<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

わたしはただにそれを受け取るばかりである

2017年05月30日 20時57分10秒 | Weblog

正等無異 於百千万億劫 不可窮尽  「観世音菩薩普門品第18」の偈文より

しょうとうむい おひゃくせんまんごう ふかぐうじん

正等と無異とは、百千万億劫に於いても、極め尽くすべからず。

観世音菩薩の授け給う利益は、すべての人に対して正しく且つ等しく、異なることなく、たとい百千万億劫の時を費やすとも、極め尽くすことなどはできないのである。

わたしが極め尽くすことが未だし中半であるといへども、観世音菩薩の授け給う利益は止むことがない。わたしが受け取る利益は次々に波のように押し寄せて来る。昨日も受け取り、今日も受け取り、明日も受け取って行く。

すべてわたしの裁量を超えている。すべてわたしの算段を遙かに逸脱している。それでも尚且つ正等であって無異である。百千万億劫に亘って、ただただ一方的である。観世音菩薩からの一方的である。

ワンウェイロードである。仏界の慈悲はワンウェイロードである。わたしはそれをただに受け取るばかりである。

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爽やかな夏風が渡っている

2017年05月30日 09時56分57秒 | Weblog

爽やかな夏風が渡っている。庭先に咲いているポピーが揺れる。紋白蝶が風に乗って舞う。外に出て草取りの作業をしていると汗になるが、家に戻って来てシャワーを浴びた後、下着一枚でいたら涼しい。

散歩をねだって犬が吠えている。山里は静かだ。通りかかる車の音とてない。

僕は、仏説十一面観世音菩薩随願即得陀羅尼経と妙法蓮華経の観世音菩薩普門品第18の終わりの偈を読経し終わった。音読高唱する。

冷蔵庫に冷やしてあった枇杷の実を2個食べる。糖度12度の表示がある。汁が滴り落ちる。

さあこれから何をしよう。日照りのきつい日中は農作業は控える。お昼寝にはまだ早い。でも、うとうとうとうとし始めて来た。山里の老爺はのんびりした暮らしだ。

 

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わたしもこの座に着く ああ嬉しい

2017年05月30日 04時36分40秒 | Weblog

本尊界会増法楽 大楽金剛不空 真実三摩耶経 

ほんぞんかいえぞうほうらく たいらきんこうふくう しんじつさんまやけい

真言宗「般若理趣経」前段より

この段をいつものごとく当て推量を試みていく。修行を積んだことのないド素人のさぶろうの、さぶろう流の浅はかな自己解釈である。読者のみなさんはみなさんで究明をなさいますように。

本尊大日如来の曼荼羅世界は様々な多くの仏たちで満ち満ちている。曼荼羅世界の法、エネルギーが興隆している。そこではその楽しみがいよいよ増し加わっている。この法楽は仏たちの大楽である。よって金剛不空である。いよいよ増し加わる大法楽を思い見るのは修行者にとって大きな楽しみである。想い見るだけには留まらない。そこへ至る道がある。道は理趣である。この真実の仏の悟り、仏の智恵と慈悲の実践道にこれから集中して取り組むことになる。では始めよう。

仏たちの説法が始まる。集中講義だ。しかも理論だけに終わらず実践実行まで続いている。わくわくするではないか。わたしもこの座に着く。本尊界会の座に着くことになる。本尊界会は増法楽の世界である。金剛不空である。三摩耶して取り組む喜びに浸る。即身成仏実践講座の始まり始まりぃぃぃぃ。

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わたしを目的地に送り届けた肉体という船の任務は終了する

2017年05月30日 03時31分05秒 | Weblog

そこが船の向かっていく目的地である。そこで乗客のわたしは下船する。

そこからは自力で歩ける。もしくは条件に合致した別の小さな乗り物が用意されることもある。いわゆるお迎えのリムジンバスであったりもする。空を飛ぶヘリコプターだったりもする。

わたしが眠っている間も船は進んでいる。まもなく午前4時になろうとしているところで目が覚めた。船のエンジン音が聞こえている。波を砕いて進む音も聞こえる。

わたしが目的地に到着して下船すると、わたしを目的地に送り届けた肉体という船の任務は終了する。みるみる自然解体して元の元素に戻る。お役目を果たしたのだから、船は大満足である。悲しんだりすることはない。成仏する。

わたしの精神は送り届けてくれた肉体という船にふかぶかの低頭をしてお礼を申し述べる。

精神も裸のままというわけにはいかないから、着るものを纏う。それは幽体とも霊体とも呼ばれる。それがオタマジャクシの卵白のようにも見える。丸い球体をしている。

でもここからは仏陀の国である。完成された蜜厳の浄土である。仏陀の力が行き届いた世界なので、あれこれ己の策を講じることはない。いよいよ以て他力の世界である。

わたしは仏陀に抱き取られる。抱き上げられる。ねぎらわれる。クライマックスを迎えて失神する。仏陀の国での朝夕が始まる。仏陀の国の住人としての朝夕が始まる。

仏陀の国の住人は互いに菩薩と呼ばれる。つまり菩薩としての任務について活動に従事するのである。しばらくはオリエンテーションで訓練を受ける。

とまあ、こんなことをさっきから推量していた。推量を楽しんでみた。当て推量である。

命は命の旅をしている。刻一刻変化して止まない。変化向上してストップがない。だから勢い、行く先々の楽しみを楽しんで行くのである。恐れずに楽しんで行くのがいい。

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