うひゃあ~。明日の朝方は、予想では、最低気温0℃。
冷え込むぞ~。寒くなるぞ~。霜が降りるだろう。氷が張るだろう。
本格的な冬の入りだなあ。老人は耐えられるか。心配だあ~。
どこにも行かず、外には出ず、炬燵の中の猫になっていよう。
畑の野菜たちも凍り付くだろうなあ。凍り付かないように、糖分を蓄えて、甘く甘くなるだろうな。
うひゃあ~。明日の朝方は、予想では、最低気温0℃。
冷え込むぞ~。寒くなるぞ~。霜が降りるだろう。氷が張るだろう。
本格的な冬の入りだなあ。老人は耐えられるか。心配だあ~。
どこにも行かず、外には出ず、炬燵の中の猫になっていよう。
畑の野菜たちも凍り付くだろうなあ。凍り付かないように、糖分を蓄えて、甘く甘くなるだろうな。
為諸衆生 説是一切世間難信之法。
仏説阿弥陀経より
☆
いしょしゅじょう せつぜいっさいせけんなんしんしほう
諸々の衆生の為に、是の、一切世間の難信の法を説きたまへり。
釈迦牟尼世尊はわれわれ生きとし生けるものたちのために、一切世間の人々が信じることの難しい法をお説きになられたのだ。念仏の教えであるこの阿弥陀経を説いて下さったのだ。
☆
信じることが難しいけれども、それでも説かれたのである。信じることが難しい人々に説かれたのである。なぜそれほどに信じがたいのか。われわれが煩悩妄想を抱いて生きているからである。われわれ悪衆生が仏の智慧に目覚めていないからである。仏の智慧に目覚ましんがために説かれたのである。念仏の教えという易行の教えを説かれたのである。
釈迦牟尼世尊はたしかに阿弥陀経をわたしたちのために説かれたのである。わたしのために説かれたのである。わたしを仏にするために説かれたのである。
その事実があるにもかかわらず、わたしはいまだもって、それを信じがたい法にしたままにしているのである。離反を続けているのである。ここに、阿弥陀経を受け入れていないわたしがいて、わたしみずからが唖然とするしかないのだ。
しかし、信じることの難しい法が説かれたのである。傲慢不遜なわたしを放置することなく、わたしに向かって説かれたのである。その事実があるのである。
☆
今日もまた阿弥陀経の経典を読誦しながら、ふっと以上のようなことを思った。いつまでもいつまでも目覚めないわたしがいるのである。仏道の山麓を経巡るばかりで、山頂が遠い。遠くなるばかりだ。
川副町の役場の3階フロアーで、川副町出身の四人の画家たちの油絵の展覧会が催されていた。新聞に紹介されていたので見に行くことにした。一人で。エレベーターがないので階段を上がって行くしかなかった。幾つもの会場に分かれていた。わたしより前に二人が鑑賞しておられた。お帰りになったらわたしだけになった。受付はあるが受け付ける人が不在。ガードマンもいらっしゃらなかった。役場の方に、会談の場所を聞いてから上がって来た。その時のわたしの人相風体がいかにも怪しかったと見えて、一度様子を見に上がって来られた。その後はまた一人になった。四人の画家のうちの三人が仏像を描いておられた。どの仏像もわたしの眼を釘付けにした。仏さま方との対面が叶ったように思った。
かれこれ1時間ほども見ていた。それでも見足りなかった。展覧会はもう少し続くらしいので、もう一度見に行ってみたい。そう思った。いい一日になった。
1
寒い寒い。音を立てて木枯らしが吹き荒れている。外に出てみる気がしない。お昼ご飯も済んだ。炬燵の中に入って暖を取る。
2
昨夜も、暴風だった。騒がしかった。すわ、台風襲来かと疑った。朝になったら、止んでいた。草丈のあるブロッコリーが薙ぎ倒されていたので、棒を立てて起こして、紐で倒れないようにして上げた。1本2本ではないので、時間が掛かった。
3
今日から12月である。12個ある月の最後の月。1年の締め括りをする月になっている。2022年度のカレンダーが送られて来た。郵便受けには入れない大きさだった。
4
暮しの手帖に投書のページがある。「家庭学校」というページだ。すべてに目を通した。僕も書いてみたくなった。朝5時から書きだして7時になって書き終えた。プリントをして封書した。
5
夜明け。道路に隣の家の杉の木の大木の、昨夜の嵐で枝葉が飛んで散乱していた。いかにも雑然としていて見苦しいので、家内が箒で掃いて一輪車に載せて、焼却炉の処まで運んだ。雨も降ったのだろう、湿っていた。