<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

五月の連休を元気で過ごせたことを感謝

2017年05月07日 23時28分12秒 | Weblog

おやすみなさい。もう寝ます。

五月の大型連休が終わりました。僕は三泊四日の温泉浴の鹿児島小旅行をしました。雨は降るかと見えて降らず、爽やかな好天気に恵まれました。温泉浴プラス赤い鳥居と赤い神殿の神宮神社を幾つも幾つも見出して尋ね歩きました。二礼二拍手一礼の拍手が高い大きな音を立てるようになりました。からりと晴れた音が出せました。音が神さまのお膝元まで木霊して行けたように思われました。神宮神社は清められた神域ですから、そこにいれば、おのが吸う息吐く息すらも清々しく感じられました。残りの日は畑に出て野良仕事に精を出しました。こうして元気で過ごせたことを感謝します。

今日のうち、畑を一列耕しておきましたので、明日はそこにほうれん草の種蒔きをしようと思います。ほうれん草は石灰分を好むらしいので、有機石灰をたくさん撒いてからにします。

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なる見込みゼロでよかったよ

2017年05月07日 14時52分57秒 | Weblog

北朝鮮のごね得独裁者さまの猛威がひとまず落ち着きを見せている。核爆弾とやらをちらつかせてやたらやたら凄味を掛けてくるので、世界中が不安に曝される。対するアメリカ新米大統領さまと世界中の関心を二人占めしておいでだ。いい気なもんだ、まったく。よほと゜よほと゜愛情不足、酸欠状態なんだろうなあ。ひやひやさせられし通しの此方はついついそんな風に勘ぐってしまう。一人の吸う酸素の量はだいたいみな同量程度なのに、彼等偉大なる支配者だけは、まるで数億人分の酸素を吸っているようなものだ。贅沢だよなあ。無用の贅沢だよなあ。吐き出すのも大変な労力だろうなあ。一定量の「一人の幸福受容量」では治まらないとは、難儀な方だよなあ。

肩に国を背負っている政治家とは、何処の国の政治家でも、大なり小なりそんなものなのかなあ。化け物化け物しているように見えてしまうが、なってみればさぶろうだってそうなるのかなあ。なる見込みゼロでよかったよ。

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やだなあ すぐに買っちゃう

2017年05月07日 14時42分57秒 | Weblog

超甘トマト苗が一株30円になっていた。売れずに伸び伸びになっていた。元々の値段の10分の1とあれば。買っちゃうよなあ。3株も買ってきてしまった。種を蒔いたのがたくさん発芽しているので、いまさら買う必要なんてないのに。やだなあ。ころりと釣られてしまう。やっぱり小魚なんだなあ、オレは。

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牛蒡の列に施肥をする

2017年05月07日 13時26分02秒 | Weblog

牛蒡の種を蒔いていたのが発芽した。二列。青々とした二列。雑草も負けず劣らず育っている。先ずは周辺を耕して草を抜く。柔らかくしたところで、そこに有機肥料を手に掴んで撒く。そしてまたそこを軽く耕す。これを2カ所で実施した。日照りをまともに受けたので汗を掻いた。お昼時になったので、いったん休憩。湿っぽくなった下着を交換した。五月は爽やかなはずだが。やはり長く外に出てはいられないようだ。夕方日が傾くまでは、炎天を避けるのが賢明だろう。お縁側の日陰に横になってしばらくお昼寝タイムに入る。せっかく植え付けたウリにウリ蠅が来て葉を囓っている。対策を講じないと食べ尽くされてしまいそうだ。これが次の野良仕事。

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バランス調整をする時間 真夜中の時間

2017年05月07日 03時35分02秒 | Weblog

バランスを崩していると三半規管が教えてくれる。是に従う。これで己を立て直す。からだのバランスを崩しているときもある。こころのバランスを崩しているときもある。立て直す。調整をして己を立て直す。生活のバランスを崩しているときもある。欲望のバランスを崩しているときもある。健康のバランスを崩しているときもある。しかし、己の安定バランスをまた取り戻す。大きくなった振り子の振りが小さくなって収まる。静寂が返ってくる。涅槃寂静が戻って来る。禅悦が戻って来る。ヨーガ療法の効果が現れる。息を整え、想いを整え、からだを整え、心を整える。時間を掛けて整える。特別の道具は要らない。

まよなか、さぶろうはバランス調整の瞑想に入る。崩れているのが分かるようになる。崩しているのが分かるようになる。調整ができると清々しくなる。こうしてしばらくは心の安定を取り戻す。時計の針は四時を指している。

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命は完成に向かって進んでいる

2017年05月07日 02時54分49秒 | Weblog

命には方向がある。向かって行くところがある。意志がある。

命は完成に向かって進んでいる。そうしようとする大きな意志のようなものがある。うろうろするばかりで、当て所なく彷徨い続けているように見えているが、決してそうではない。当て処があるのである。目的地、目標地点があるのである。

目が閉じていて触覚を頼りにしているような時もある。耳が閉じていて判断力が乏しくなっているようなときもある。それでも白い杖を頼りに進む。風の動きを読んで動き出す。

煩悩が溜まり貯まると目や耳が閉じやすくなる。こころの健康を見失いがちになる。からだの健康がこれに追随する。

煩悩は己の思いの深さである。自己酌量の深さである。欲心の深さである。これがしばしば過つ。自己のバランスを崩してしまう。病う。苦しむ。悲しむ。憂う。泣き崩れる。そうすることで調整を図るのだ。そしてまた進む。

一歩また一歩踏み出す。完成に向かって進む。

人に目的地があるということは有り難いことである。手を取って導く者がある。喜んで迎えてくれる者がいる。やがてそこに到達する。長い長い放浪の末にだが、ここへ行き着く。必ず行き着く。そして完成者となる。

独り善がりの完成者ではなく、仏陀の深い智恵の目に適った完成者となる。そうする役目を担うのが仏陀の深い慈悲であるから、そうなるしかない。仏陀と一つも変わらぬ無等等の仏陀となる。

仏教はそう教えている。人生に航路があると説いている。これに拠って進む。目眩めっぽうではなかったのである。行き着く先があったのである。これを有り難く思う。今夜は殊の外これを有り難く思う。

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