明治維新により徳川家を江戸から追い出した明治新政府ではあるが、すぐに困った事態に陥った。
薩長を中心に新政府を立ち上げたのは良いが、全国を統治するノウハウを持っている家臣が皆無に近かった。大久保や西郷は命令を下せばよいと思い込んでいたが、その命令を実行するのは中核を担う家臣である。
薩摩や長州の小さな地方政府ならば、なんとか切り盛りできたが、全国を統治する行政を担える人材はいなかった。困った大久保は、江戸城を追い出された御家人たちを再雇用したが、肝心の中核を担う役割を負っていた御家人たちは、徳川慶喜と共に静岡に転居していた。
そこで止む無く大嫌いな勝海舟に膝を屈して、彼らを江戸に連れ戻して新政府への協力を依頼した。これでようやく明治新政府は統治機能を得ることが出来た。このあたりの事情は教科書はもちろん、歴史書にも記載されていないが、筆まめな勝海舟が記録してあったので、後世の歴史家の貴重な研究資料となっている。
今も全国各地で散発している財務省解体デモだが、彼らはおそらく分っていない。国家予算を管理する機能を担う財務省官僚は必要不可欠な存在であり、他の官庁から人材を寄せ集めてもたいして役に立ちはしない。解体して解決する問題ではないのだ。
だが気持ちは分からないでもない。バブル崩壊を含めて、ここ30年の日本経済の低迷の責任は霞が関の官庁にこそあるからだ。そのことに気が付いてきた人が増えてきたのならば喜ばしいが、デモに参加した人の大半は最近の不満の捌け口程度だと思う。
このような事態に陥った真の原因にこそ考えを及ばすべきなのだ。
私は政治が無力だとは思わないが、日本の政治は事実上官僚の手に握られてきたのは確かだと思う。本来は三権分立のもと、立法(国会)行政(官庁)司法(裁判所)により運営されるはずだが、官僚が事実上立法の手助けをするふりして主導しているのはご存じだと思う。また司法すらも行政追随なのは、議員定数の矛盾さえ解決できぬ現状が、逆説的に証明してしまっている。
かくも強大な権限を行使してきた官僚だが、その結果責任をとることはない。妙に思われるかもしれないが、権限を用いて政治を動かしても、その結果については決して責任を負わない。このおかしな慣行は、日露戦争以来定着してしまい、以降太平洋戦争の敗北でエリート官僚たちが追放されたのを唯一の例外として、今日に至るまで変わることのない不変の原則である。
もちろん官僚たちは、そう考えてはいない。内部考課において失敗を考慮していると反論する人はいる。しかし、主権者たる国民の監視のもと、その失敗を認めたことはない。あくまで役所内部における内々の処理に留まるのが彼らの失敗後の対処である。
この内々で誤魔化す癖は、別に官僚に留まるものではなく、日本社会全般に横行していることは自覚して欲しい。そして敢えて言おう「連帯責任は無責任」だと。実は役人は失敗を忌み嫌う。人事考課の基本が減点志向であるからだが、失敗を認めるよりも、失敗を認めない、失敗を認識しないと誤魔化す方が多い。失敗がないのだから反省する必要はなく、改正の必要もないと。
これは財務省だけでなく、日本の公務員だけでもなく、日本人全般に見られることは自覚して欲しい。だから、財務省を解体しても、結局他の誰かが同じことをやらかす。
もう一つ、理解する必要があるのは、役人は嫉妬深いということだ。
この30年民間の可処分所得は減る一方である。デフレに真摯に対応することを避けた財務省が主たる原因ではある。ただしエリート官僚の生涯賃金は増えている。ただし現職の官僚である間は、民間よりも少ないことが多く、辛うじて退職金を加味して民間並みとなる。
これが誇り高き官僚には我慢できない。だから退職後に特殊法人や大企業に天下ることにより、ようやくその高き自尊心を満足できるだけの高報酬を受け取る。この仕組みは、役人の給与を民間並みに抑制しようとするおかしな平等志向が根底にある。
だがよく考えて欲しい。子供の頃から猛勉強を重ね、過酷な受験を勝ち抜いてようやく得たエリート官僚の座である。それなのに妙な清廉潔白幻想に踊ろされ、民間企業程度の給与に押さえつけられることが、どれほど彼らエリート官僚の自尊心を傷つけてきたことか。
また役所を退職してからようやく得られる高額な報酬も天下り先があってのもの。理想に燃えた若き日のエリート官僚の改革志向を潰すため、先輩たる元エリート官僚たちが天下り先というニンジンをぶら下げて、改革を潰して既得権を守る姑息な遣り口に耐えねばならぬ苦悩。
彼ら優秀なはずのエリート官僚は、分かっていながら改革が出来ず、退職後でなければその自尊心を満足できるだけの収入が得られない環境に置かれている。そのような環境では既得権を守ることに重点を置き勝ちで、社会の変化に対応する法制度の改革はやりたくても出来ないのが普通だある。
財務省を解体すれば良いなんて、馬鹿が考えた愚民政策、いや愚民煽動に過ぎませんよ。