関東甲信地方では今日梅雨明けとなりました
昨年に比べて16日遅く、平年より1日遅い梅雨明けでした
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妻と散歩していたら、後から
「あら~、いいわねえ~、羨ましいわ」 と老婦人から声がかかった
私が妻の手を引いて歩いている姿に興味を持ったらしい
「そんな浮いた話ではなく、これには事情があって」 と、説明したいところだが
その老婦人はお構いなしに私に話しかけた
もうご主人は何年も前に亡くなったこと、夫婦で手を繋
などがその内容だった
さらに 「私たちは親が決めた結婚だったの」 とのことだった
でもご主人は優しい人だったらしいから、その結婚は幸せだったのだろう
と、こんな経緯
途中、時計塔の下でたくさんのヒヨドリが群れていた
この場所にはよくヒヨドリがいるのだが
何か餌になるものがあるのだろうか?
私もヒヨドリになりたいと思った
そうすれば自由に大空を高く飛んで自由に動き回れるのに
私たちが歩いていると、その老婦人と同じような言葉を何回もかけられたことがある
「夫と妻が手を繋いで歩く」 という姿が特異なのだろうか?
それともある種の羨望感
妻の手を引いて歩くのには次のような裏話がある
あの大震災が起きて一週間後、空堀川沿いを歩いていて妻が転倒
「しまった」 と叫んだがどうにもならなかった
右手の腫れが心配になってすぐ整形外科へ
「右手橈骨遠位端
この事故は私にある反省心をもたらした
それまでは歩くときは妻の左側で注意をしていたのだが、
その注意心が散漫だったことが悔やまれた
その対策が 「妻と歩く時は右手で妻を支える」 ことだった
それ以後その対策を守ることが散歩時の普通の動作となった
先日ある方から花の名を教えてもらった
そのアメリカハマグルマは曇空
写真説明; JA757A (ANA B777 通称トリプルセブン)
撮影場所: 第二ターミナル展望デッキから (羽田空港)
この文章は私の深い悲しみと憤りの中で文字を綴った、しかし怒りは納まっていない
マレーシア航空機 (写真と同型機) がウクライナ東部上空で撃墜された
なぜ民間航空機が撃墜されたのだろうか?
だが原因は明らかだ
誰かが、または何処かの組織がミサイルを撃って撃墜した
でもそのミサイルはそう簡単に操作出来る訳ではない
ある高度の訓練を受けた者が操作した可能性があるから大国の援護が垣間見える
テレビニュースで見る墜落現場の様子は悲惨そのものだ
その現場で明らかに残っているのはエンジン部品だ
今の機体外板は軽いから簡単に悲惨する
だがエンジン部品は強固だ
熱に強い合金を使用しているから簡単には飛び散らない
テレビの画面にはエンジン部品であるタービンやファンブレードが映っていた
この写真と同型機が1万六百メートル上空で撃墜された
おそらくは乗員乗客は瞬時に自らの意思を失ったことだろう
またこの機体には多くの幼子が同乗していた
そんな惨
ただただ犠牲者の皆さまに哀悼の意を捧げます 合掌
今日もまた8時半過ぎから妻と園内を散策した
梅雨明けは未だだが園内数か所で蝉の鳴き声が聞こえた
でも本調子に近付いた声もあれば
まだ調子が上がらない声もあるようだった
鳴く時間もまちまちで
少し長めもあれば、すぐ鳴き止んでしまう蝉もいた
今は蝉の鳴き声は ”リハーサル” の時かもしれません
蝉はまだ鳴き出したばかり、全く聞こえない静かな場所もあった
池の遊歩道を歩いていたら妻が 「あっ 蝉だ」 と言った
蝉? どこ? と見上げたが 「違うよ、そこだよ」 と近くを指差した
それは蝉の抜け殻のことだった
よく見ると葉の上にきちんと蝉の形が残っている
こんな場所でも脱皮するのかと生きものたちの営みに驚いた
でもこの蝉、まだ命があるかのようで、すぐにでも動き出しそうな気配だ
「私の大切な衣装だから、大事にしてください」 と言わんばかりだ
「はい、判りました」 と数枚撮らせていただきました
しかし、見れば見るほど立派な抜け殻です
私の好きな言葉に 「蝉しぐれ」 がある
それどういう意味? 調べたら
「しぐれは時雨
とのことです
そう言えばこの園内でも蝉たちの大合唱で
煩
それが 「蝉しぐれ」 なんですね
「蝉しぐれ」 と言えば私の好きな演歌歌手・福田こうへいさんを思いだす
ふと 「南部蝉しぐれ」 を口ずさんでしまいました
園内はまだまだ 「蝉しぐれ」 には時が必要なようだが
これからは蝉たちの鳴き声が日毎
8時過ぎ、表に出たらポッツリ、ポッツリと小さな雨が落ちている
「散歩は駄目か?」 と思案した
でも 「行ってみるか、降ってきたら帰ればいいや」 と妻を誘って家を出た
公園まで約3キロを走る
今日は道路も空いていたので助かった
私にとっては妻との散歩がその日のメインとなる仕事
そんな状態がもう9年も続いている
園内を歩きながら、あまり何も考えないのだが
花が咲いているとそれを興味深げに見る
そしてそれを撮るのが私の習性のようにもなっている
だが、この時期の園内は咲く花も少ない
まず目についたのがこのレンゲ
妻の好きだったタンポポは既に咲き終わり
その代わりに妻が興味を持っているのがレンゲ
見つけると必ず 「あっ、レンゲだ」 と私の手に力を込める
そのレンゲも日毎少しずつ数が減っている
私はあまり草花の名を知らない
知らないと 「名知らずの花」 と言うことにしている
だが、この 「名知らずの花」 たちは意外と可憐なのだ
この花は菊系統だろうが名を知らないから取りあえず 「野菊」 と呼んだ
黄色系の花は周りを明るくする
どんよりとした梅雨空の下でもこの花の艶やかさを見ると何故かホッとする
曇り空でのムクゲも鮮やか
この種類は千利休
ソウタンムクゲ (宗丹槿
この花は日の丸のようで、夏の時期でも清涼感を漂わせて咲いている
八重のムクゲにはまた違った風情
そっと花びらに触れてみたくなるように私を誘う
ムクゲは10月頃まで楽しめる
その頂点に花が咲き終わるともう寒さを心配する時期になる
早乙女草
でもこの花、下品な別名も持っています
今日園内で探したが、撮れそうなのはこの花だけでした
街中ではもう終わろうしている紫陽花
この公園ではまだ清楚さを失わずに咲いている
梅雨の時期、雨に似合うのはやはり紫陽花だった
この花も 「名知らずの花」 だ
花は小輪だが仲間が集まって多輪となって美を競う
小輪の 「名知らずの花」 はいつも私を惹きつける
花模様の終わりはこのコブシの実
この実はいつも私の愛すべき友達である
それが判るのかこの実だけは葉隠れせず下に向かって大きくなっている
「こんにちは、どうぞ撮ってください」 と私に語りかけてくる
「立派な実になったね」 と私、見る度に大きくなっている
コブシの実を見ると千昌夫さんの 「北国の春」 を想い出す
不粋
日課の妻との散歩、それをサポートしてくれるのは四季に咲く花たちでもある
今日は傘を持っての散歩になりましたが
「お前たちの散歩が終わるまで降らせないから」 との天の心遣いに感謝しました