畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

『一乗谷の医師』を読んで

2010-10-12 19:14:00 | 歴史
 私の歴友の武藤様が久方ぶりに一乗谷を訪問されたらしく、「ほしい本があれば送りますよ」と嬉しい申し出!丁度、一乗谷と医師の特別展の図録がほしかったんです!まさに「渡りに船」。
 図録『一乗谷の医師』を読んで、曲直瀬道三の話がでてきた。曲直瀬道三は畠山義綱が永禄九年の政変で追放されてから、医学面でも対幕府、対信長交渉でも頼っている人物。
 その曲直瀬道三は毛利元就に対して1566(永禄9)年に中風の治療を行ったという。義綱も1568(永禄11)年に中風を煩い曲直瀬道三の指導を受けて症状の改善を図っている。つまり義綱は誰かから毛利元就の中風の治療について聞いて頼んだのではないかと思った。曲直瀬道三は毛利元就の他にも足利義輝、織田信長、豊臣秀吉、正親町天皇の治療を行うなど一流の医者だった。さらに庶民まで治療をみていたと言うから、その範囲は広い。追放された義綱が連携をするにはやや身分が違う人物である。おそらく紹介があったのではなかろうか。足利義輝?でも彼は1565(永禄8)年に暗殺されている。義輝の紹介なら、義綱がまた能登にいる頃に交流があることになるはず。だが積極的な交流は1568(永禄11)年まで見いだせない。
 こういうことを考えるのが楽しいのです。いやな事も吹っ飛びます!武藤様ありがと~! 

嫌な上司への対応と分析

2010-10-12 06:29:00 | 日記
 社長に怒られたことを根にもつ私。まあ、私にも非があるから仕方ないんだけどね。もっと違う言い方があるだろって。
 そこでわかったことは、やっぱり怒るって難しい。相手に伝わるように怒らないとただ単に力で押さえつけてるだけになっちゃう。
 自分の子どもにも、伝わる叱り方ができていないなあって思う。誉めるより数倍難しいんだね。あとは叱る人との人間関係。すごく親しい人なら、少し叱られても相当堪える、つまり伝わるんだよね。だからこそ人間関係も壊れない。
 元楽天の野村監督もヤクルト監督時代に、親しくないうちは「誉める」、そして「無視する」、最後に「叱る」。私に叱られたらそれは一流の証拠と言う。まあしょっちゅう叱られてた古田敦也はいくら一流って言われても、かなり参っていたみたいだけど。

 あ~あ、嫌な上司との関係はめんどくさいな。まあ表面上はうまく見せとかないなあ。こっちの方が大人だってところで、一歩下手にでないと。顧客対応の原則と同じ感じかなあ。