畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

国立歴史民俗博物館へ行って来ました~其の3~

2008-08-17 08:39:41 | 歴史
 9:40に「国立歴史民俗博物館」(略して「歴博」)に着いて、第5展示室まである中、第1展示室、第2展示室まで見学を終えてすでに13:45。さすがに昼食を食べないで見学を続けるのはキツイ。まあ自分ひとりならそうしないでもないが、職場の先輩と一緒だしね。歴博内にあるレストラン「さくら」に入る。先輩は「古代カレー」(古代にカレーなんてないのですが、お米を古代とおんなじ感じにしたやつ…だっけ?)800円を、私義綱は「山菜ピラフ」800円を食べる。アイスコーヒーをつけて各1000円。お盆時というのもあるのだろうが、14時近くなのに席は満席。結構来ているなぁ。味はまあまあ。そこそこ。量は少ないけどね。車を私が出した御礼といって先輩がおごってくれた。「ごっそさんです。」
 さて、次はどこに行こうかで悩む。
義綱「私は企画展に行きたいですぅ~。(2008年)8月31日までしかやってませんし、もう企画展示のチケット代も払ってますしぃ~。」
先輩「えぇ~。企画展示って『江戸の旅から鉄道旅行へ』でしょ~。鉄ヲタのための企画でしょ~。」
義綱「やぁ~だぁ。いくんだいくんだぁ(ジタバタ)」
先輩「わかったよ。じゃあ、時間も無いんだから。立ち止まらないでさぁ~っと見よう」
というスリリングな駆け引きを義綱と先輩の間で交わしていた(笑)
 レストランから上がる途中、歴博のお土産ショップに立ち寄る。歴史にあまり興味のない我が正室(妻)。置物や本を買っていってもまったく喜ばない(悲)。ありきたりのせんべえやゴーフレットじゃなぁ。

 よし、これにしよう。と決めたのが、和三盆のお菓子。娘も食べるかもと思ったし、価格も手ごろだった。鉄道好きの嫡男には新幹線の車内メロディーが鳴るオモチャ(まったく歴博とは関係ないよね~)を購入。
さらにここでガチャガチャにはまる。
「古銭コレクション第3弾 日本の金貨」
http://epoch.jp/rc/capsule/2006/
↑の9月のところをみてください!
「古銭コレクション第4弾 皇朝銭編」
http://epoch.jp/rc/capsule/2007/main/m03/img10.html
「古銭コレクション第5弾 日本の金・銀・銅貨」
http://epoch.jp/rc/capsule/2008/main/m01/img01.html
「日本の金貨」など、3種類を6回もやってしまう。
義綱「よし金の延べ棒ゲット!他もなかなかいいのをゲットしたぞ!」
先輩「へぇ、こんなのがあるんだ~。俺もやってみよっかな~」
(先輩が見事一回でシークレットを引き当てる)
義綱「ええぇ~!一回でシークレット!」
義綱(…義綱秘儀・羨ましいの眼差し!)
先輩「……はいはい。あげますよ~(はぁ)」
義綱「やったぁ~」

↑戦利品です。

 お土産で20分ほど時間を消費して1階へ。ああ~体が勝手に図録など書籍販売コーナーへ…やはり引き込まれてしまう(笑)あまり持ち合わせもなかったので今回は3種類のみ。

↑写真の左から順に、『企画展示 都へのあこがれ 戦国・織豊期の大友氏と豊後』(750円)『歴博常設展の図録』(500円)、『企画展示江戸の旅から鉄道旅行へ図録』(1300円)
えっ?なんで「歴博」に大友氏関連の図録が?これ実は大分市歴史資料館の刊行の図録なんです。なんと全国の提携している博物館・資料館の図録を集めて販売するというスケールのデカさ。すげぇ。しばし見入ってしまう。すかさず全県チェック!福井県の一乗谷資料館で大量購入した図録もありました。富山県氷見市の資料館の図録もあった。あれっ?石川県は…。レジの方に聞いたところ、残念ながら石川県内で提携している博物館は無いとのこと。残念。
思わぬところで思わぬ収穫。つい2週間ほど前なら見向きもしなかったはずの九州豊後の大友氏。しかし、武家庭園を調べていると大友館跡から庭園が見つかったということで、今私的に注目しています。なので迷わず購入。値段も手ごろ。良い買い物ができた。この全国の博物館図録販売コーナーは間違いなくチェックしたいところだ。


国立歴史民俗博物館へ行って来ました~其の2~

2008-08-16 09:01:47 | 歴史
 今回は「国立歴史民俗博物館」(略して「歴博」)第2展示室・中世です。平安時代って中世?ってちょっと思ったりもします。武士が主人公となって活躍する時代が中世であり、平安時代は古代、鎌倉時代から中世の方がわかりやす気がしますが…。といっても平安時代中頃から、前九年の役、後三年の役、保元の乱、平治の乱などなど武士が活躍しているから、いいのかもしれませんね。


 最初の画像は平安時代の「東三条殿」の復元模型です。そうです。あの「この世をば~我が世とぞ思ふ~(下略)」というナメくさった歌を残した藤原道長の邸宅です。「平安時代は嫌いだからすぐに行く~」というのが昔の私ですが、ちょっとおもしろい点を見つけました。
 私は5月に平城宮に訪れたとき、遺跡庭園「東院庭園」にも行きました。「東院庭園」というのは、平城宮の南東の隅にある貴族の庭園跡です。この庭園は大きな池があります。その池には中島があったり、池を取り囲むようにして建物があってそれを見ながら会食や宴会ができるわけです。この奈良時代の平城宮「東院庭園」の基本的性格を、平安時代の「東三条殿」の庭園は受け継いでいるようにも思えます。写真を見るとやはり庭園の中心は池です。池に何本の橋があるほか、建物近くに小さな川があります。こういった川は、室町時代ではよく連歌に使われます。この川の小船が流れる前に次の歌を作るとか、返歌を作るとか。できなかった場合には罰として酒を飲み干す。なんとも優雅な遊びです。すなわち、まあ当たり前と言えば当たり前なのですが、奈良・平安時代に庭園が室町時代の元になっていると言えると思います。鎌倉時代の庭園というのはどんなものなんでしょうか?例があったら知りたいものです。
http://www.nabunken.go.jp/site/toin.html


 能登を勉強するようになって歴史の価値観が劇的に変わったのが、水運。百姓=農民とは違う。水運(漁業や海運で儲ける)の民もたくさんいるというのを網野善彦氏の著作で見て感銘を受けたものです。そこから能登を見る目も、「農業後進国=辺境」というイメージから「日本海交通の拠点=先進地域」という風に変わりました。さて、この歴博に来て鎌倉時代の船をみました。それがこの写真です。瀬戸内海の貨客両用船らしいです。基本的には帆で動きますが、風の流れが無いときには船の外にでているヒレみたいなところに人が乗って人力で漕ぎます。鎌倉時代に政権が関東の鎌倉に移ったことで、飛躍的に海運が発達したことと思います。それまで京都中心の物流でよかったものが、関東の鎌倉にも運ばなければならない。そこで早く大量に輸送できる手段は海運しかありません。きっと鎌倉時代にもこのような船がたくさん活躍していたと思います。ということは、鎌倉・室町期にはすでに安全に、そして定時的に海運で輸送するシステムができつつあったことになります。歴史の教科書では海運や陸上交通の発達は江戸幕府によるものという固定観念がありますが、それも改めなければと思います。


 この写真はなんだっけなぁ。歴博の「図録」にも載ってません。確か鎌倉時代の「一遍上人絵伝」を元に復元した備前・福岡の市だと思います。一遍上人のすげぇと思う点は、こういう絵を残したこと。当時の様子がよく伝わるよい資料です。特に備前福岡の市の様子は、賑わっているものだけでなく、三斎市以外の市が開かれない時の様子を描いていることです。市には無宿者が居座り、カラスもいる。つまり平時の市は人がほとんど寄り付かないということがわかる。まあそもそも、自分の経典すら最後は焼き捨てるような一遍様のこのような絵伝がなぜ残っているか不思議ではあるのですが。仮に創作だとしても、当時の様子を知ることのできる貴重なものだと思いますよね。


 さて、いよいよ私の一番好きな時代・室町時代にようやく到着。この時点ですでに13:00を超えている…。少し集中力も衰えてきたが、自分の一番好きなところだからがんばるぞ!
 写真は「洛中洛外図屏風」を元に室町期・京都・四条室町付近の様子を模型で再現したものである。この展示を担当されている歴博の研究員はおそらく小島道裕氏と思われる。私はこのひとのサイトをみてこの歴博に行きたいと思ったのです。小島氏はサイトで自分が研究している成果(論文)を発表しています。だから気軽に論文が見れるのです。予備知識として全部印刷して読み込んでおきました。
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/kojima/
 小島氏は室町・戦国期の庭園に詳しく、まさしく私の最近の興味である遺跡庭園について解説してくれるすばらしい研究員なのです!やはり戦国期の庭園といえば研究対象として欠かせないのは「朝倉一乗谷史跡」でした。朝倉義景館の模型がありますが、私はこの辺は現地で学習しているのでおさらいになります。そして、この時代の町の研究で欠かせないのはやはり「洛中洛外図屏風」です。狩野永徳が室町期の京都を描いた作品です(歴博は上杉本を使っていました)。なぜこれが欠かせないかと言えば、中世の建物を復元する時に必ず登場するからです。というのも地中に眠る遺跡では、地上の様子までを完全復元はできません。ですので、それを想定復元するために必要なのが、この「洛中洛外図屏風」なのです。一乗谷史跡でも、これを元に復元建物を作っています。この「洛中洛外図屏風の景色を読む」という本が歴博で売っていて買おうかと思ったのですが、躊躇した挙句結局買いませんでした。それは、「犬追物」の存在です。この絵には犬を捕らえるシーンがあります。捕らえられた犬は武士の武芸の餌食になるわけです。動物好きの私にはそれがどうしても耐えられなくて(苦笑)。研究に必要なので、いずれはそれも歴史的事実として克服しなければいけないのですが…。


 さあ、いよいよ第2展示・中世最後の写真となりました。室町時代は大名という究極の地方分権の時代である一方、飛躍的に民衆の力が伸びた時代でもあります。平安時代に民衆は米を生産しながら自ら食することは叶わなかったのが、室町時代には二毛作などを経て生産が飛躍的に増加し、農民など庶民でも豊作など経済状況次第で米が食することができたのです。そのような時代だからこそ、京都だけの上流階級だけの文化のみならず、地方にそして庶民にまで文化が広がりました。地方では大名やその家臣が中心となって能や茶道が広がり、庶民でも田楽が広がりました。また、写真にあるように「煎じ物売り商人」がおり、一服一銭の茶売りがいたのです。つまり庶民にも茶の需要がかなりあったわけです。それだけの経済力を民衆が持っていたわけですね。

国立歴史民俗博物館へ行って来ました~其の1~

2008-08-15 16:38:31 | 歴史
 お盆は帰省ラッシュで高速道路も新幹線も空港も混雑×混雑。我が家はというと、先週の金~月で実家に帰省。帰省ラッシュもまったくなしでした。今週も有休を取っているので、久々に歴史関係に打ち込む時間となりました。とりあえず前々から行ってみたかった「国立歴史民俗博物館」に行きました。歴博を紹介する…というよりは、私義綱の備忘録みたいなものです。私的感想を含んでおりますので、どうかお許しください(笑)

 国立歴史民俗博物館(略して「歴博」)は、千葉県佐倉市(空港のある成田市より西)と、ちょっとアクセス的に不便なところにあります。当然歩くのが大嫌いな義綱は、我が愛車「能登号」で行く。ひとりで行くのも少し寂しいので、職場の(とっても歴史好きな)先輩と行きました。私は最初先輩に「歴博って2時間くらいあれば見てまわれますか?」と聞いたら、先輩は一笑した「とてもじゃないけど、無理だね2時間じゃぁ。」その言葉を理解するのは、現地に行ってからだった。

 お盆なのに…いやお盆だからみなさん帰省しているのか首都高はありえないほどの空き具合。首都高→京葉道→東関道と通って四街道ICで下車。佐倉街道を進むとあっという間に着く。当初予定より30分ほど早い計算で9:40に着く。歴博は9:30から開館しています。


 デジカメを持っていくのを忘れてしまい、携帯カメラになってしまい画像が悪いのです。スミマセン。でも、デジカメを忘れたことを後悔するのは、博物館に入った後だった…。
義綱「どうせ、博物館は写真撮影禁止だから、デジカメなくてもいいや!」
先輩「えっ?博物館は個人利用で使う写真なら原則写真OKなんだよ…。」
義綱「なっ!?なにぃ~~!」
義綱(…ガッカリ)
 みなさん!国立歴史民俗博物館に行くときにはデジカメは必須アイテムですよ~。(お前が言うな…)
 この「国立歴史民俗博物館」。意外に歴史が浅かった。誕生したのが1981年で、展示公開が1983年。展示を始めてまだ25年なの!?とビックリ。まあ、上野に東京国立博物館もあるしねぇ。ただこの博物館は、毎年超分厚い「研究報告書」(もちろん史学研究のね)を出していて一冊7000円ほどする。それだけ国の予算を懸けて歴史を研究するなんて…「国はエライ!」
 さてさて、ではショーもない携帯カメラの画像を含めて紹介していきましょう。

まず最初に縄文時代。写真がないのが残念なんですが、まずビックリしたのが、三内丸山遺跡(青森県)の模型展示。縄文時代って狩りや採集が忠臣だから大きな遺跡と思っていたんです。大きいといっても三内丸山遺跡の人口が500人くらいだからたいしたことないだろうと思っていたら、長大な竪穴式住居が…。市民ホールみたいな大きさ。人も50人は入れる?
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
上記、公式「三内丸山遺跡」サイトによると、長大な竪穴式住居の長さは32メートルになるという。もう「竪穴」じゃないですよね。こんなに縄文時代が文化的だったとは思いもよらなかった。青森県に行ってみようかな。八戸の根城も行きたいし…。


 う~ん、ただでさえちょっと気味悪いえづらなのに写真がぼやけててさらに君が悪い。これは弥生人の戦闘鎧です。盾みたいなのに石の槍を持っています。鎧の素材は木だけど結構本格的装備。
義綱「弥生時代から、こんなフル装備があったんだぁ。」
2世紀頃のもので、静岡県浜松市伊場遺跡で発掘されたらしい。
※現地(浜松市伊場遺跡)はこんな感じで復元展示されているらしいっス。
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/hamahaku/09annex/iba_park.htm
 それから、環濠集落の展示模型がありました(写真無いですごめんなさい)。発掘された場所は横浜市。「横浜市歴史博物館」公式サイトによると、大塚・歳勝土遺跡公園という場所に、環濠集落が復元展示されているらしい。結構近いので行ってみたい…。うむうむ古代もなかなか面白なぁ。
http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/


 さて、この写真の復元模型の村。何時代のものだと思われます?私は最初室町時代のものかと思いましたが、なんと古墳時代!…でも平安時代まで貧しい農民の村と言えば竪穴式住居で弥生時代とそんな変わりがない気がしていたのだけど…。模型の元になった遺跡は「黒井峯・西組遺跡」(群馬県子持村)。残念ながら現在は埋め戻されている状態だそうです。しかし、国指定史跡として、子持村は、遺跡を元に復元した村の見学施設や、資料館を備えた歴史公園として整備する計画があるらしいです。古墳の模型もありましたが、わたしゃ復元された五色塚古墳(兵庫県)を行ってきたのでいいや。五色塚古墳の参考URLを提示しておきます。
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/maizoubunkazaic/spots/html/tarumi/gosiki.html
ちなみに、この五色塚古墳は天皇陵でないとされたから、復元されたと聞きます。もし、天皇陵であれば宮内庁の立ち入り禁止区域になってたことでしょう。現在でも天皇陵とされる古墳では発掘作業もできません。古墳時代をよく知るチャンスなんでしょうけど、色々なしがらみがあるんでしょうね。


 いよいよ奈良時代。これは木簡です。平城宮跡はもともと国指定史跡であり、世界遺産に登録されています。世界遺産に登録されたのは、埋蔵文化財としての価値です。この間5月に見たのは、平城宮(内裏と政府の政庁を含めたもの)の正門である「朱雀門」は復元ですので、歴史的価値はないわけです。(ちなみに、歴博に模型展示してあるのは、「平城京」(平城の街全体)の正門である「羅生門」です)平城宮は国営公園化が決定し、さらに遷都1300年祭に備えて復元工事を進めています。近鉄奈良線も移設のうごきがあるし、今後の平城宮跡から目が離せませんね。まあ、市街化された京都平安京の復元や発掘は難しいものがありますので、(平城宮跡は旧市街地のため奇跡的に残った)史跡公園化して、ぜひ注目を浴びてもらいたいものです。
 
 さて、ここでようやく第1展示室の古代が終了(第1展示室の沖ノ島の展示は見逃してしまった…)。ここまでですでに11:30。職場の先輩と話しながら詳しく見ていて楽しいので時間はあっという間。第5展示室までと企画展示まであるのに!今日中に見終われるの?

 …先輩が、「とてもじゃないけど、無理だね2時間じゃぁ。」という意味が痛いほどわかりました。ということでブログも次の日に続きます。

 最近はブログで書きたいことが山ほどあります。8月15日は滝山城と八王子城に二度目の訪問に行って来たので(モチ!デジカメ持参で)、その様子も今後アップします。

中世山城復元~高根城~

2008-08-13 14:52:02 | 歴史

 今日は、2006年の1月に訪れていたにも関わらずアップしていなかった復元された中世山城~高根城~をアップします。
 私がこの城を知ったのは、本屋で何気なく見た日本の城関係の本。その本に復元された高根城が紹介されていた。江戸城郭や復元された江戸城郭は何度の見ているし観光名所にもなっている。いったい室町期の城郭というのはどんなものなんだろう。しっかりとした室町城郭をイメージを膨らめるためにも、行かねばと思った。場所は静岡県水窪町(当時。現在の浜松市水窪町)。妻の実家がそれほど遠くない場所にあり、そこを基点に正月休みに出発。当日は雪が残っていて、バリバリのノーマルタイヤの我が愛車「能登号」で行けるのか?と心配しましたが、車道の雪は除雪されており安心。高根城のふもとまで車道が通っており、復元城郭まで歩いて15分ほどでいけます。
 高根城は遠江の北端にあり、室町時代は今川氏の領国下、奥山氏の拠点となっていた。ところが有名な桶狭間の合戦で今川義元が討たれ、今川氏の命運が傾くと高根城も武田氏の進攻にさらされることになる。元亀年間に武田氏下に入った高根城は駿遠攻略の最前線として大改修となる。復元された高根城は武田氏時代の遺構である。


 さて、復元城郭にたどり着くとなかなかの圧巻!このような道を室町時代の人は通ったのかと思いにはせる。入城するための道は細いのに、城からは一面壁がめぐらされており、防御は堅い。また物見櫓で敵の攻撃状況がひと目でわかる。なかなか手ごわい城である。


 いよいよ高根城入城。門の跡は発掘されているが、遺構では地中より上の門の様子は伝えられない。これは、おそらく洛中洛外図屏風や他の伝●●門などと同じような形で推定復元された門である。


 高根城の本郭から他の郭を見渡すとこのように、柵で囲まれている。この柵も遺構で確認されたものである。高根城は大名の居城ではなく、戦闘の最前線の城である。だからこそ本郭には壁があったのであろが、その他は柵等の簡単な防御施設程度だったようである。なるほど江戸時代のようなすべてを白塗りの豪華な壁で覆うのではなく、実質本位の造りである。さらにこの柵で囲まれた郭は相当な堀で囲まれている。かなりの高低差があり、郭同士は土橋や木橋でつながれていた。この柵の郭と本郭を見渡せるようにさらに下の郭に下りると、このように見渡せる。


 自分がいる場所(=郭)から本郭に上がろうとすれば、かならず柵の郭を通ることになり、ここで攻撃側は相当な守備側の攻撃にさらされる。室町時代の城郭は本当にうまくできているなあと感心する。本郭はかなり小さかったが、関が原合戦や大阪のような大規模な戦闘ではないなら、この程度の大きさで十分であろう。

 この高根城は、浜松市に合併する前の旧水窪町が町おこしの一環として、1993年から高根城を中世の城として復元整備するべく発掘調査が進められた。そして、2004年には3億円を費やして、本曲輪(ほんくるわ)部分に井楼櫓(せいろうやぐら)、主殿、城門が復元された。中世山城の本格復元は全国初とされ注目された。水窪町はいわゆる「平成の大合併」の流れで2005年7月1日に浜松市と合併し、消滅した。財源の効率化、無駄の節減、地方の切捨ての中、もし水窪町が合併される前に高根城復元が間に合わなかったら、はたして浜松市は高根城復元を考えただろうか?本当に「平成の大合併」という選択は正しかったのだろうか?この高根城のような地方の中世城郭が今後ももれないことを望んで、3年ぶりのコンテンツとして筆を執った。
 ちなみに、明日8月14日は千葉県佐倉市の「国立歴史民俗博物館」に行ってきます。ご報告できるものがあればアップしたいと思います。

室町戦国期の庭園をひたすら列挙する。

2008-08-04 05:48:45 | 歴史
興味をもった室町・戦国期の武家領主の館・城の庭園跡。とりあえず列挙してみたいと思います。他にもご存知の庭園跡があれば教えてください。

・江馬氏館庭園跡(岐阜県)
 #遺構:池と会所跡(14世紀末頃ヵ)
 #現状:池と建物を復元し史跡公園となる。
 #サイト:http://www.hida-tourism.com/things_to_do/ttd_category1_2_1.php
・北畠氏館跡庭園
 #遺構:池など(14世紀末頃か)
 #現状:庭園は現状でも池に水がある状況で見物できる。
・東氏館庭園跡(岐阜県)
 #遺構:池泉庭園(14世紀後半~15世紀前半)
 #現状:池を復元整備した史跡公園となる。
 #サイト:http://www.gujo-tv.ne.jp/~kokin/page11.html
・大内氏館跡(15世紀中頃~1540年代までに段階的に整備される)
 #遺構:作られた時代が違う3箇所の庭園がある。
  16世紀初頭に作られたのは枯山水型庭園で、後は池のある庭園。
 #現状:現・龍福寺にある。発掘調査済みで原状でも確認できる。
 #サイト:http://www.city.yamaguchi.lg.jp/dannai/soshiki/kyouiku/bunkazai/yakata/yakata.htm
・鉢形城庭園跡(埼玉県)
 #遺構:池跡+建物跡(15世紀後半~16世紀前半ヵ)
 #現状:池と建物を復元整備した史跡公園となる。
・朽木氏館庭園跡「旧秀隣寺庭園」(滋賀県)
 #遺構:池など(16世紀初頭ヵ)
 #現状:池には現状でも水が張っており、庭園として確認できる。
 #サイト:http://www.city.takashima.shiga.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1134363529418&SiteID=0
・高梨館庭園跡(長野県)
 #遺構:枯山水庭園と会所跡(16世初頭ヵ)
 #現状:枯山水なども復元整備され史跡公園となる。
 #サイト:http://www.city.nakano.nagano.jp/news/news0703/070306takanasiyakata.htm
・上平寺城庭園跡(滋賀県)
 #遺構:2箇所の池跡(16世初頭ヵ)
 #現状:埋め戻されているが庭石などが確認できる。
・湯築城庭園跡(愛媛県)
 #遺構:池跡+礎石など建物跡(16世紀前半)
 #現状:池などが復元整備され、史跡公園となる。
 #サイト:http://www.dogokouen.jp/
・朝倉氏一乗谷史跡・庭園跡(福井県)
 #遺構:館跡庭園跡(花壇跡あり)
  +湯殿館庭園跡+諏訪館庭園跡(16世紀頃)
 #現状:整備され平面展示されている。
   いくつかの庭園は水も流れている。
 #サイト:http://www.city.fukui.lg.jp/d620/bunka/iseki/
・史跡武田氏館跡(山梨県)
 ♯遺構:主郭部庭園立石を発掘調査中(16世紀前半ヵ)
 ♯現状:史跡として保存・整備される予定
 #サイト:http://www.city.kofu.yamanashi.jp/contents/content/category/46/348/233/
・能登松波城庭園跡(石川県)
 #遺構:枯山水庭園+屋敷跡(16世紀後半ヵ)
 #現状:発掘調査済み。埋め戻されている。
・大友氏館庭園跡(大分県)
 #遺構:池跡など(16世後半ヵ)
 #現状:発掘調査済み。大友館などの復元整備構想がある。
 #サイト:http://restoration.indent.jp/
・安芸吉川元春館庭園跡
 #遺構:池跡など(16世紀後半ヵ)
 #現状:現在整備を行っており、見学できない。
 #サイト: