ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

財務省を解体しても解決しない

2025-03-21 12:37:00 | 社会・政治・一般

明治維新により徳川家を江戸から追い出した明治新政府ではあるが、すぐに困った事態に陥った。

薩長を中心に新政府を立ち上げたのは良いが、全国を統治するノウハウを持っている家臣が皆無に近かった。大久保や西郷は命令を下せばよいと思い込んでいたが、その命令を実行するのは中核を担う家臣である。

薩摩や長州の小さな地方政府ならば、なんとか切り盛りできたが、全国を統治する行政を担える人材はいなかった。困った大久保は、江戸城を追い出された御家人たちを再雇用したが、肝心の中核を担う役割を負っていた御家人たちは、徳川慶喜と共に静岡に転居していた。

そこで止む無く大嫌いな勝海舟に膝を屈して、彼らを江戸に連れ戻して新政府への協力を依頼した。これでようやく明治新政府は統治機能を得ることが出来た。このあたりの事情は教科書はもちろん、歴史書にも記載されていないが、筆まめな勝海舟が記録してあったので、後世の歴史家の貴重な研究資料となっている。

今も全国各地で散発している財務省解体デモだが、彼らはおそらく分っていない。国家予算を管理する機能を担う財務省官僚は必要不可欠な存在であり、他の官庁から人材を寄せ集めてもたいして役に立ちはしない。解体して解決する問題ではないのだ。

だが気持ちは分からないでもない。バブル崩壊を含めて、ここ30年の日本経済の低迷の責任は霞が関の官庁にこそあるからだ。そのことに気が付いてきた人が増えてきたのならば喜ばしいが、デモに参加した人の大半は最近の不満の捌け口程度だと思う。

このような事態に陥った真の原因にこそ考えを及ばすべきなのだ。

私は政治が無力だとは思わないが、日本の政治は事実上官僚の手に握られてきたのは確かだと思う。本来は三権分立のもと、立法(国会)行政(官庁)司法(裁判所)により運営されるはずだが、官僚が事実上立法の手助けをするふりして主導しているのはご存じだと思う。また司法すらも行政追随なのは、議員定数の矛盾さえ解決できぬ現状が、逆説的に証明してしまっている。

かくも強大な権限を行使してきた官僚だが、その結果責任をとることはない。妙に思われるかもしれないが、権限を用いて政治を動かしても、その結果については決して責任を負わない。このおかしな慣行は、日露戦争以来定着してしまい、以降太平洋戦争の敗北でエリート官僚たちが追放されたのを唯一の例外として、今日に至るまで変わることのない不変の原則である。

もちろん官僚たちは、そう考えてはいない。内部考課において失敗を考慮していると反論する人はいる。しかし、主権者たる国民の監視のもと、その失敗を認めたことはない。あくまで役所内部における内々の処理に留まるのが彼らの失敗後の対処である。

この内々で誤魔化す癖は、別に官僚に留まるものではなく、日本社会全般に横行していることは自覚して欲しい。そして敢えて言おう「連帯責任は無責任」だと。実は役人は失敗を忌み嫌う。人事考課の基本が減点志向であるからだが、失敗を認めるよりも、失敗を認めない、失敗を認識しないと誤魔化す方が多い。失敗がないのだから反省する必要はなく、改正の必要もないと。

これは財務省だけでなく、日本の公務員だけでもなく、日本人全般に見られることは自覚して欲しい。だから、財務省を解体しても、結局他の誰かが同じことをやらかす。

もう一つ、理解する必要があるのは、役人は嫉妬深いということだ。

この30年民間の可処分所得は減る一方である。デフレに真摯に対応することを避けた財務省が主たる原因ではある。ただしエリート官僚の生涯賃金は増えている。ただし現職の官僚である間は、民間よりも少ないことが多く、辛うじて退職金を加味して民間並みとなる。

これが誇り高き官僚には我慢できない。だから退職後に特殊法人や大企業に天下ることにより、ようやくその高き自尊心を満足できるだけの高報酬を受け取る。この仕組みは、役人の給与を民間並みに抑制しようとするおかしな平等志向が根底にある。

だがよく考えて欲しい。子供の頃から猛勉強を重ね、過酷な受験を勝ち抜いてようやく得たエリート官僚の座である。それなのに妙な清廉潔白幻想に踊ろされ、民間企業程度の給与に押さえつけられることが、どれほど彼らエリート官僚の自尊心を傷つけてきたことか。

また役所を退職してからようやく得られる高額な報酬も天下り先があってのもの。理想に燃えた若き日のエリート官僚の改革志向を潰すため、先輩たる元エリート官僚たちが天下り先というニンジンをぶら下げて、改革を潰して既得権を守る姑息な遣り口に耐えねばならぬ苦悩。

彼ら優秀なはずのエリート官僚は、分かっていながら改革が出来ず、退職後でなければその自尊心を満足できるだけの収入が得られない環境に置かれている。そのような環境では既得権を守ることに重点を置き勝ちで、社会の変化に対応する法制度の改革はやりたくても出来ないのが普通だある。

財務省を解体すれば良いなんて、馬鹿が考えた愚民政策、いや愚民煽動に過ぎませんよ。

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規制すれば良いのか

2025-03-19 12:37:02 | 社会・政治・一般

初めて自転車に乗ったのは小学校一年生の時だ。

以来、半世紀以上乗り続けてきた。バイクにも自動車にも乗ってきたが、一番気に入っているのは、やはり自転車だと思う。十代の頃は自転車を3年おきに買い替えていた。フレームが歪むほどに乗り込んでいたので修理出来る範疇を超えていたからだ。

18になると原付免許を取得し、当時流行だったスクーターに乗ったが、自転車の延長戦のイメージが強すぎて交通違反をしまくった。ただし事故は一度もないが、国道246号線沿いの警官からは目の敵のように監視され、何度となく罰金を払わされた。

増える違反金に根を上げて再び自転車に戻ったのは当然の選択であったと思う。20で自動車免許も取ったが、ハンドルを握る時間よりも、ペダルを漕いでいる時間のほうが長かったのは確かだ。

自転車は健康にも良いし、なにより体力が落ちた私でも爽快に走れる。多分、いつかは体力の衰えから乗れなくなる日が来ると思うが、それまでは元気にペダルを漕ぎ続けようと思う。そんな私だが、先日ビックリすることになった。

角に交番がある交差点で信号が青になるのを待って右折した時に警官に呼び止められた。この時点で脳裏に浮かんだのは「防犯登録」の有無か、あるいはヘルメット着用か、それとも自転車保険への加入の有無か、であった。

しかし警官の話に驚いた。その若い警官はボードを手にして、現在法改正により自転車が交差点を右折する際には、二段階方式が求められるとの説明であった。排気量50cc以下の原動機自転車いわゆる原付が、この二段階方式を強要される法改正があることは知っていた。

まさか自転車まで、この二段階方式を強制されるとは知らなかった。たしかに自転車は道路交通法上の車両に該当する。そして近年、自転車による重篤な交通事故が頻発していることも確かであり、そのような時代背景から改正されるに至ったようだ。

ちなみに全ての交差点で適用される訳ではないが、人や車が混在するような道路の交差点では、接触事故が絶えないので、安全確保のために理解できないわけではない。

半世紀以上、自転車に乗ってきた私だが交差点でも接触事故は記憶にない。別に誰かに教わった訳でもないが、交差点で右折しようとするとき、異なるスピードの人や車がいれば接触の可能性があることぐらいは当然に分かっていたから慎重な運転をしていただけだ。

いささか不満に思わないわけではない。しかし近年、イヤホンで音楽を聴きながら自転車を運転したり、あるいはスマホを操作しながら運転する輩が増えていることには危惧を覚えていたので、規制される理由はあるとも納得している。

本音では法により規制することへの反発はある。しかし、法で規制せねば反発するアホが多いであろうことも分かる。別の見方をすれば、この程度のことを規制されねば分からぬ馬鹿が増えていることでもある。

進歩しているのではなく退化している。いや劣化というべきなのが、現在の日本人のモラルなのだろう。

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お休み

2025-03-17 09:16:05 | 日記

確定申告最終日につきお休みします。明日はヘロヘロなはずなので二日続けて休みます。もう限界、あくびが止まらない。

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財務省解体デモ

2025-03-14 09:23:54 | 社会・政治・一般

戦後の日本において、最もデモが盛り上がったのは60年安保闘争の時だと思う。

私はまだ生まれる前だが、この時の話は民青の人たちからよく聞かされた。国会議事堂前に集まった100万を超える大衆が集まり、まさに革命前夜を思わせる盛り上がりであったそうである。しかし日米安全保障条約は何事もなく締結された。つまりデモは失敗であった。

その後の70年安保闘争も失敗に終わり、その後闘争の主役であった学生運動家たちは分裂しただけでなく、内ゲバを繰り返し、遂にはあさま山荘事件と連合赤軍によるリンチ事件などが露呈しえて急速に衰退していった。

この衰退は学生たちに「しらけ気分」を蔓延させて、三田誠広に「僕ってナニ」を書かせ、村上龍に「限りなく透明に近いブルー」を書かせた。もう若者たちはデモに希望を持ちはしなくなった。

それでもデモの熱気に煽られた一部の若者たちは、その熱い想いを忘れることは出来なかったのだろう。青春の情熱を燃やしたデモを語る若者たちに些か閉口していた私だが、さすがに失敗に終わったことを口にするような無粋なことはしなかった。ただ静かに遠ざかり、運動に関わることを避けるようになった。

その後、バブル景気の熱狂の最中、私は難病療養のため家に閉じこもるようになり、社会復帰するまで完全に政治からは遠ざかっていた。完全には治らなかったが、不完全緩解ということで社会復帰することなり、銀座のOB税理士の下で働き出した。

仕事は未経験の業務だが、むしろ新鮮な気持ちで取り組めたのが楽しかった。ただ哀しいほどに体力が落ちていた。通勤の電車の同じ車両内で誰かが咳をしていると、夜半になると風邪を引く有様であった。さりとて急激に運動をする訳にもいかなかった。

だから当時はよく歩いた。定時で仕事を終えると、銀座から溜池を抜けて六本木経由で渋谷まで歩く。あるいは銀座から日比谷公園を通り抜けて赤坂見附に出て、そのまま表参道経由で渋谷まで歩く。このルートを好んで歩いたのは、途中にケーキや和菓子の美味しい店があり、そこで中休みをする楽しみがあったからだ。

ある日、日比谷公園を通り抜けようとしたら、なにやら集会をやっていた。掲げられたポスターなどから左巻きの方々だと分かったが、その時聞こえてきた声に記憶が呼び戻された。

私は高校生の頃に、当時参加していた民青の関係グループを抜けたのだが、その時のメンバーの一人に同級生がおり、彼の声に似ていたのだ。気になって近くまで寄ってみると、だいぶ老けてはいたが、やはり彼であった。当時から演説好きではあったが、私が抜けた後は期待の新人扱いであったと聞いてはいた。でも、まだやってたのかよ・・・

デモを政治的な意見表明の手段として、果たしてどれだけ有効なのか考えたことがあるのだろうか。国会議事堂前に百万人以上が集まった安保闘争デモでさえ対して効果はなかったと思う。むしろ樺美智子さんの死亡のほうが、むしろ影響力はあったと思うが、あれは事故だ。双方狙ったものではない。

デモなんて役に立たない。そう考えて運動から遠ざかった人はけっこう多いと思っていたが、青春時代の熱い想いを美化している人もまたけっこう多いらしい。あの日見かけた参加者の多くは中高年であり、若い人はあまり見かけなかった。

そう考えていたのだが、最近は少しだけ様子が変わってきた。煽動だけは得意な立花とか、底の浅い考えを上手に宣伝する山本とかに引っかかる若い人は確実にいるようだ。特に社会的地位は低いが、ネット上で意気り散らすことで大物ぶっている若者があっさりと引っ掛かっているらしい。

ところが割と本格派というか、ある程度経済知識もあり、行政職の経験もある人からの財務省批判がネットを中心にアップされたことで、財務省解体デモが拡散しているようなのだ。

これは困る。財務省解体デモなんて効果は乏しい。ただ役人が嫌がるだけだ。私はこの三十年の日本経済の低迷は、財政支出を削ることに傾倒している財務省にこそあると考えている。しかし、財務省解体では解決しないことも分かる。

私が特に困ると思うのは、財務省を解体しても変らないと知っていながら、解体デモを支援する人たちがいることだ。おそらく狙いは財務省頼りの自民党の議員たちを落選させることだろう。そうなると野党にも政権奪取の可能性がみえてくる。

さすがに民主党政権の再来はないと思いたいが、可能性は十分ある。長くなったので、では何故に財務省解体が意味ないのかは来週にでも書きます。

 

 

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寄与

2025-03-13 09:30:51 | 経済・金融・税制

かれこれ30年以上、税務の世界で仕事をしている。

嬉しい時もあるが、遣り切れぬ想いに打ち沈むこともある。特に相続関係の仕事にそれは多い。

相続は民法が土台にあり、その民法があまりに時代に合わないことが多々ある。理由は簡単で、民法がナポレオン法典に準拠しているからだ。明治政府が不平等関税を改めるために欧米と交渉してても後進国扱いをされての門前払い。

そこで欧米並みの法治国家として国家の近代化を図った。その重要な柱が主要法令の翻訳導入であった。憲法はプロシアに、民法はフランスに学ぶとしてヨーロッパから学者を招聘して法律を日本語に翻訳して天皇の名の元に施行した。

これに大反対したのが招聘されたヨーロッパの学者たちだ。本来、法律とはその国の歴史、習慣、慣例などを斟酌して明文化するものであり、欧米の法律を翻訳して日本に当てはめるのは好ましくないと反対した。しかし、明治政府の元勲たちは問題ないと一蹴した。

彼ら明治の元勲たちは、まず先進国としての体裁を整えることを第一に考えたからだが、本心では招聘した学者たちの言い分を認めていた。そのために帝国大学に銘じて、各翻訳した法律を少しずつ日本に合わせていくという前代未聞の計画を立てた。

だが学者は現場を知らないことが多い。そこで法律家を育て、裁判所に於いて判例を積み重ねることにより欧州の法律を徐々に日本に適合させた。裁判における判例集がその集大成であり、これは今も続く気の長い作業となっている。

弁護士の事務所に行けば必ず判例集が本棚の大半を占拠しているはずだ。この判例の積み重ねこそが、輸入翻訳され強行された法律の日本化の成果に他ならないからこそ、法律家は判例を重要視する。

それでもまだまだ法令と日本の現実が適合していないことが少なくない。その一つに寄与がある。

例えば今でも長男の嫁が長男の親、すなわち義父、義母の介護などの面倒を看ることは珍しくない。しかし嫁がどれほど義両親に尽くしても、嫁には民法が保証する法定相続分がない。まったく面倒などみなかった親族が相続財産を占有し、涙をのんだ長男嫁は少なくない。

そこで活用されたのが「寄与」制度であり、なかでも「特別寄与」の活用を法務省は勧めていた。しかし相続の現場をみてきた私からすると、この寄与制度で満足したお嫁さんは滅多にいないと思う。実際に認められた寄与なんて、相続財産の2%程度、よくて5%で到底満足のいくものではない。

これは根本的に日本の民法が家族それも直系血族を最優先するからであり、長男の嫁は所詮外から入ってきたもの扱いであるからだ。今のところ改正される予定はないと聞いている。でも介護される義父母の理解と協力があれば対抗策はある。

まぁ幾つかあるのだけれど、タイミングとか手段を慎重に選ぶ必要がある繊細な事案なので具体的な方法は差し控えます。これは守秘義務も絡むので個別にメールされても教えませんので悪しからず。

でも本来というか、王道は民法の相続関連の規定の改正です。一言で云えば、家の相続ではなく、個人の相続への転換。実は麻生内閣で議題に上がっていたはずなのですが、何故だかその後の続報がない。

皇室の後継問題もそうですけど、日本の官庁は世帯と血統を重視する人たちがかなり強硬なのだろうと想像しています

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