聞けば聞くほど、ここまで人権が蔑ろにされているのかって、憤りを通り越して虚しささえ感じてしまいます。
10月31日、島根オルタナティブ協議会の勉強会で体験を話してくださった一番星さんのお話を時系列で理解するため、もう一度お話をお聞きしたいと時間を取っていただきました。
地獄の13年間の始まり
99年9月高校3年生の秋、学校から帰った息子さんが涙を流すなど、様子がおかしいため、ある公立病院に連れて行くと病名も告げずに抗うつ薬、抗不安薬、睡眠導入剤など5剤の処方。ここが地獄とも言える精神医療現場に身を置く13年間の始まり。
以来、すがるような思いで通院からデイケアに、信頼していたデイケアでは薬がどんどん増え、7剤20錠程度に。認知機能が低下し錯乱状態など重篤な副作用。
通院していた公立病院に入院したのは4年後。入院しパーキンソン薬が1剤に減ると暴力的な症状が治まり5ヶ月で退院。
しかし、過飲水に陥り70キロの体重が数か月で120キロになり、1年後、04年12月に公立の県内の中心的病院に入院。
これでは副作用漬け
家族の都合でお願いした入院の日、本人が死のうとしたことを理由に拘束着着用で保護室に。以来退院までの4年間保護室から出してもらえなかった。
その間、笠陽一郎医師の著作を読み、わが子への減薬を訴え続け、08年10月笠医師のセカンドオピニオンを受け、お願いを続けて4回目にして減薬開始。
笠医師の見立ては、どこから見ても統合失調症には見えない。前景にあるのは学校の問題→解離→強迫性障害。背景にはアスペルガー傾向があるかどうか、検討の余地あり。
向精神薬の等価換算(CP換算)では約2000mg!!ボロ病院特有の処方もあり、全国一律。これでは、錯乱、過飲水、ジストニア、アカシジアなど、現症状は、すべてものすごい薬害症状のみ。これでは副作用漬けと。
減断薬は、医師のサポートなし
翌年1月、トラブルで保護室の扉が2重になってから10日ほど。憔悴状態に陥り23日に家に連れて帰り、徐々に減薬。
以来、家族主導で徐々に減薬を進め、2月には過飲水が治まり、落ち着気を取り戻し、4月にはリスパダール単剤にまで減薬。一人で買い物にも行けるようになった。一体薬とは何だったのか?
そして、5月30日には、家族の求めで完全断薬を実行しました。医師のサポートはありません。
ところが、予期せぬ思考障害、排せつ障害が出て朦朧状態になり、県内の中心的公立病院に即入院。
笠医師の本には、断薬による薬剤性精神障害と書かれていたが、急いでゼロにしたためにこんなことになるとは思いもしなかったこと。
安易な減薬・断薬はこの上なく危険。今、減断薬には医療機関のサポートが必須だと思いますが、それを受けるのは至難。
精神病院は刑務所以下
入院が継続するその後も、処方される薬の増減や種類によって症状が大きく変わるなど、安易に薬を出す恐ろしさを嫌というほど味わってきました。
精神病院は刑務所以下です。本人は何ともないのに保護室に入れられたり、薬剤が増える。
家庭の事情もあって家に連れて帰ってやれない状況が続いているが、34歳になる今、認知機能も落ちて人生を失ってしまった。何とかしてやりたいと煩悶する毎日とのこと。
政治と経済が絡み合うと
前後して読んだ、大熊一夫著「精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本」に書かれたイタリアをはじめとするヨーロッパと日本の精神医療の落差を衝撃を受けながら読みました。
この本から学ぶことは、統合失調症患者であっても、社会と医療・福祉面の受け皿さえ整備されていれば、家畜以下の扱いを受けることなく社会で暮らすことも可能ということ。
さらに、それは、社会的コストの大きな縮減につながるということ。しかし、政治と経済が絡み合うと、無知な国民はその犠牲にならざるを得ないということでしょうか。
イタリアの半分でも、数分の一でも日本が改革を進めることができていれば、34歳の彼はここまでの地獄を見ることはなかったかもしれません。