畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

日帰り埼玉旅行~川越編其の1~

2011-08-11 04:44:00 | 旅行・観光
埼玉県富士見市の難波田城公園から30分。早くも川越市に到着。



 川越城だった範囲には公共施設がそこっています。川越市立博物館、川越市立美術館、川越城本丸御殿の他にも学校などがあります。公有地だったという特性から城跡に学校があるのは珍しくないですが、このような市立博物館などの公共施設がそろっていると人が訪れる施設になりますね。むろん本来はすべて史跡として保存整備されるのが望ましいのは言うまでもないですが。三館共通の結構大きな無料駐車場(施設に入場するとただ)があるので、車での訪問も安心。


 では早速博物館へ。博物館、美術館、本丸御殿と蔵造り資料館の4館セットで450円という共通券があり、まだ時間もあるので4館全部回ることにしました。

 川越市立博物館は、申請すれば企画展以外、写真を撮ることが可能です。しかし、ホームページに載せるのは不可という事なので掲載できず残念。
 展示としては、やはり近世の川越藩の資料がおおいですね。城主は、酒井忠勝や松平信綱、柳沢吉保と老中など幕閣でも重要な地位の人物が多くいますから、それらの展示が多いのも納得。中世的には太田道灌の展示が多いです。私的にはなぜ北条VS古河公方・扇谷・山内両上杉連合軍との「川越夜戦」の展示があってもいいんじゃないかと思ったんですが…。



 受付で図録が売っていたので購入。企画展で戦国系のものも結構あったんですね。



 次に博物館のすぐ隣にある美術館へ。「共通券では企画展は入れませんが…」と言われたけれど、あまり美術に通じているわけではないので常設展だけを見る。


 抽象画………うちの娘が描いている絵の方がよっぽどうまいのに…って思う私の感性が美術的センスを阻んでいる。私の両親は絵が好きだが、さすがに抽象画は見ない。それを受け継いでしまったようだ。きっと私の子どもたちも…(笑)常設展示は2つあって、もう一つは油絵の風景画。近くで見ると荒っぽく描いているように見えて、遠くで見るとそれが景色として融合される…。これは素晴らしいし、見応えがあった。


 美術館を見終わった時点で11時。どこでご飯を食べよっかな。適当に店を見つけるのも面倒なので、博物館にあったティーラウンジで食べよっか。

 和風パスタ(650円)、サラダ(100円)、アイスコーヒー(有料で施設を見学した人のみ食事とセットで120円)。お客が誰もいないのでちょっと味を心配したが、平日の11時じゃ客入りもこんなもんか…と思った。結構ボリュームもあるし、味もいい。じゃあ、本丸御殿行ってみよっか。(駐車場隣の県立川越高校がソフトテニスの練習中。メッチャ大きな声出してたし、いい球が決まってた。いいなあ。)



 室町時代の川越城は扇谷上杉の領内で、上杉持朝が家臣の太田道灌(資清)に築城させました。当時関東は上野(栃木)に山内上杉、武蔵(埼玉・東京・神奈川の一部)に扇谷上杉、常陸(茨城)、下総・上総(千葉)に古河公方と激しく関東の覇権を争っていたため、扇谷上杉が領内の北端の城として築かせたと言われています。
 しかし戦国時代になると、後北条氏が台頭してきて川越城を奪われます。その奪還のために古河公方・扇谷上杉・山内上杉が連合して川越城を攻めたのが「川越夜戦」です。結果は兵数が少ない北条軍が夜襲をかけて圧勝。結果的に北条の武勇を上げて終わってしまいました。

 

 川越城には江戸期にも天守閣は無かったみたいです。そういう意味では室町系の面影を残しているとも言えそうです。明治になって廃藩置県が置かれると、城内の多くの建物は解体されてしまいます。本丸御殿は県庁、煙草工場、学校の武道館と用途を変え存続してきました。



そして、1967(昭和42)年に大規模補修が行われ、文化財として公開施設になりました。しかし、雨漏りや壁の日々が目立つようになったことから2008(平成20)年に再び大規模補修が行われ、工事が完了したのは2011(平成23)年3月26日だそうです。あまりつい最近補修したとは思えない造りだったのでびっくり。でもそれもそのはず。床板などは古い板をそのまま使うなど、見えないところを補修しているので、往年の姿をしっかりと再現しているそうな。



 平成の大規模補修の様子が展示されていました。ちなみにこの本丸御殿は広間以外は写真撮影も可能だそうです。(なのに他の客がバシバシ撮っていたのに、館員が注意してなかったな…)。



 本丸御殿らしい立派な庭があちこちにあります。見応え有。



 ドラマ「JIN-仁-」でも川越城本丸御殿が撮影舞台に使われたようで、JINのポスターや台本が置いてありました。



 この建物は本丸御殿に隣接する「家老詰所」です。明治期に解体移築されて商家になっていたものを、1987(昭和62)年に調査したところ川越城の遺構であることが確認できたので、再び解体移築して展示してあるとのこと。その商家が1987年まで残っていてよかったの運が良かったですが、解体移築される展示されているのも素晴らしいことだなあ…と感じました。



 こんなように家老が話し合っていたんですね。ちなみに本来あった家老詰所は現在では学校の敷地になっているので、若干ずれた位置に移築されました。



 家老詰所の縁側です。こう見ると室町時代の屋敷と共通点がありますね。…もしかしたら、室町時代の復元屋敷が江戸時代のを参考にして復元しているだけかもしれないケド。



 家老詰所の窓です。古代や中世だと開き戸になっていますが、江戸時代になるとこのようなすり戸になっているんでしょうか。開き戸とすり戸のメリットデメリットってなんだろうな…なんて建築学的なことを考えても、思い浮かばない…。


 さて、今回はまだまだ時間に余裕があったので、「川越歴史博物館」と「蔵造り資料館」にも行きます。その様子はまた次回。


後日談…
 家に帰ってから川越の観光マップをみたら、2010年4月に「川越城中ノ門堀跡」の復元整備が終わっていたらしい。
http://www.koedo.or.jp/cn17/pg143.html
見に行けばよかった。場所は本丸御殿そば駐車場から県立川越高校を越えたあたり徒歩7分くらいでしょうか。住宅地の中に堀と門を復元した川越市はさすが!中世の復元もお願いね。