入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

       ’16年「春」 (30)

2016年04月03日 | 牧場その日その時


  昨日紹介した種平小屋、どうしたことかiPhoneでは文字が読めない。どういうことだろう。同小屋のT夫妻は、近々小屋の近くを流れる栗立川の遡行図も作成しようとしている。入笠の伊那側に、沢登りを楽しむルートがそのうち何本もできるだろう。

 さて、昨日の入笠、ど日蔭の曲がりを過ぎた辺りが最も残雪が多かったが、通行できないというほどではなかった。どうも、スピードを出し過ぎて、余計な轍を作る下手くそなドライバーがまだいるようだ。
 今日の写真からも分かるように、日当たりのよい斜面に雪はもうない。大沢山の上部には、早くも生え始めた牧草の新芽を食べる鹿の姿が見えた。頭数は少しづつ減っていると思うが、年々鹿は学習し、知恵も付き、警戒心も旺盛になるばかりだ。頭が痛い。
 遠くの取水場から引いている水は、まだ途中で凍っているのか小屋までは届かない。しかし、別の取水の方法もあるので問題はないし、例年小屋開けには間に合っている。大丈夫だろう。
 牧場で働くようになって10年目の管理棟や山小屋は、さすがに手を入れたい所が目に付く。これまでも屋根の塗装や、板壁の防腐剤塗りなどはやってきたし、小屋の中の48畳の部屋の根太はすべて新しくした。手に負えない所は、業者にも頼んだが、特に管理棟は、前にも書いたが、改めて見るまでもなく時の経過を感じてしまう。

 Nさんがコメントされていた会津藩々祖・保科正之を始め、高遠にはたくさんの歴史物語が残る。このブログにも、時にはそんなことも話題にしてみたい。
 山小屋、キャンプ場の営業内容については、カテゴリー別の「27年度の営業」を参考にしてください。

 
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       ’16年「春」 (29)

2016年04月02日 | 牧場その日その時


  今日も穏やか春の日が暖かく、入笠が来いと呼んでいる。もう、座頭沢の日陰に残っていた雪は融けただろうか。まだ吹く風は冷たいだろうか。前回行ったときは、入笠山の西側の斜面には早くも鹿が出ていたが、その後はどうなっているかと気になる。

 そんなことを書いているうちに、ついふらふらと入笠に出かけてしまった。 山へ行くと、ここにいるよりも人に会う。赤坂口で食料を調達に行くという山奥と偶然に出会い、上ではマナスル山荘に昼飯に立ち寄り、山荘の主人や家族、居合わせたお客さんなどと無駄口をたたいてきた。そして帰り、種平小屋(たねへいごや)にも顔を出し、眺めのよい縁側に腰をおろしながら、お互いの近況などを話したり聞いたりして今戻ってきたところだ。


 
 高遠の桜は、まだほんのわずかだが咲き始めていた。今日のような陽気が続けば、来週の半ばから花見ができるようになるだろう。他所の桜よりも花の色の濃さが喜ばれているようだが、その枝の向こうに、まだしっかりと残雪を付けた中央アルプスの山並みの見えるのが、今年もまた花のよい引き立て役になってくれるはずだ。
 それにしても、ここを訪れるたくさんの花見客の中で、どれほどの人たちがこの城の歴史についても、興味を持ってくれているだろうか。「天下一」と誰が言ったかは知らないが、ただ花を眺めて帰るだけなら、わざわざ遠くから来るほどの花かと思えなくもない。やはり、信州の山深い里に残る古城の話のひとつふたつ、知ってから来てもらえたら、花だけでなく、この土地への愛着はさらに増すだろうに。

 明日も入笠を話題にするつもりです。種平小屋にもクリックしてみてください。

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       ’16年「春」 (27)

2016年03月31日 | 牧場その日その時


    昨日、「つづく」などと思わせぶりなことを書いてしまったが、実はこの話はこれだけで続かない。その夜スノーボート上の遭難者の死体がどうしたとか、こうしたといったような怪談もどきの事件が起こったわけではない。
 翌日梯子谷乗越ではまたしても不調の極限を体験しながら、内蔵助谷に下る際にアイゼンを外したら途端に元気が出て、それから雪のあるとないとでは驚くほど様相の違う黒部の谷を、悠々と流れる深緑の水の色に目を奪われたりしながら黒四ダムの基部に出て、すでに最終のトロリーバスには何としても乗ると決めていたため、最後の急な雪の斜面を力を振り絞ってふたりで競うように登った。

 山から帰ってきて、遭難者の話をすると、よくもそんな場所で眠れたものだと、なじられ、嗤われた。別段そのことが言われるほど無神経とも思わないが、ではどこならそういう非難めいたことを言われないで済むのかと、逆に問い質したかった。50メートルなら駄目で、1キロ離れていればよかったのか。それとももっと遠くへ行かなければならなかったのか、広大であれほど大量の雪の詰まった剣沢の中で。
 あの時の状況においては、不審なスノーボートを目にしたからといって、それを特に忌避する気も湧かなかったのは事実だし、それが本当に遭難者の遺体だと知ったのは夜になってからのことだ。
 どこで、どのような事情で遭難事故に至ったのかは分からないが、山の事故は、もしかすれば自分たちにも起こりうることと考えて、奇妙な連帯のような気持が生まれたのかも知れない。弔いの態度を死者には特に示さなかったが、誰もいない谷に放置されているよりも、近くにわれわれがいて迷惑ではなかったと思っている。

 うっかりとんでもない記憶違いをした。念のため、このあと書店に行ってこの山域の本を入手の上確認し、まだ必要なら訂正もしなければならないが、まず「梯子段乗越(のっこし)」とばかり記憶していた地名は「梯子乗越」の誤りだった。それと、八峰の登攀を諦めたから、剣沢へは、長次郎谷でなく三の窓雪渓を下ったような気がする。それで、なぜ方向を誤り剣沢大滝の方へ行ってしまったかも合点がいく。
                          
 明日はまた、尾勝谷報告。今日の写真は小黒川の下流、黒川。
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       ’16年「春」 (26)

2016年03月30日 | 牧場その日その時


 今日も昨日に続けて、剣岳の小窓尾根の山行のことを書くべきかどうか迷っている。もう、昔のことで記憶も曖昧だし、それに5月の入笠に来てくれようとしている登山者には、何の参考にもならないだろう。

 そう思いながらも、剣沢の一夜のことを書いてみたくなった。その日は天気も思わしくなく予定していた登攀を中止して、長次郎谷の長い雪渓を下ってきた。剣沢に出てから、何を勘違いしてしまったのか、剣沢大滝の方に誤って下りかけた。しばらしてそれに気が付き、引き返したが、長次郎谷の出会い付近まで戻った所で無駄な行動が祟り、同行のHともどもバテバテになってしまった。
 しばらく互いに言葉も交わす元気もなく、結局その日は行動を中止してそこで幕営することに決めた。ふと、その時近くの岩の陰に置かれた1台のスノーボートが目に付いた。ボートはシートで覆われ、何を積んでいるのかさらにロープでしっかりと何重にも縛り付けられていた。
「H見てみろ、あれはオロク(=死体)が入ったまま、残置されているんだぞ」
「まさか、こんな場所にほったらかしはしないでしょう」
 その夜で5日目になるのだったか、ともかく紫外線を浴び続けたため、ビールがやたら飲みたかったことを覚えている。それをじっと我慢しながら、残り少なくなったウイスキーを飲んで喉を焼き、退屈しのぎにHを相手に、すぐそばのスノーボートのことをまた話題にした。
 Hは元来が口数の少ない男で、酒も強くないが、煙草はよく吸った。岩登りは、よくできた。そのころ、もうひとり仲間のNがいなかったのは、結婚したにもかかわらず仕事がなかなか見付からず、山から遠ざかっていた時かも知れない。
「お前、オロクが若い美人だったらどう思う」
「よくもそんなことを思い付きますね」
「いや、アラスカでも『300ドル』の恋物語を聞かせてやっただろう。ドラマが要るんだよ」
 そう言ったとて、Hは呆けているばかりで話に乗ってこない。と、聞くともなく流していたラジオから、剣だ、遭難だと言ってるニュースが流れてきた。聞いていると、まさしく50メートルと離れていないボートの主のことを言っている。Hもそのことがようやく分かったらしく、ふたりして耳を澄ました。(つづく)

 「28年度の営業案内」につきましては、とりあえずカテゴリー別の「27年度の営業案内」を参考にしてください。
 


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       ’16年「春」 (25)

2016年03月29日 | 牧場その日その時


 新宿の雑踏の中を歩いていても、山の手線の電車に乗っていても、それが少しも久しぶりのこととは思えず、昨日も一昨日もそこでずうっと同じ生活を続けていたような錯覚を、また今度もした。しかし、さすがに、何十年も前に暮らしたかつての生活や団欒が、今も行けば南荻窪のあの住宅地に待っていると思うようなことはなかった。
 二晩泊まった間に、小雨模様の市ヶ谷、四谷付近を歩き、上野公園、北の丸公園を車とタクシーで忙しく回り、桜の開花予想を大きく外したまだ二、三分咲きの花を眺めて帰ってきた。 
 
 入笠の花見ができるまでにはまだ1か月ぐらいはかかるだろう。その前に里の花見がある。毎年、3回も花見を楽しむのは贅沢かも知れないと思いつつ、中でも入笠の山中にある山桜の老木に一番の親しみと関心とを覚えて、今から咲くのを待っている。
 ああ、桜の花と言えばそれと剣岳方面に行く途次、北陸線の車窓から目にしたのどかな山村に咲いていた同じ花のことも忘れない。遠い昔の記憶だが、あの時も、変わりやすい天候のことなんかを気にしながら、山を続けていればそうやって毎年3回は桜を愛でることができるのだと、今と同じようなことを思ったりしたものだ。いつも桜の開花が話題になるころには、何故だかその一瞬に過ぎないような北陸線沿線の風景や印象が、1週間近い山の体験(小窓尾根ー三の窓ー長次郎谷ー剣沢ー梯子谷乗越ー内蔵助谷ー黒四ダム)にも増して、今もあまり色褪せないまま甦ってくるのが不思議だ。
  
 今日は久しぶりにジャージ-種のチビに登場してもらった。大きなホルスタインの陰に身を小さくしていたこの牛のことを時々思い出すが、再会は果たせないままでいる。チビの左の和牛は成牛で、こうなると、どんな大きなホルスタインも彼女には勝てない。だから、昨年の種牛見習いに、見習いの文字が取れた暁には、彼は牧場内ではたった1頭の和牛の雄になるわけだから、もう、向かうところ敵なしとなる。
 
 かんとさん、4月の新月(9,10日)のあたりはまた上に行きたくなるころだから、大丈夫だと思います。
 「28年度の営業」内容については新年度になってから掲載しますが、とりあえずカテゴリー別の「27年度の営業」を参考にしてください。
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