私の歴友の武藤様が久方ぶりに一乗谷を訪問されたらしく、「ほしい本があれば送りますよ」と嬉しい申し出!丁度、一乗谷と医師の特別展の図録がほしかったんです!まさに「渡りに船」。
図録『一乗谷の医師』を読んで、曲直瀬道三の話がでてきた。曲直瀬道三は畠山義綱が永禄九年の政変で追放されてから、医学面でも対幕府、対信長交渉でも頼っている人物。
その曲直瀬道三は毛利元就に対して1566(永禄9)年に中風の治療を行ったという。義綱も1568(永禄11)年に中風を煩い曲直瀬道三の指導を受けて症状の改善を図っている。つまり義綱は誰かから毛利元就の中風の治療について聞いて頼んだのではないかと思った。曲直瀬道三は毛利元就の他にも足利義輝、織田信長、豊臣秀吉、正親町天皇の治療を行うなど一流の医者だった。さらに庶民まで治療をみていたと言うから、その範囲は広い。追放された義綱が連携をするにはやや身分が違う人物である。おそらく紹介があったのではなかろうか。足利義輝?でも彼は1565(永禄8)年に暗殺されている。義輝の紹介なら、義綱がまた能登にいる頃に交流があることになるはず。だが積極的な交流は1568(永禄11)年まで見いだせない。
こういうことを考えるのが楽しいのです。いやな事も吹っ飛びます!武藤様ありがと~!
図録『一乗谷の医師』を読んで、曲直瀬道三の話がでてきた。曲直瀬道三は畠山義綱が永禄九年の政変で追放されてから、医学面でも対幕府、対信長交渉でも頼っている人物。
その曲直瀬道三は毛利元就に対して1566(永禄9)年に中風の治療を行ったという。義綱も1568(永禄11)年に中風を煩い曲直瀬道三の指導を受けて症状の改善を図っている。つまり義綱は誰かから毛利元就の中風の治療について聞いて頼んだのではないかと思った。曲直瀬道三は毛利元就の他にも足利義輝、織田信長、豊臣秀吉、正親町天皇の治療を行うなど一流の医者だった。さらに庶民まで治療をみていたと言うから、その範囲は広い。追放された義綱が連携をするにはやや身分が違う人物である。おそらく紹介があったのではなかろうか。足利義輝?でも彼は1565(永禄8)年に暗殺されている。義輝の紹介なら、義綱がまた能登にいる頃に交流があることになるはず。だが積極的な交流は1568(永禄11)年まで見いだせない。
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