2006年8月15日に兵庫県姫路市にある姫路城に行ってきました。その写真が倉庫から発見されたので、ついでに公開します。現在は天守閣の修理中のようで、天守閣の外観を見ることができません。修理の様子を見学できるみたいですが。
姫路城に行くために、駐車場に止めるとだだっぴろい空地がありました。説明版をみると、「家老屋敷跡公園」とありました。
酒井藩時代の筆頭家老高須隼人が屋敷を構えていた所で、現在は往年の屋敷の姿を模したお土産物屋がありました。本城だけでなくこういうマイナーなところを味わうことができると嬉しいなあと思います。
姫路城は日本の国宝であり、「世界遺産」に指定されています。室町時代は赤松領で、姫山(姫路)を治めたと言います。1580(天正8)年に秀吉が天守閣を築き近世姫路城の一歩となりました。公式サイト(http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle/)によると、現在のお城の形に近くなったのは1601(慶長6)年の大改修によってと言われています。
姫路城は、その外観の美しさから「白鷺城」とも言われます。姫路城を日本人が美しいと思うのは、やはりその白さ。そして戦火を免れ現存するという歴史からではないでしょうか。
また天守閣だけではなく、その周りの櫓なども一体化された造形美とも言える美しさも日本人が好きと思える理由かもしれません。日本人は「城」というと、戦国時代の城より、天守閣のある江戸時代の城を思い浮かべる人がほとんどです。だから明治や戦災などで失われた城を、「せめて天守閣だけでも」と復興する場合は多いのが現状です。
しかし、天守閣はあくまでも城の象徴や権威を示すだけで、防御性はほとんどありません。1615年の「大阪夏の陣」で、堀を埋められ天守閣だけになった大坂城は全く意味がなく、豊臣の滅亡になってしまったという例はあまりにも有名です。
したがって、姫路城の魅力というのは、天守閣の素晴らしさもさることながら、それと付随した施設が当時のまま残っているという点ではないでしょうか。これは、ヨーロッパの現存する城とも同じような歴史性があると思います。
近世城郭にそれほど興味がない私でも、「少なくとも一度は行きたい城」と思っていました。この大切な日本の遺産をいつまでも残していきたいです。
姫路城に行くために、駐車場に止めるとだだっぴろい空地がありました。説明版をみると、「家老屋敷跡公園」とありました。
酒井藩時代の筆頭家老高須隼人が屋敷を構えていた所で、現在は往年の屋敷の姿を模したお土産物屋がありました。本城だけでなくこういうマイナーなところを味わうことができると嬉しいなあと思います。
姫路城は日本の国宝であり、「世界遺産」に指定されています。室町時代は赤松領で、姫山(姫路)を治めたと言います。1580(天正8)年に秀吉が天守閣を築き近世姫路城の一歩となりました。公式サイト(http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle/)によると、現在のお城の形に近くなったのは1601(慶長6)年の大改修によってと言われています。
姫路城は、その外観の美しさから「白鷺城」とも言われます。姫路城を日本人が美しいと思うのは、やはりその白さ。そして戦火を免れ現存するという歴史からではないでしょうか。
また天守閣だけではなく、その周りの櫓なども一体化された造形美とも言える美しさも日本人が好きと思える理由かもしれません。日本人は「城」というと、戦国時代の城より、天守閣のある江戸時代の城を思い浮かべる人がほとんどです。だから明治や戦災などで失われた城を、「せめて天守閣だけでも」と復興する場合は多いのが現状です。
しかし、天守閣はあくまでも城の象徴や権威を示すだけで、防御性はほとんどありません。1615年の「大阪夏の陣」で、堀を埋められ天守閣だけになった大坂城は全く意味がなく、豊臣の滅亡になってしまったという例はあまりにも有名です。
したがって、姫路城の魅力というのは、天守閣の素晴らしさもさることながら、それと付随した施設が当時のまま残っているという点ではないでしょうか。これは、ヨーロッパの現存する城とも同じような歴史性があると思います。
近世城郭にそれほど興味がない私でも、「少なくとも一度は行きたい城」と思っていました。この大切な日本の遺産をいつまでも残していきたいです。