ものは考えようである。
考えようでは悲しくなったり苦しくなったりする。
悲しくならねばならないのではない。苦しくならねばならないのではない。
悲しくならなくったっていい。苦しくならなくったっていい。
楽しくなったっていい。嬉しくなったっていい。
自由裁量である。すべては自由裁量である。固定されてはいない。
そこはいいところだ。
ものは考えようである。
考えようでは悲しくなったり苦しくなったりする。
悲しくならねばならないのではない。苦しくならねばならないのではない。
悲しくならなくったっていい。苦しくならなくったっていい。
楽しくなったっていい。嬉しくなったっていい。
自由裁量である。すべては自由裁量である。固定されてはいない。
そこはいいところだ。
午前中は、フリージア、クロッカス、チューリップ、百合の球根を植えた。
みなプランターに。
プランターは移動できるから。
花が咲いたら、見やすい場所に移すことができる。
楽しい楽しい。砂遊びの幼児に戻っている。
土弄りは砂遊び。こんな老人になって、砂遊びに興じられるとは。
午後からは、蔓ありスナップエンドウ豆の、網棚を作った。
蔓がもう随分伸びていたので、これを紐で網に結びつけていった。
たくさんの株があるので、時間が掛かった。
夕方暗くなるところで終了した。
なんだか達成感がある。こどもの遊びの類いの仕事なのに、やり遂げたという達成感がある。不思議だ。
寒い。外は寒かった。その寒さをも厭わなかった。
エンドウ豆さん、喜んだろうな。これからどんどん蔓を伸ばしていけるから。
いいこともあるよね。
そりゃ、あるさ。
葉っぱだって、裏には表があるじゃないか。
だね。
いいことと、そうじゃないことは、セットだもんね。
悪いことばかりじゃないさ。
だと、いいがね。
お爺さんは、ここで、にっこりしてみせた。
左足は麻痺をしているから、血行が悪い。
膝から下が特に冷たい。
冬場になるとこの傾向が一段と強まる。
まるで死人と寝ているようだ。
湯たんぽであたためても、なかなかあたたまらない。
炬燵の中に入っていても、ずっと冷たくしている。
お風呂に入って、湯を熱くして温めるのが一番のようだ。
これも我慢だ。これくらいは耐えなきゃならない。
生きている間には、辛いこともある。我慢しなきゃならないこともある。
午前中、寒いのに、土いじりをして遊んだ。土いじりをしていると、このお爺さんはご機嫌になれる。よほど性に合っているんだろうなあ。
長方形の深めのプランターの土を入れ替えて、そこに百合の球根を植えつけた。植えつけた球根の2倍上のあたりに、有機牛糞肥料を施肥した。
百合は3月の頭には発芽して、約半年後の5月6月には咲き出すだろう。道を通りかかる人が、立ち止まってくれるだろう。
「ああ、キレイだキレイだ」「ここは花園のようだ」「おれたちは、なんといいところに生きていることか」「人の世も捨てたもんじゃないなあ」とかなんとか言って楽しんでくれるだろう。
朝日が東の空を昇って来た。日射しが瓦屋根に届く。霜が解け出した。
この瞬間がいい。
変化の兆しのこの明るい瞬間がたまらなくいい。
次へ次へ向かう。万物は次へ次へと表情を変えていく。
生まれ変わって生まれ変わって、一カ所にとどまらない。固まらない。
お爺さんは今日は何をして過ごそうかな。
よぼよぼのお爺さんは、なにをしてもよぼよぼよろよろなんだけど。
しかし、まあ、ここまで生き長らえてきたんだからなあ。
生き長らえられたからお爺さんになっているのだ。
そこは評価していいんじゃないか。
無駄に、中身を伴わず、充実充満させ得ず、すかすか、かすかすにして生き長らえたかもしれないが。
「お爺さん、卑屈になることはありませんよ」「今は今。ゆっくりのんびりなさいませ」と、日向ぼっこのベランダの木の椅子が囁きかけて来た。
お爺さんは、囁きを耳に残して、にっこりした。
耐えなければならないときは、耐えるしかない。
じっと耐える。
波は、波線を作って進む。谷底と山頂が交互に形成される。
谷底にいる間は、耐えるしかない。
しかし、耐えながら進歩をしてもいる。次へ次へ進んでいる。
耐えているときは、自然と己の内面が磨かれることになる。
ギクシャクして擦れ合って。じりじり痛みを受け取って。谷底に一閃の明るい日射しが届いて来て。いぶし銀の輝きが寄り添って来て。
しかり、しかりしかり。失うばかりではないのだ。
権力を掌握すると人は、鬼面を作って、「貴様、おれさまの偉さを知らないのか」と怒鳴りつける。どの分野でもこの怒鳴りつけ症候群傾向には例外がない。そして服従させる。足下に踏んで、己の最強ぶりを誇示して、それを専業とするようになる。決まって鬼面になる。トップは服従させる快感から離脱できなくなる。
幸いにしてこのお爺さんは権力掌握からはほど遠い暮らしに甘んじてきた。無能力だったからだ。「おれは偉いんだぞ」が言えない者は、「おれは無能だ」の劣等感に悩まされる。穴を掘って穴に入る。
優越感は人を傲慢にするが、劣等感は人を卑屈にする。卑下慢に落ちる。性格が暗くなる。捻じ曲がる。捻じ曲がったところは、優越感保持者も劣等感保持者も、五十歩百歩だ。であって、互いを非難し合う。
☆
ニュースが流れるたびにそんなことを思う。傲慢な鬼面が事件を起こしてテレビ画面に踊るたびに。有能者と無能者。能力が人を二極に分けてしまう。能力こそが人を人形にして操っている張本人なのだろうか。できる、できない。こいつが、終生、人にへばりつく。