ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

最悪の捕食者

2025-01-29 09:12:53 | 社会・政治・一般

>多くのウサギが生息している島として知られる広島県竹原市忠海町の大久野島でウサギを蹴ったとして、竹原署は22日までに、動物愛護法違反の疑いで大津市、会社員堀田陸容疑者(25)を現行犯逮捕した。蹴られたウサギはその後死んだ。

 環境省中国四国地方環境事務所や署によると、昨年11月26日から今月12日にかけ、計77匹のウサギが骨折やけがなど不自然な状態で死んでいるのが確認された。島内には半野生化したウサギ500匹程度が生息しているという。

 最初、この報道をラジオから聴いた時、私は驚いた。高校、大学とWV部でひたすら登山に傾倒していたが、実は野生のウサギを見たことは一度もない。別に不思議なことではない。ウサギは野生の世界ではネズミと並ぶ弱者であり、多くの捕食動物たちの餌である。

 あの長い耳は捕食者を警戒するために発達したものだし、身体に比して大きい後ろ足は捕食者から逃れるためのものだ。余談だが、猫はネズミよりもウサギを狩るほうが多い。何故なら小さいネズミよりもウサギのほうが可食部分が大きいからだ。これはフクロウやキツネも同様らしい。

つまり本来、ウサギは警戒心が強く、しかも逃げ足の速い生き物である。普通なら足も遅く、動きも鈍い人間なんざに蹴り殺されるはずがない。

変に思って調べてみたら、この大久野島はウサギ島として有名で、観光地としてウサギが餌付けされていた。だから人間に対して警戒心が薄いようなのだ。だからこそ鈍重な人間なんざに蹴り殺されたのだろう。

まったく人間が野生に関わると碌なことがない。そういえば小学校などで飼育されているウサギなどをイジメ殺すのは決まって人間である。命の大切さを教える意図はあったのだと思うが、むしろ却って命を弄ぶ人間の残虐さを見出してしまった気がする。

ちなみにペットとして人慣れしている犬や猫は、滅多に人に殺されることはない。身近で人間を見ているだけに、その危うさにも気が付いているのかと思ってしまいます。なお、良くも悪くも人慣れしている奈良の鹿は、体力が強いので素手の人間に殺されることはまずあり得ない。本来、人間は個体としてさほど戦闘能力がある訳ではありません。

だからこそ無邪気に人慣れしている大久野島のウサギを狙ったのでしょう。この犯人、もしかしたらイジメられっ子かもしれません。だからって罪が減じられるべきだとは思いませんけどね。

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ブラジルの低迷

2025-01-28 09:24:43 | スポーツ

昨年、世界各地で行われたワールド杯大会の予選における最大の驚きは、サッカー王国ブラジルの低迷だった。

これまで一度も予選落ちしたことのないブラジルが、南米予選通過のボーダーラインぎりぎりの位置にいる。何が起こるか分からないのがサッカーの魅力ではあるが、いったいあのブラジルに何が起きているのか。

非常に気になっていたので、年末年始にネット上にアップされた予選の試合を4試合ほど見た。その印象を一言で云えば「かつてのブラジルではない」でした。戦術的には以前よりも洗練されていました。しかし、見ていて驚くことが少ない。


かつてのブラジルの試合は見るたびに驚きがあった。予想すら出来な奇想天外なアイディアが生まれ、しかもそれをチームメイトが平然と受けとめる。いきなり明後日の方向へロングパス、え!と思う間もなく味方が走り込んでいる。

ふくらはぎでトラップしたり、いきなりつま先でシュートしたりと意外なプレーのオンパレード。でも一番凄いと感じたのは、それらの奇想天外なプレーに合わせられるチームの選手たち。いったいどんな練習をしているのかと絶望感すら感じるのがブラジルのサッカーでした。

でも現在のブラジルは違います。一人一人のプレーはレベルが高く、息をのむ奇想天外ななプレーがなくなった訳ではない。しかし、そのプレーがチーム全体で共有されていないから、簡単に相手チームにボールを奪われる。

どこかで見た記憶があると思った。あれは十数年前のアルゼンチン代表チームだ。当時、天才的な若手プレーヤーがアルゼンチンに現れた。それが若くしてスペインに渡ったリオネル・メッシであった。しかしメッシが入ったアルゼンチンチームは、なかなか勝てないチームであった。メッシのスーパープレーは影を潜め、チームに貢献していなかった。

当時のアルゼンチン代表は、大半が国内でプレーしており、国内組だけでチームを作った方が強かった。十代前半で欧州のプロチームに青田買いされた優秀な若手選手は、欧州のサッカーに染まってしまい、アルゼンチンの強くて、上手くて、汚く激しいサッカーが出来なかった。

だからW杯でベスト8にまで勝ち抜けても、決勝には届かなかった。カタール大会でようやくアルゼンチンらしいサッカーで優勝したが、その時はメッシもチームの一員として馴染んでいた。だからこそ優勝できたのだと思う。

今のブラジルも優秀な若手選手は十代前半で欧州のプロチームに引き抜かれ、ブラジルの苛烈な国内リーグを体験していない者が少なくない。だからチームとして、勝つためのイメージが共有されていないのではないのか。

やはり国内リーグの強化こそが、サッカーを強くする王道なのだと私は感じました。幸い現状の日本代表は、Jリーグで実績を上げてから欧州へ移籍しているので、比較的チームとしてまとまっているのでしょうね。

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喧嘩侍勝小吉 小松重男

2025-01-27 12:59:13 | 

明治維新の本質は内乱による権力交代である。

どの時代、どの国にあっても内乱は悲惨で苛烈なのが通例だ。同じ国の仲間同士の争いであるが故に、むしろ憎悪と恨みが絡み合い、庶民も巻き添えにした壮絶な殺し合いが内乱では普通に見られる。

明治維新においては、徳川家が幕府を置いた江戸こそがその内乱の最大の戦地となるはずであった。しかし、幕臣の勝海舟と維新側の西郷隆盛との話し合いにより江戸城の無血開城がなされたことにより悲惨な内戦は最小限に留められた。

本来ならば江戸に攻め込む情念に燃える維新側にとって最も盛り上がる場面になるはずであった。連戦連敗の幕府側はただただ維新軍に蹂躙されるだけのはず。話し合いなんて必要ないと思っていたはずだ。

しかし山岡鉄舟が駿府に駐屯中の維新軍に乗り込み、会談の設定を取り付けた。これは幕府側に切り札があったからだ。勝海舟が事前にあれこれと対策を練った成果でもある。その対策の一つに江戸の街の焦土作戦がある。

勝は江戸の街の火消したちを集めて、もし維新側が攻めてきたら火をつけて江戸の街を燃やし尽くせと命じた。火消しの大親分である新門辰五郎は仰天したが、それでも小吉の旦那の息子さんの顔を潰すわけにはいけねえと請け負った。

火消しだけでなく、博徒やごろつきまで含めて江戸の暴れん坊たちから慕われたのが勝小吉である。いや、小吉自身が暴れん坊の代表格であった。とにかく子供の頃から喧嘩好きで、勉学は好まず、武芸もやらず。ただし喧嘩だけは江戸一と云われ、武芸者では剣聖とまで言われた男谷精一郎でさえも軽くあしらったという。江戸の三大道場に喧嘩を売りに行くのが大好きだが、酒や賭博はやらず専ら喧嘩と吉原遊びに傾倒した。

だから親が望んだ幕府への士官は叶わず、その代わり江戸一の暴れん坊として名を上げた。ちなみに息子である勝海舟(麟太郎)は、小吉が二度目の家出をした罰として、実家の座敷牢に3年間蟄居させられた時に産まれている。座敷牢って何なんだ?

こんな破天荒な親父を反面教師として育った息子は、徳川幕府を潰しても日本を守りたいと考えるトンデモナイ幕臣であった。しかし、その思いは敵である西郷にも熱く伝わり、無血開城という結果に結びついた。

それにしても海舟の実父がここまで無茶苦茶な人物だとは知らなかった。無職の浪人だとは知っていましたが、表題の書を読むと浪人というよりも不良親父であり、侍というよりも与太者。武芸の技量はなくとも天性の喧嘩上手で荒れた幕末の江戸に無頼風を吹かした小吉は、品の良い歴史家には評価しずらい人物だと思います。

だが小吉の息子であったからこそ、江戸の暴れん坊たちは勝海舟の無茶な要請に応じた。これはこれで事実として明記されて然るべきでしょうね。ただ霞が関のエリート官僚様は嫌がるだろうなぁ。だって、彼らが一番苦手なタイプですからね。

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財政の健全化

2025-01-24 09:30:20 | 経済・金融・税制

過去、幾度となく書いてきたが、同様の主張が少しずつ拡散しているのかもしれない。でも、まだ少数派であるので再び書く。

日本は借金大国であり、慢性的な財政赤字である。これ以上、子孫に負債を負担させてはいけない。だから増税により財政の健全化を図るのは正しい。

大新聞やTVで幾度となく繰り返されているのは、皆さん良くご存じだと思う。

私はこの大本営発表が大嫌い。

まず第一に嫌いなのは、「国民一人当たりの借金は1,085万円」ってやつだ。これは政府の借金を国民の数で割っただけ。あくまで政府の借財であり、しかも資産を考慮していない数字である。政府が資産を現金化して借金を返済することが第一で、それを税収でやろうとする傲慢さを感じさせる。

なお政府の資産のうち現金化が難しい土地などの不動産以外に外国債券がある。これは米国債が中心であるが、利回りは30年物で4%後半となる高利回り債券だ。一方、借財である日本国債の利回りは0.62から0.77%と低金利債権である。

保有している債権の利回りの差を考えれば、財務省が盛んに宣伝する借金である日本国債は低金利である有利な借財である。そしてその反対科目である資産としてのアメリカ国債は利回りの高い優秀な資産である。もちろんアメリカとの同盟関係の都合上、安易に売却してアメリカ国債の暴落を招くことはできないという制約はある。

では、他の資産はというと、実は公益法人等への出資額、いわゆる特別会計がある。財務省が予算編成の第一に組み込み、国会の監視の目を逃れて自由に使えるのが特別会計である。もちろん使用用途は、公益法人等の理事などに天下っている退職官僚たちへの高額な給与と退職金である。

これを処分せずして国債残高一千兆円なんて笑わせる。資産を処理してなお残る借金こそ真の借金である。倒産の実務を知っていれば当然の常識である。しかし、ご存じの通り、日本の新聞やTVは決して資産の換金後の借財なんて話題に上げない。

あくまで財務省の大本営発表を垂れ流すだけである。要するに財務省が新聞やTVを使って国民を騙してきた。それが日本経済を冷え込ませた緊縮財政の本質であり、財政の健全化という一見正論に見えて、実は問題の本質を隠す情報操作である。

もっと単純に云えば、この30年間、財政支出が大幅に足りないからこそ日本経済は冷え込んだと言える。財務省が本気で日本の財政の健全化を目指すならば、まず自らの利権である特別会計の清算から始めなければならない。

その利権を温存しようと固執したからこそ、ひたすらに増税路線を国民に押し付けてきた。今、一部で財務省の解体論が云われるのも無理ないと思います。

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文化の裏側

2025-01-23 09:19:12 | 社会・政治・一般

敢えて暴言を吐きます。

現在、スマップというジャニーズ事務所で長く活躍していたグループのリーダーとして知られていた中居氏の問題が話題になっている。たいして関心はないが、良い機会なので良識ある大人が黙り込むこの問題について少し喚きます。

歌や踊りは古来よりあったものではありますが、祭りなど一時に行わるのが通例で、それが商売の一つとして成立する過程で、必然的に権力者に媚びる必要が出てきた。金銭による上納が一般的だが、女性や美少年を権力者に供する、すなわち性接待も行われていた。

この場合の権力者とは、王であったり、宗教的指導者であったり、あるいは軍事的指導者であり、村の統治者である。文明が広がり、都市文明が確立すると芸能を職業として行うことは専門性が進み、多くの観衆を惹きつける場合もあった。

だからこそ、芸能を職とするものは、その時代、その地域の権力者との友好関係を重んじた。日本の場合だと、祭祀に絡むケースが多かったが、中世になると市井の民を顧客としえ稼ぐ芸能人が出現した。戦国時代末期に現れた出雲の阿国に代表される遊女歌舞伎がその典型であった。

これは日本だけではなく、古代から中世、近世にかけてオリエントや西欧でも似たような芸能文化があったが、日本ほど大衆化が進んだ国は珍しい。文化の大衆化が進めば進むほど、性を利用した営業交渉は広がってきたのが実態だ。

ただ必然的に風紀を乱すとして政府の規制されることも多いが、はっきり言えば、権力者からの暗黙の了解があったはずだ。露骨すぎる赤線青線よりも、歌や踊りなどショー的表書きを前面に出す一方で、裏では性接待はなくなることはなかった。なぜなら需要があったからであり、それに応じる供給が絶えることもなかった。

戦後のことだが、吉田某が捏造した「従軍慰安婦」問題にはモデルがあった。それが日本政府が新橋などに設けた米軍関係者向けの性的接待向け施設だ。それだけではない。私が知るなかには、サーカスの巡業や、歌手の公演、庶民向けの演劇興行などでも地元の有力者などへの性的接待はあった。

当然に裏社会とも関りがあるが故に、日の当たる場所で語られる話ではない。そしてこの薄暗く陰湿な伝統は、映画やTVの世界にも引き継がれていたはずだ。ただ新聞やTVが取り上げないが故に、一般的には知られていないだけだ。

勘違いされても困るが、私はこのような性接待を推奨している訳ではないし、持て囃す気もない。ただ、自ら積極的に売り込むタイプの性接待もあったことは指摘しておきたい。肉弾営業なんて言葉もあるが、実際にそれを実行に移した女性が居たのも事実だと思う。

ただし、今回のように同意を得ない性接待は良くないのは当然のことだ。そしてフジTVは、その仲介役を果たしていたことは、かなりの確率で事実だと思う。あの社長さんの会見がどうだったのかは知らないが、彼はおそらくそのような性接待で仕事上の有利な立場を勝ち得た成功者と、それを仲介した社員を守ろうとの意図はあったと思われる。

別にフジTVだけではないと思う。他の放送局でも女子アナウンサーのタレント化を推し進めていたようなところは、似たり寄ったりだと推測できる。もちろん人気のある女子アナウンサーの全てが関わったはずもなく、また大物タレントがそれを享受することを皆が容認していた訳ではあるまい。

でも、過去にも相当数あったのではないかと推測できる。ただし、それなりの地位や報酬などで被害者を納得させて黙らせてきただけではないか。そして注目すべきは、裁判に訴える等の公的な手法がほとんど取られていないことが、逆説的ながら性的接待の有無を証明していると思う。

いずれにせよ、今回の事件は非常に根が深く、既存のTV局が黙殺できるはずもなく、また自然に風化できるものでもないと予想しています。嫌な予想ですが、誰もが満足できる公正な正義はもたらされないでしょう。人間の欲は業が深く、決して根絶できるものではないと思います故に。

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