草毟りは楽しいなあ。
今日も寒風の中で草毟りをした。
短い時間だったが、楽しんだ。
草が生えてくると草毟りという仕事を授かる。
草毟りは楽しいなあ。
今日も寒風の中で草毟りをした。
短い時間だったが、楽しんだ。
草が生えてくると草毟りという仕事を授かる。
法華経の方便品に、「諸仏は一大事因縁のゆへにこの世に現れたまふ」とある。
「一大事」とは何か。一番大事なこととは何か。衆生救済である。衆生が仏陀となることである。悟りを開いて仏陀となることである。われわれが仏陀の智慧を得ることである。仏陀の智慧の実践をすることである。因縁は直接間接の原因。ファクター。
「後生の一大事」も大事だが、「生きているいま現在の一大事」も大事である。
諸仏がこの世に現れている、のである。まずはそれを受容しなければならない。この世に現れて、盛んにわたしに接触をしているのである。守り教え助け導いているのである。
諸仏がそれを諸仏の「一大事」としているのである。われわれは日頃それに素知らぬ顔をしているのだが、諸仏の一大事を粗略に扱ってはなるまい。諸仏の一大事は、われわれの一大事、わたしの一大事でもあるはずだから。
われわれの「一大事」は、しかし、案外、雑事が多いようにも思う。小事をも大事にして右往左往しているのかもしれない。いやいや失礼。これはわたしだけのことなんだが。
読者諸氏の今の「一大事」「一番大事にしていること」とはどんなことですか?
「宴(えん)」は「宴座」の省略形らしい。「宴座」は「心安らかにしていること」らしい。だから、「座禅」、あるいは「座禅を楽しむ」ことらしい。阿含経に出店があるらしい。本を読んで知った。
飲み食いする宴(ウタゲ)=食事の場に転じたのはどうしてだろうか。食事をするときも心安らかであった方がいいのだが。
電子辞書を手にすると、「宴」はこうある。1,酒食を設けて歌舞などをして楽しむこと。酒盛り。2,くつろぐこと。「宴安」
「心安らかにして寛ぐ」というところからスタートしていたのかも知れない。「酒は静かに飲むべかりけり」であれば、もともとの「宴の会」に近付くかもしれないね。
今日のお昼は釜揚げうどんを食べた。熱々で食べた。丼の下に鰹節と小葱を敷き詰めてもらって、そこに茹で上がったうどんを載せたのを、箸で掬い上げて、つるつるつると啜った。
寒いときには熱いものであたたまる。これがいい。我がふるさとは麺工場がたくさんある。暑い夏場は素麺、冷や麦、寒い冬場はうどん。この爺はいいところに住んでいる。
「挨拶」の語は仏教語。
元々は、「挨」は弟子が師に道を問うこと、「拶」は師が弟子の問いに答えること、だったようだ。
師は道に達しているから、道そのもののように大きく重々しい答えとなる。弟子は道半ばだから、問いそのものも小さく軽いものとなる。
弟子と師の交流が始まる。「挨」は「拶」に行き着いて含まれ、「拶」は「挨」を受け入れて包含する。
やがてこれが広く両者間の日常のグリーテイングの意味合いに転化されていったようだ。
呼びかける者の言葉は「挨」。応じる者の言葉は「拶」。「挨」と「拶」は響き合う。1人称は「挨」。2人称は「拶」。3人称は「挨拶」となる。
おはよう。こんにちは。こんばんは。挨拶を通して人と人とが向き合う。触れて触れ合う。
・・・他者は「みな我が師なり」と言ったのは吉川英治だっただろうか。他者を「みな弟子として導く」という役目に就いているのは菩薩である。挨拶を通して、人は相互にいつも師となり、弟子となっているのかもしれない。
突風が吹き荒れている。被っている帽子が吹き飛ばされそうに強風。寒い。
それにもめげずないで、お爺さんは畑に出て、先日買って来たままになっていた春取りブロッコリーの苗を、10株植え付けた。
ぶるぶる震えながら。
おお、ご苦労ご苦労。
おまけに、散歩中の方に声を掛けられてしまった。お話好きと見えて長かった。話が切れない。逃げるわけにも行かないで、はいはいはいと聞いていた。
やっと解放されたので、慌てて家の中に戻って来た。
このお爺さんは社交家じゃない。非社交家だ。話に付き合うのが辛かった。胸に「わたし非社交家です」の名札でも付けておくといいのかなあ。
お日様は沈んでしまった。お隠れになった。ほんのいっときだった。また元の木枯らし暴風が吹き荒れている。
でも、その一瞬を突いて、野良着に着替えて外に出た。春取りブロッコリーを1株だけ、白菜を抜いたあとの畑に植え付けた。
おお、ぶるぶるぶる。寒い。大慌てで家の中に戻って来た。空はねずみ色。暗い。炬燵に入って暖を取るしかない。
お日様だ。お日様が顔を出したぞ。窓の外がぱっと明るくなった。
お日様というのは偉大だなあ。偉大なパワーを発揮できるんだなあ。
あらためて感心をした。
感心をしたら、こちらの顔も、気分も明るくなった。
この分だったら、野良着に着替えて、外に出て行ってみるか。
日射しがあれば、風も寒くはあるまい。
小径に据えているプランターを退けてみたら、底の部分の大地に、一本の細いトンネルが見つかった。
モグラさん一家の通路のようだ。
意地悪だなあ、このお爺さんは。
今日はここから風が吹き込んできていることだろう。
モグラさん、凍えてしまったかなあ。
このプランターには韮を育てていた。韮がこのプランターの分だけ、どうしたわけか枯れてしまった。
根っこを取り出して、別のところに植え替えて上げれば、もしかしたら、復活するかも知れないと思って。
韮を可愛がれば、モグラに意地悪をすることになった。
「木枯らし」って風は、ほんとに木を枯らすんだろうか? そんなことはあるまい。
木の葉っぱは枯れて落ちるけど。
森の木、山の木は、葉を落として裸になって耐える。
寒い風がびゅうびゅう吹き渡る。野を山を吹き渡る。
木枯らしのびゅうびゅうの声は、裸木が立てる声。
ふたりは冬の森、冬の山の声楽家なんだ。あれでけっこう仲良しなんだ。