午前5時半過ぎ。障子戸の向こうはまだ暗い夜。軒端に垂れる雨垂れの音がしている。間隔が長い。たいした降りではなさそうである。外気温5.6℃。寒い。炬燵に入って暖を取る。
今日は12月3日。金曜日。家内の誕生日である。誕生祝いは昨日すませた。健康でいてくれて有り難い。妻の主婦業によって家庭が成り立っている。家族はこれに依拠していられる。
健康は価値あるすべてのものの中で最高位に君臨している。最高位にある健康は、しかし、最高位を驕らず、謝礼を要求もせず、いつも控え目に立ち振る舞っている。その控え目さに甘んじて、その地位にありながら、われわれは余所見をしてしまう。
では不健康はどうか。不健康は、まるで赤ん坊のように愛情を欲しがる。欲しがっているだけの愛情を注ぐと、そこで泣き止むことになる。にっこりする。健康と不健康は同等の価値があるのだ。どちらもゴールドの輝きがある。われわれはそこに目覚めていく。
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年の瀬が近付いている。大掃除が待っていよう。主婦業は忙しくなる。気持ちもせわしくなる。いらだってくる。やがてお正月だ。ラストの12月がまたスタートの1月になる。新しいスタートの役目を担う1月さまはいつも初々しい顔をしている。
暦というのは便利だ。これがあれば、万物が刷新されて、古くなっていかない。さっさと1に戻る。古くなるばかりだったら、破れかぶれのマントのように、さぞさぞ暗く冷たく陳腐になっていただろう。暦があれば、その誘いに乗じてみな一気に若返る。