ケータイからだとコメントできないので新規記事を立ち上げちゃいます(笑)
義綱はまだ能登在住1566(永禄9)年の初頭から病床で伏しているようです。家臣が京都の寺に病気治癒の願掛けをしてもらっています。この辺りにかぎがあるかな、と。ついで毛利元就が同年に同じ中風を煩っているので京都の寺院から紹介があったのかな~。あったとすれば、畠山と親しい興臨院か、温井などが親しい栗棘庵かな~。能登と京都で繋がっている寺院かもしれないし。
うぉ~これを考えるだけで胸がいっぱいに!歴史民俗に興味がでたのは武藤様と訪れた一乗谷以来なんです!それ以前は政治史の文献しか興味がありませんでした。やっぱり体験が人を変えますね!
義綱はまだ能登在住1566(永禄9)年の初頭から病床で伏しているようです。家臣が京都の寺に病気治癒の願掛けをしてもらっています。この辺りにかぎがあるかな、と。ついで毛利元就が同年に同じ中風を煩っているので京都の寺院から紹介があったのかな~。あったとすれば、畠山と親しい興臨院か、温井などが親しい栗棘庵かな~。能登と京都で繋がっている寺院かもしれないし。
うぉ~これを考えるだけで胸がいっぱいに!歴史民俗に興味がでたのは武藤様と訪れた一乗谷以来なんです!それ以前は政治史の文献しか興味がありませんでした。やっぱり体験が人を変えますね!