夜が来ると眠る。目が開けていられなくなって眠る。眠りが浅くなると目覚める。しばらく起きているがまた睡魔に襲われる。眠る。起きたり寝たりする。寝たり起きたりする。眠ると忘れられる。忘れると楽になる。大事なことが忘れられる。羽が生えてふういと飛んで行く。目覚めるとまた捕まる。尋問が始まる。尋問に答えても答えなくても解決はしない。するものではない。なのに、捕まる。生きて何をするのだ、それを成し終えたのか、死んで何処へ行くのか、などなどなど。追い詰められるだけで、解決はしないのなら、寝ていた方がいい。尋問から解放されていた方がいい。寂しさからも悲しさからも空しさからも逃げていたい。眠たさだけが見方をしてくれる。夢が横からしゃしゃり出て、例の尋問を代替したりするが。とろとろとろと眠っていたい。とろとろとろとトロッコが下りの坂道を下っていくように。
雨降り。よろこんでいるのは草花だろう。野菜だろう。いや、蛙さんもだろう。蚯蚓さんもだろう。水の中に棲んでいる魚たちは、いつでも水の中だから、晴れでも雨でもどっちだっていいだろう。休憩に廻っている人にも有り難いだろう。それができない人たちは雨の中でずぶ濡れで作業をして辛いだろう。屋内で働いている人は平然たるものだろう。さぶろうもここに入る。ただし、働いてはいない。だらりとしている。のほほんとシューベルトのバイオリン曲を聴いている。降り出した9時からからずっとだ。それまでは外に居た。赤南瓜を西の畑に植え付けた。残っていた蔓なし隠元豆もここそこに播き終えた。さて、と。これから何をしよう。だらだらしているのにも飽いた。愛車に乗って筑後川下流の大川市あたりまでドライブをしてくるか。別に用事はない。車の中は雨にも濡れない。傍らには誰も居ない。やさしい人は居ない。一人は淋しい。これはしかし、何処に居たって何をしていたって変わらない。いっそ、ここに沈潜して詩を紡ぎ出すのはどうか。案外、詩の方からのっそり象のように歩み寄ってきてくれるかもしれない。
1)わたしを構成している60兆超個の細胞さん、あなたはほんとうにわたしですか?
2)日々刻々に壊れていて日々刻々に生まれている細胞さん、あなたはわたしになったり、わたしでなくなったりしているのですね。
3)わたしになる役目が済んだら、わたしを離れてそしてそこからはあなたは誰になるのですか?
4)入れ替わり立ち替わりに今度はわたしになるために次々に新しいあなたが生まれて来て、新しいわたしになっていく。
5)最低、わたしはあなたがいないとわたしではなくなってしまう。でもあなたはほんとうにわたしですか?
6)わたしを構成していながら実はわたしではないのではないかという疑問が湧いたりもします。
7)たとえば派遣社員のような存在かも知れない。何処からか派遣されてきているのかも知れない。
8)勤めを果たしたらあなたはわたしのもとを去って行く。そして派遣会社本部へ戻っていく。
9)せっせせっせと数日間働いても、しかし、労賃はなし。それでも十分償われているのか、代償を請求することもない。いわば無償の行為だ。
10)他者のために無償の行為が出来るのは明王や菩薩や如来である。であれば、あなたは仏界の人なのか。
11)仏界の人が暫くの間とはいえどわたしになって過ごしているということになるが、そうであれば、その期間はわたしは仏界の人ということになるではないか。
12)少なくともわたしはあなたの製造には一切関わっていない。だからあなたはわたしの意図を汲んではいない。労働条件をあなたに示したこともない。
13)わたしを構成している60兆超個の細胞さん、それでもあなたはほんとうにわたしですか?
14)わたしになったふりをしているだけですか? あなたは始めから終わりまで実はあなたのままであるのかもしれませんね。
15)あなたはわたしを宿舎にしてとある大きな任務に就いているばかりなのですか? そうするとわたしはどうなるんですか?
16)「わたしという実態すらもない」ということになってしまいそうで、わたしはふっと頭を抱えてしまいます。