<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

読書にも飽いた。集中力が続かない。

2021年12月03日 14時55分38秒 | Weblog

暇で暇でしょうがないから、小雨そぼ降る中を畑へ行って、大根を抜いて来て、洗って、台所に持ち込んで、切り干し大根を作った。みずみずしい。上等だ。そのまま囓ってもおいしい。

これを三段式干し網ケースに列べて干す。日が差していれば、3日間くらいでカラカラに乾いてしまう。干し大根、かんころの乾燥臭が部屋に満ちる。

大根を切り終わったら、またまた暇になった。どうしよう。終日、読書をしているがそれにも飽いた。お爺さんは集中力に乏しい。まだ午後4時だ。外に出ると雨に濡れる。外には行けない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近年、雀の生息数が激減しているらしいが、

2021年12月03日 14時36分38秒 | Weblog

やっぱり雨になった。土砂降りではない。降って止んでまた降って止む、といった具合だ。外に出ていく気にはなれない。気温は9・2℃。寒い。炬燵に入って窓の外を眺めている。

雀たちが餌場に来てくず米を啄んでいる。雨を嫌がらない。ときおり、小競り合いの空中蹴りをしているのもいる。虐めだろうか、喧嘩だろうか。侵入者を除外しているのだろうか。

警戒音を一羽が鳴らすと一斉に飛び去ってしまう。猫の姿でも見かけたのだろうか。またしばらくするとやって来る。間隔が短かったり長かったりする。20羽から30羽ほどもいる。幾つかのファミリーから成り立っているようだ。

本拠地としているのは、西隣の樫の木と東隣の椎の木のようだ。西の樫の木は一部分伐採されて小さくなっているが、東の椎の木は巨木だ。

此処だったら100羽だって1000羽だって住めそうだ。しかし、近年、雀の数は激減しているらしい。殺虫剤を撒いてある野菜の虫を食べた雀が、病気をして死んでしまうのかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何かしていないと暇が埋まらない。

2021年12月03日 13時11分28秒 | Weblog

お天気がパッとしない。朝からずっとこの調子。日射しが差さない。明るくならない。灰色の曇り空。雨は降っていない。

 

退屈でしょうがない。畑に出てみた。プランターに育っていた白菜苗を、畑に移植した。プランターではこの先手狭(てぜま)になるから。

 

何かしていないと暇が埋まらない。午後からは読書している。炬燵の中にいても寒くて、クシャミが出る。

 

日が差して来てあたたかくなれば、もう一度畑に出たい。同じ移植作業を継続したい。お爺さんを遊ばせてくれるのは畑一人だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後には、にっこりして手を振っておさらばしたい。

2021年12月03日 08時34分46秒 | Weblog

クエスチョン。ここに居眠りしているこのお爺さんの一生は、どうだっただろうか、幸福か不幸かの2択だとすると?

前者だっただろう。地球に生まれて来られたんだし。

美しい青い空も青い海も青い山も、美しく見ることができし。

幸福・不幸の2者は終始、押し合いへし合いしていたけれどね。

互いを尊重し合ってもいたんじゃないか。

ま、混合ダブルスってところだったかなあ。

ダブルスだったから、互いを労り合い支え合うことができたんじゃないか。

お爺さんはまもなくこの地を去ることになる。刻々とそのときが迫ってきている。

あれこれはあったけれど、最後にはにっこりして手を振っておさらばしたい。

10

そうすればそのにっこりが総決算になる。有り難うの人生、幸福な人生として、決着する。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

有り余る暇をどう埋めようか。

2021年12月03日 07時19分25秒 | Weblog

まもなく8時半。雨は上がって来ているようだ。遠くに青空が見える。黒くない白い雲も切れ切れに浮かんでいる。・・・しばらくしたら青空が消えてしまった。また降り出しそうだ。

洗濯物を干す干し竿には、雨垂れの雫が垂れている。列をなして。垂れたままで落ちないでいる。鈍く光っている。

今日は市役所に行く。ナンバーカードをもらいに行く。それ以外はすることがない。無職だから暇だ。暇をどう埋めようか。出掛けて行くべき宛てがない。

薩摩芋を掘り上げたあとの畑がそのままになっている。有効活用をしたいのだが。これから野菜種を蒔いても、発芽温度に達しないから、無駄になる。

どうしようか。赤玉葱をもう50本植えつけようか。それでもなお広い空き地がある。耕して畝を盛り上げて、高菜を植えつけるか。休耕田ならぬ休耕畑にしておいてもいいだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健康と不健康は同等の価値を有している。

2021年12月03日 05時38分14秒 | Weblog

午前5時半過ぎ。障子戸の向こうはまだ暗い夜。軒端に垂れる雨垂れの音がしている。間隔が長い。たいした降りではなさそうである。外気温5.6℃。寒い。炬燵に入って暖を取る。

 

今日は12月3日。金曜日。家内の誕生日である。誕生祝いは昨日すませた。健康でいてくれて有り難い。妻の主婦業によって家庭が成り立っている。家族はこれに依拠していられる。

 

健康は価値あるすべてのものの中で最高位に君臨している。最高位にある健康は、しかし、最高位を驕らず、謝礼を要求もせず、いつも控え目に立ち振る舞っている。その控え目さに甘んじて、その地位にありながら、われわれは余所見をしてしまう。

 

では不健康はどうか。不健康は、まるで赤ん坊のように愛情を欲しがる。欲しがっているだけの愛情を注ぐと、そこで泣き止むことになる。にっこりする。健康と不健康は同等の価値があるのだ。どちらもゴールドの輝きがある。われわれはそこに目覚めていく。

 

 

年の瀬が近付いている。大掃除が待っていよう。主婦業は忙しくなる。気持ちもせわしくなる。いらだってくる。やがてお正月だ。ラストの12月がまたスタートの1月になる。新しいスタートの役目を担う1月さまはいつも初々しい顔をしている。

 

暦というのは便利だ。これがあれば、万物が刷新されて、古くなっていかない。さっさと1に戻る。古くなるばかりだったら、破れかぶれのマントのように、さぞさぞ暗く冷たく陳腐になっていただろう。暦があれば、その誘いに乗じてみな一気に若返る。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする