<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

よろこびの地球に下りて来て、よろこびにまみれて過ごしてきたはずなのに。

2021年12月30日 17時15分35秒 | Weblog

一生をつぎ込んで、仏陀を求めている。求め得たら安心することができる。そのためだ。

 

死のうと死ぬまいとどちらでいてもいい。そういうようになれるために。

 

何が待ち受けていようと、先へ先へ進んで、怖じないようになる。そうなれるために。

 

すでに盤石な地点に歩を進めてきているのに、そうなっているのに、それを受け止めていないわたしがいる。怖じているわたしがいる。

 

小鳥が鳴いているのに、小鳥の声を聞けないでいる。そういうわたしがいる。

 

安心を得られないわたしがいる。

 

「安心をしてもいいのだよ」の仏陀の声が聞けないでいる。そういう怖じ怖じしたわたしがいる。

 

地球に下りて来てすでに76年間を過ぎたというのに。まだだ。まだ不安なままでいる。

 

よろこびの地球に下りて来て、よろこびにまみれて過ごしてきたはずなのに。

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今日は餅つき

2021年12月30日 16時52分35秒 | Weblog

蓬餅の餅つき。

 

電気餅つき機械での餅つき。

春先に摘んできて茹でて、冷凍していたヨモギ団子をたくさん用いた。

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捨ててもいいはずなのに、捨てられない。

2021年12月30日 16時47分31秒 | Weblog

どうも捨てられない。

 

有り余った水菜の苗が捨てられない。

 

「わたしを見捨てないで!」「わたしを土に植えて下さい」「わたしも生きたいのです」そういう叫びが聞こえて来そうである。

 

ほっそりしている。草丈も10cmほどくらい。

 

捨ててもいいはずなのに、捨てられない。

 

今日は、北風の中に畑に出て、耕して、土を柔らかくして、1本1本植え込んで行った。

 

あなたも元気になりなさいと言って最後にたっぷりの水を掛けてあげた。

 

といっても10株ほど。

 

昨日、大きいのを20株ほども移植した。その余りだ。

 

沢山植えても、多すぎて食べきれないはず。

 

そこで捨てたら同じ事になる。それでも植えた。ともかく要求を無視できなかった。

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捨ててもいいはずなのに、捨てられない。

2021年12月30日 16時47分31秒 | Weblog

どうも捨てられない。

 

有り余った水菜の苗が捨てられない。

 

「わたしを見捨てないで!」「わたしを土に植えて下さい」「わたしも生きたいのです」そういう叫びが聞こえて来そうである。

 

ほっそりしている。草丈も10cmほどくらい。

 

捨ててもいいはずなのに、捨てられない。

 

今日は、北風の中に畑に出て、耕して、土を柔らかくして、1本1本植え込んで行った。

 

あなたも元気になりなさいと言って最後にたっぷりの水を掛けてあげた。

 

といっても10株ほど。

 

昨日、大きいのを20株ほども移植した。その余りだ。

 

沢山植えても、多すぎて食べきれないはず。

 

そこで捨てたら同じ事になる。それでも植えた。ともかく要求を無視できなかった。

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人は、どれだけでも小さくなれるし、大きくもなれる。束縛を受けない。

2021年12月30日 15時58分36秒 | Weblog

わたしの身長体重は計測器で計測できるけれども、わたしのこころはそうはいかない。計測器に計測されることができない。

 

形がないからだ。形を持たないからだ。形に依拠しないという選択をしているからだ。

 

わたしはどれだけでも小さくなれるし、大きくもなれる。自由でありえている。

 

小さくしようと考えるなら小さくなれる。大きくしようと考えるなら大きくもなれる。好きなように、形を操ることができるからだ。

 

で、ときどきわたしはとてつもなく微量になる。微細になる。あるときにはそこに飽きて、爆発する。爆発して膨張する。そして膨大になる。甚大になる。

 

法華経に登場される菩薩様方がこの芸が得意芸だ。収縮と爆発膨張を自在になさる。こだわりがないからだ。何ものにも束縛されないからだ。

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銀河系宇宙の数は数兆個。わたしが銀河の大きさに膨れ上がる。

2021年12月30日 15時34分51秒 | Weblog

「あってもなくても、どうでもいい」くらいな感覚でこれまで過ごしてきたけど、改めて示唆されると、やはり驚いてしまう。

 

「あるものがあってくれたので、嬉しい」ようにも思う。心強くも思う。

 

「銀河宇宙の数がわれわれの太陽系銀河宇宙の他に、数兆個もある」という新説を耳にした。

 

われわれの宇宙は随分と広いらしい。意図的に「われわれの」という修飾語句を冠したけれど、間違ってはいまい。

 

「わたし」とは無関係のように見えていても、無関係ではないように思えてくる。

 

「わたしのため」あるいは「われわれのために」、そこにそうして「ある」のかもしれないからだ。

 

地球は太陽を回る惑星である。他にも数多く太陽系を回る星々がある。

 

しかし、その太陽系の星々は、数多くの銀河宇宙の中の1つに過ぎない。その銀河系宇宙がまた何兆個もあるというのが今回の新説だ。

 

兆個の銀河系宇宙が広がっているのである。なんのために? われわれのために。なんのために? わたしのために。

 

此の爺さんは、どうも、そういう受け取りをしてはしゃぎたがる。いやいや、そういう受け取りをすると、途端に力強くなれそうである。

 

わたしが1だとおもっていたのに、10だったという驚き。わたしが10だったと思い込んでいたのに、100だった。こうして連続してわたしはマーベラスになる。1だと思っていたわたしが実は1兆の数のスケールを持つ存在だった、という新発見。

 

わたしのスケールが膨れ上がるのだ、こうして次々と。次々と次々と。そうしてとうとうわたしのスピリット(精神? 魂? 意識?)が、銀河宇宙と同じ大きさになるのだ。1対1になるのだ。

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ともかくも一年を過ごせた。

2021年12月30日 10時55分12秒 | Weblog

今日は12月30日。2021年も残すところ今日明日の2日間となった。

 

ともかくも、生き長らえることができた。一年を過ごせた。多くの多くの目に見えない愛情が、我が身に降り注いでくれたお陰である。

 

 

今日は早朝、電気餅搗き機で餅を搗いた。合計3回。一臼目は鏡餅。2臼目は小餅と餡餅。3臼目は蓬餅と餡餅。

 

3臼とも、おこわご飯で俵型のおにぎりを作ってもらった。ごま塩をまぶして。これが大好きで何個も食べた。

 

孫たちがきゃあきゃあとはしゃぎながら、小餅を丸めて加勢してくれた。電気餅搗き機といえど出来上がるのが珍しいのだろう。

 

 

その後、お爺さんは外に出た。丸い椅子に座って、エンドウ豆畑の草取りをした。短い時間だったけど。

 

土をいじっていると、無念無想に近くなれる。己が身の苦痛もこころの憂鬱もしばらくは感じなくなる。「あっても、ない」になる。

 

寒い風が吹いて来て、被っている帽子があやうく吹き飛ばされそうだった。首にタオルを巻いて寒さを防いだ。

 

 

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