<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

草毟りという仕事を授かる。

2021年12月17日 18時54分02秒 | Weblog

草毟りは楽しいなあ。

 

今日も寒風の中で草毟りをした。

 

短い時間だったが、楽しんだ。

 

草が生えてくると草毟りという仕事を授かる。

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読者諸氏の「一大事」とはどんなことですか?

2021年12月17日 18時34分47秒 | Weblog

法華経の方便品に、「諸仏は一大事因縁のゆへにこの世に現れたまふ」とある。

 

「一大事」とは何か。一番大事なこととは何か。衆生救済である。衆生が仏陀となることである。悟りを開いて仏陀となることである。われわれが仏陀の智慧を得ることである。仏陀の智慧の実践をすることである。因縁は直接間接の原因。ファクター。

 

「後生の一大事」も大事だが、「生きているいま現在の一大事」も大事である。

 

諸仏がこの世に現れている、のである。まずはそれを受容しなければならない。この世に現れて、盛んにわたしに接触をしているのである。守り教え助け導いているのである。

 

諸仏がそれを諸仏の「一大事」としているのである。われわれは日頃それに素知らぬ顔をしているのだが、諸仏の一大事を粗略に扱ってはなるまい。諸仏の一大事は、われわれの一大事、わたしの一大事でもあるはずだから。

 

われわれの「一大事」は、しかし、案外、雑事が多いようにも思う。小事をも大事にして右往左往しているのかもしれない。いやいや失礼。これはわたしだけのことなんだが。

 

読者諸氏の今の「一大事」「一番大事にしていること」とはどんなことですか?

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「宴(えん)」は「心安らかにしていること」「それを楽しむこと」だったらしい。

2021年12月17日 18時19分41秒 | Weblog

「宴(えん)」は「宴座」の省略形らしい。「宴座」は「心安らかにしていること」らしい。だから、「座禅」、あるいは「座禅を楽しむ」ことらしい。阿含経に出店があるらしい。本を読んで知った。

 

飲み食いする宴(ウタゲ)=食事の場に転じたのはどうしてだろうか。食事をするときも心安らかであった方がいいのだが。

 

電子辞書を手にすると、「宴」はこうある。1,酒食を設けて歌舞などをして楽しむこと。酒盛り。2,くつろぐこと。「宴安」

 

「心安らかにして寛ぐ」というところからスタートしていたのかも知れない。「酒は静かに飲むべかりけり」であれば、もともとの「宴の会」に近付くかもしれないね。

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寒い冬場は熱々のうどんがいい。

2021年12月17日 18時14分01秒 | Weblog

今日のお昼は釜揚げうどんを食べた。熱々で食べた。丼の下に鰹節と小葱を敷き詰めてもらって、そこに茹で上がったうどんを載せたのを、箸で掬い上げて、つるつるつると啜った。

 

寒いときには熱いものであたたまる。これがいい。我がふるさとは麺工場がたくさんある。暑い夏場は素麺、冷や麦、寒い冬場はうどん。この爺はいいところに住んでいる。

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挨拶を交わして人と人とが向き合う。

2021年12月17日 16時14分49秒 | Weblog

「挨拶」の語は仏教語。

 

元々は、「挨」は弟子が師に道を問うこと、「拶」は師が弟子の問いに答えること、だったようだ。

 

師は道に達しているから、道そのもののように大きく重々しい答えとなる。弟子は道半ばだから、問いそのものも小さく軽いものとなる。

 

弟子と師の交流が始まる。「挨」は「拶」に行き着いて含まれ、「拶」は「挨」を受け入れて包含する。

 

やがてこれが広く両者間の日常のグリーテイングの意味合いに転化されていったようだ。

 

呼びかける者の言葉は「挨」。応じる者の言葉は「拶」。「挨」と「拶」は響き合う。1人称は「挨」。2人称は「拶」。3人称は「挨拶」となる。

 

おはよう。こんにちは。こんばんは。挨拶を通して人と人とが向き合う。触れて触れ合う。

 

・・・他者は「みな我が師なり」と言ったのは吉川英治だっただろうか。他者を「みな弟子として導く」という役目に就いているのは菩薩である。挨拶を通して、人は相互にいつも師となり、弟子となっているのかもしれない。

 

 

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やっと解放された。寒かったあ。

2021年12月17日 16時01分49秒 | Weblog

突風が吹き荒れている。被っている帽子が吹き飛ばされそうに強風。寒い。

 

それにもめげずないで、お爺さんは畑に出て、先日買って来たままになっていた春取りブロッコリーの苗を、10株植え付けた。

 

ぶるぶる震えながら。

 

おお、ご苦労ご苦労。

 

おまけに、散歩中の方に声を掛けられてしまった。お話好きと見えて長かった。話が切れない。逃げるわけにも行かないで、はいはいはいと聞いていた。

 

やっと解放されたので、慌てて家の中に戻って来た。

 

このお爺さんは社交家じゃない。非社交家だ。話に付き合うのが辛かった。胸に「わたし非社交家です」の名札でも付けておくといいのかなあ。

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一瞬の隙を突いて。

2021年12月17日 11時21分22秒 | Weblog

お日様は沈んでしまった。お隠れになった。ほんのいっときだった。また元の木枯らし暴風が吹き荒れている。

 

でも、その一瞬を突いて、野良着に着替えて外に出た。春取りブロッコリーを1株だけ、白菜を抜いたあとの畑に植え付けた。

 

おお、ぶるぶるぶる。寒い。大慌てで家の中に戻って来た。空はねずみ色。暗い。炬燵に入って暖を取るしかない。

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お日様は偉大だ。

2021年12月17日 11時17分05秒 | Weblog

お日様だ。お日様が顔を出したぞ。窓の外がぱっと明るくなった。

 

お日様というのは偉大だなあ。偉大なパワーを発揮できるんだなあ。

 

あらためて感心をした。

 

感心をしたら、こちらの顔も、気分も明るくなった。

 

この分だったら、野良着に着替えて、外に出て行ってみるか。

 

日射しがあれば、風も寒くはあるまい。

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土竜(もぐら)さん、凍えてしまったかなあ?

2021年12月17日 11時02分52秒 | Weblog

小径に据えているプランターを退けてみたら、底の部分の大地に、一本の細いトンネルが見つかった。

 

モグラさん一家の通路のようだ。

 

意地悪だなあ、このお爺さんは。

 

今日はここから風が吹き込んできていることだろう。

 

モグラさん、凍えてしまったかなあ。

 

このプランターには韮を育てていた。韮がこのプランターの分だけ、どうしたわけか枯れてしまった。

 

根っこを取り出して、別のところに植え替えて上げれば、もしかしたら、復活するかも知れないと思って。

 

韮を可愛がれば、モグラに意地悪をすることになった。

 

 

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冬の森の音楽家。

2021年12月17日 10時41分25秒 | Weblog

「木枯らし」って風は、ほんとに木を枯らすんだろうか? そんなことはあるまい。

 

木の葉っぱは枯れて落ちるけど。

 

森の木、山の木は、葉を落として裸になって耐える。

 

寒い風がびゅうびゅう吹き渡る。野を山を吹き渡る。

 

木枯らしのびゅうびゅうの声は、裸木が立てる声。

 

ふたりは冬の森、冬の山の声楽家なんだ。あれでけっこう仲良しなんだ。

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