さぶろうは老爺。72才。堂々たる老爺。長く生きられた。長く生かして頂いた。
で、当然、皺だらけで老醜を晒している。加えてアチコチに痛みがある。ズキズキする。右手の中指が固まって伸びない。傷はないのに。骨が痛い。顎の辺り、首の付け根の辺りが頻りに痛む。なんか有るんだろうなあ。
リンパ節が腫れているかもしれぬ。指先を当ててみる。気を入れてみる。5分くらい。するとやわらぐ。軽くなる。それで騙し騙しして病院には行かないでいる。しかし、夜中不意にそれが耐えられなくなることがある。
ああ、遂に来たかと思う。年貢の納め時かなと思う。何か病気がなければ死ねない。死んでいくためには、だから、病気の手助けがいる。
進んで助っ人の役割を果たしてくれるのを断ることはあるまい。あるいは、三段跳びの跳び箱のようなもの。これであの世の空中高くジャンプができる。まあ、悪いばかりじゃなさそうだ。
これはさしずめ仏さまのお慈悲かも知れぬ。だとすればこれを押し頂いて受け入れねばならぬ。ともかく何処かでケリを付けねばならぬ。お終いにしなければならぬ。是は間違いのないことだ。
此処はあの世の通り道になっているところ。せっかく人間界終了の死の準備がはじまっているんだから、拒否をするばかりというのも、大人げない。などなど考える。怠け者はそんな風にも考える。対抗手段を打たないのを良しとする。
飛行機が目的地に近づいたら、高度を下げる。速度を落とす。着陸態勢に入ると逆噴射をする。それで無事に着地が出来る。さぶろうも高度を下げる。速度を落とす。そろそろ逆噴射をする態勢に入って来るころだろう。
みずから食事を少しずつ絶つというやり方もある。古来、日本では、我が死に時をわきわめた禅僧などがこの策を選んだりした。さぶろうはそこまでの賢明さも勇気もない。生来怠け者のふしだらを通すだけだ。