<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

庭の酸漿が赤い もう赤い その6

2018年07月01日 17時03分04秒 | Weblog

我が庭の酸漿は種から蒔いて育てた。今年で2年目。まだ十分育ち上がっているとは言えない。根茎で増えて行く。そこら中を藪にしてしまうほどの勢いを持つ。

 

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庭の酸漿が赤い もう赤い その5

2018年07月01日 17時01分40秒 | Weblog

酸漿は虫がつく。葉っぱがかすかすになってしまう。お盆までまだ期間がある。その間に、もしかしたら虫に喰われてしまうかもしれない。

 

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庭の酸漿が赤い もう赤い その4

2018年07月01日 16時59分56秒 | Weblog

その後、こどもたちが酸漿の実を取り出して、小さな種を爪楊枝の先で丁寧にはじき出して、それを口の中に含んで、様々に素朴な音を出して遊んだ。

 

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庭の酸漿が赤い もう赤い その3

2018年07月01日 16時57分55秒 | Weblog

祖先の人々に、こうしてふたたび日本の夏を代表する酸漿の匂いを嗅いでもらう。さわやかになれる。祖先の人たちは、心を安んじて仏界にまた戻っていくことが出来る。

 

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庭の酸漿が赤い もう赤い その2

2018年07月01日 16時53分51秒 | Weblog

酸漿はくんと匂う。枯れても匂う。枯れてもそれを感じさせないほど赤々している。魂は嗅覚を忘れていない。

 

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庭の酸漿(ほおづき)が赤い もう赤い その1

2018年07月01日 16時33分53秒 | Weblog

早くも、庭に酸漿(ほおづき)が赤く色づいている。酸漿は、お盆が来ると、仏壇に供える。年に一度この時期に帰ってきた祖先の魂たちを、これでお慰めする。

 

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惚れやすい男は醒めやすい男である

2018年07月01日 16時16分49秒 | Weblog

暑い。おまけに湿度も高い。畑に出て農作業をする勇気が湧き出てこない。一日、だから、家の中にいてごろんとなって、だらだらだらだらしていることになる。西瓜やメロンがどれくらい太くなったか。それにすら関心を寄せなくなる。この男の熱心さは初めとその後のしばらくだけである。惚れやすい男は醒めやすい。

なんてことだ、肝心要の収穫時期になると、ほぼ立ち消えの状態になってしまう。そういう男をここら辺りでは「シイヤケドリ」と呼んで蔑む。卵を温めている雌鳥のお尻が熱で焼けてしまって、雛を孵化させるに至らないことを言う。「シイヤケ」は「尻焼け」のことである。長続きがしない。彼女(この雌鳥)は結果を導き出せないで終わる。

畑は夏草に覆われてしまっているだろう。

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現代に生きているのならカメラくらい動かせよ

2018年07月01日 16時03分42秒 | Weblog

庭に桔梗が咲いているのを発見した。白い桔梗である。僕に幾ばくかのカメラ技術があればすぐにでも撮影をしてきてここにアップすれば、その美しさ素朴さたおやかさに満足をして貰えるだろうに。それができない。時代遅れな男である。「現代に生きているのならカメラくらい動かせよ」そう言いたくなる、我が事ながら。文章で書きあらわすしか方法がないが、これは至難である。川端康成を連れてくれば、文章を以て庭の桔梗の白さ鮮やかさを描出してくれるだろう。そうすればすぐにでもその風景の中にいることを体感できるだろうが、彼は既に異界に移住している。

小説家は文章で写真を撮ることが出来る。その奇才を有している。わが庭の桔梗はその奇才に出遭っていない。奇才に出遭わない桔梗は、哀れを誘っていやさらに白く美しく咲いている。

 

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ふんとむくれてしまう

2018年07月01日 15時46分24秒 | Weblog

映画「万引き家族」を見て来た。午前中に。9時40分から約2時間。感想は、正直なところ、つまらなかった。芸術作品というのに僕は向いていないのかもしれない。無理矢理にでも感動をしなければならないといったような圧力を掛けられているようで、どうも僕はその圧力のようなものに素直になれない。反発を感じてしまう。いやきっといい作品であるに違いない。世界の映画祭の、なにしろ、受賞作なんだから。でも、僕は理解をしていない。面白いとも思っていない。涙も流していない。笑ってもいない。時間が来てやっと終わったという開放感のようなものを感じてすたこらさっさと映画館を出て来た。こんな男である。芸術作品には不向きな男である。これが感動作だと言われて突きつけられると決まって僕は、ふんとむくれてしまう。老いていれば少しは可愛く振る舞わねばならぬのに、こうだ。嫌な男だ全く。劇中、少年と少女があんなにいい演技をしたというのに。名女優樹木希林は死んで風呂場の下に埋められてしまうというのに。

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我慢も限界 エアコンをつけることにした

2018年07月01日 15時31分19秒 | Weblog

今日から7月。夏本番を迎えた。だからというわけでもないだろうが、からりと晴れた。外気温は33度を超えている。蒸し暑い。家の中にいて扇風機を回しているが、効き目はない。体中が汗でべたべたである。何度もシャワーを浴びて体を冷やすしかない。一度脱ぎ捨てたのは、上のシャツも下着のシャツも二度と着られないから、洗濯物が山と溜まる。洗濯された新しいシャツは気持ちがいい。しばらくするとまた汗に濡れてしまう。汗っかきではない方なのに。我慢も限界。エアコンをつけることにした。エアコンが黴臭い。

 

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