<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

それを思うと己を粗末に考えることが難しくなる

2017年05月29日 22時30分49秒 | Weblog

法界平等利益。ほっかいびょうどうりやく。法界は平等利益す。

日の光は法界平等利益であった。わたしもこれを受ける。善の人ばかりではなく、悪のわたしもこれを受ける。

月の光もやはり法界平等利益であった。分け隔てなくわたしもこれを授かる。授かって爽やかになる。

五月の風も法界平等利益であった。わたしの頬をも撫でて通る。五月の山の新緑もまた法界平等利益であった。わたしの目が見てよろこんでいる。

法界は平等で分け隔てがない。わたしも法界のすべての利益を戴く。あらん限りの利益を戴く。

わたしが平等の利益に与れるということをもって、ここが紛れなく法界であることの証明になっている。

法界とは仏のいますところということである。仏の智恵と慈悲の流通するところということである。

この平等利益を思っていると、現実社会の不利益への不平と不満の割合がともに小さくなる。消えてしまうことはないにしても、文句を言う声音が小さくなる。

わたしが法界の利他行の相手になっている。ずいぶんの昇格である。破格の昇格である。それを思うと己を粗末に考えることが難しくなる。

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生死の車輪は回りに回る

2017年05月29日 20時51分46秒 | Weblog

原因と結果は実は同一人物である。始まりに位置していると見るときには、それは原因という顔をしている。終わりの時間帯でそれを見出せば、それは結果のネクタイを締めている。原因と結果には幅があるように見えるが、刻々に原因であって、同時に結果でもある。演繹すれば、原因のモーターとなるが、終息を図りたくなっていると、それは結果の色調を帯びる。結果は直ぐさま原因に鞍替えしてしまうので、長くそこに居座っていることはできない。

生の結果は死であるけれども、同時に死の結果も生にほかならない。二人ではなく一人なのだ。一人芝居の独演会なのだ。

仏教は業、カルマを説いている。地獄も己の業であり、その対極の極楽もまた己の業にほかならない。己の蒔いた種は己で刈り取らねばならないと説いているのは基督教である。同じ真理を説いている。

現世は来世の原因作りの場でもある。前世の業に拘束されていながら、それをどう受け止め、どう展開し、切り返したか。それが即ち来世の原因に様変わりする。

原因だけで留まることがない。結果だくで留まることもない。原因は結果の卵であり、結果は原因の卵である。次へ次へ伸び上がって行く。延長して行く。その点、常に永遠性を携えている。死で終わることもないし、生で終わることもない。常に次を発芽させているのだ。生死の転回の、速度が速い人もあるが、それは個々人の個性に他ならない。その結果に満足している場合もあるが、満足できないで次の転回に踏み出した人もある。

人の死は悲しむべきことだという受け取りはいつしか変色する。人の生はよろこぶべきことだという受け取りもまた変調して新しいメロディーを求めたがる。車輪は回りに回る。

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その吐息がまた熱い

2017年05月29日 14時55分59秒 | Weblog

外は29度の熱。逃げられない植物群が耐えきれなくなって、ふうふう吐息をついている。とりわけサツマイモの蔓といった植えたばかりの苗物たちが。ぐにゃりして、もはや正座も出来ない。吐き出したその吐息がまた熱い。といってもまだ五月の終わりだ。6月、7月、8月、9月と暑い季節がこれからいよいよ本格化していく。老爺はこの夏の試練を凌ぎきるだろうか。

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詩「そんな顔はしていない」

2017年05月29日 11時33分09秒 | Weblog

「そんな顔はしていない」

水が流れている/万物を潤すために流れているのだが/そんな顔はしていない/しないでもすんでいる/しかし、その結果/流れているだけで万物が潤されている/

「そんな顔はしていない」ようになるまでには/実は太古からの長い長い歳月があった/歳月も流れていた/その間、水も歳月も修行をともに重ねてきたのだ/

わたしがここを流れて行くには訳がある/わたしが水になるためだ/わたしが流れて行くことが/すなわち修行なのだ/短い間だが/わたしの中に/歳月がいて/ともに流れて来た/

そんな顔はしていない/そこまで至り着くまでの長い歳月/そんな顔をしないでいいようになるまで/わたしは流れていかねばならない/いまはお昼間/谷の小石の沢を流れている/

この修行を完了された方は/自然界には意外と多い/雲もそうである/風もそうである/ここまで来ると/過去現在未来の/一々の執着から解き放たれて/おだやかないい顔になっている/

薬王華蔵第三詩集「おれは偉いんだ象」より

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薬王華蔵というのは願いを込めた隠れ名

2017年05月29日 10時46分50秒 | Weblog

薬王華蔵という名はさぶろうの隠れ名である。薬王は薬王菩薩様からお借りしてきた。法華経にはこの菩薩様が多く登場される。薬上菩薩様のお兄様である。かっては王宮の王子様であった。その時の名は浄眼、浄蔵。お二人はお釈迦様の脇侍でもある。良薬を施与されるお働きをされる。良薬を施された衆生は身心の苦しみから解放される。華蔵は「華蔵界・蓮華蔵世界」からかってにお借りしてきた。華厳経に説かれているのがこの浄土世界。毘盧遮那仏、盧舎那仏の仏国土である。「薬王華蔵」は、だから、贅沢すぎる名である。こうありたいという願望が込められている。

彼は詩集をいま編んでいる。まだ出来上がってはいない。「おれさまは偉いんだ象」という名の詩集は、元気を失いがちの人に向かって対面している。元気を出してほしいという願いが込められている。

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合わせての風景だったのである

2017年05月29日 10時33分33秒 | Weblog

丸呑みすればよかったんだなあ。善も悪も。陰も陽も。是も非も。生も死も。病も健康も。ぐるりと一巻きにして併せ呑んで、呑み込んだらよかったんだなあ。そうだったのかあ。でも、噛み砕く。30回も咀嚼する。これもうまい。それぞれに味があるから。だったら文句は言えない。受諾と拒否と二つあるから、それぞれの用向きを立てる。その寛大さ、包容力も大切にしたい。

まもなく午前11時。光と影。眼前に庭が広がっている。もみじの新緑に、溢れている光。若葉の下の大きな影が静かに潤っている。合わせての風景である。光はまぶしい。影に入れば憩いがある。一つ一つもいいが、それを組み合わせたのもゆっくりしていて、いい。

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楽ちん楽ちんになる生き方があるんだぞう

2017年05月29日 07時35分36秒 | Weblog

詩集の詩「楽ちん楽ちん」

おれは偉いんだぞう。象なんだぞう。おれの中には神さまがおられるんだぞう。

神さまは宇宙全体のパワーを惜しげもなく与えてくださるんだぞう。それがおれにはわかるんだぞう。

パワーをもらったおれは、この通りさ。元気いっぱいだ。ニコニコしている。

このニコニコの、ニコニコパワーは独り占めができない。おれ一人が受け取れる量をはるかに越えているんだからね。

それも毎朝毎晩次々つぎつぎ送られてくるんだぞう。お金を払ったこともないのに、気前よく次々とだぞう。

だからついついこのプレゼントをたくさんの人にプレゼントしたくなる。おれたちは偉いんだぞうって。みんなみんな偉いんだぞうって。思っている何倍も何万倍も。

おれたちはこんなにこんなに偉いんだぞうって、言いまくりたくなる。みんなにみんなに言わせたくなる。

みんなに元気になってもらいたくなる。宇宙全体のパワーをもりもり受け取ってもらいたくなる。

偉いってことが本当にわかったら、もう偉ぶったりはしないでいい。楽ちん楽ちんになる。楽ちん楽ちんになる生き方があるんだ象。

薬王華蔵第三詩集「おれは偉いんだぞう」より。

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薬王華蔵詩集「おれさまは象なんだぞう」より

2017年05月29日 07時07分49秒 | Weblog

おれは偉いんだぞう。象なんだぞう。なにしろ、おれの中には神さまがいらっしゃるんだぞう。おれはそれを感じ取っているんだぞう。話だって出来るんだぞう。守って力をくれて良い方へ良い方へ導いている神さま。おれの中の中心の位置だから、すこぶる居心地がいいはず。椅子に座ってニコニコしておれを見ていておられるんだ。おれもニコニコさ。元気をたくさんもらっている。で、おれはこの通り元気がいい。それほどのおれなんだぞう。おれは偉いんだぞう。山の中の静かな小さな湖にそんなおれを映してみた。大きな象が何頭も何頭も映っていた。元気のいい象の足がドシンドシンドシンと大地を踏み鳴らした。勝ち誇ったように。

薬王華蔵第三詩集「おれさまは象なんだぞう」より

この詩集を読んでくれた子供たちが元気をだしてくれたらいいんだがなあ。自己肯定ができないでしょんぼりしている子供たちが、自己肯定の目を開いてくれますように祈りたい。

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千葉県産のピーナッツが元気に発芽した

2017年05月29日 06時42分47秒 | Weblog

関東在住の方から送っていただいたピーナッツの種が元気に発芽した。本場千葉県産のピーナッツ。60個ほどもある。小さな苗ポットに埋めておいたら、それがどれもどれも見事に勢いよく発芽した。送っていただいた方の善意そのもののように。嬉しい。今更ながら感謝を覚えている。昨夕、畑の土をやわらかく深く耕して施肥をして移植をした。その一部を。二列。根がポットの底の穴からはみ出していた。水撒きをたっぷりして日没となった。風呂場の丸椅子に掛けての作業だから捗らない。もどかしい。今日また続きをすることにしよう。長いこと雨が降らないから、土が乾いてかたかたに硬い。それを小さく小さくほぐして行く。右手に握った手鍬を振り上げながら。今朝方蛙が鳴いていた。もしかしたら、雨の気配を感じ取っているのかもしれない。送り主にお手紙をしなければならないが、それを怠っている。

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一日の寒暖の差が激しい

2017年05月29日 00時17分24秒 | Weblog

寒暖の差が激しい。夜になったら冷え込む。夜明け前に極に達する。夜の0時を過ぎた。下着だけでは寒い。この数日間こんな調子だ。夏用の薄い掛け布団では我慢出来なくて、押し入れから冬用の厚手の布団を引き出して来た。さあ、もう大丈夫。やすもう。

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