度胸は座る。座布団にも座るが、地べたにも座る。岩の上にも、草の上にも。座るのが好きだから、座る。座らないでいるときにはよろよろとすることもあるが、座れば大丈夫である。これは誰にもある度胸についての、わたしの所感である。
度胸は座る。座布団にも座るが、地べたにも座る。岩の上にも、草の上にも。座るのが好きだから、座る。座らないでいるときにはよろよろとすることもあるが、座れば大丈夫である。これは誰にもある度胸についての、わたしの所感である。
整形外科病院から戻ってきました。あと10分でお昼になります。背中にも鳩尾にも汗が流れていますので、タオルを水に濡らして、汗を拭き取りました。麻痺の左足の甲がずいぶん腫れています、赤く。歩く度にズキンズキンします。ベッドにやすんで、氷で冷やすことにしました。もちろん、部屋の冷房は欠かせません。
ドクターは、損傷を受けた部分だから腫れるのも痛むのも予期されたとおりで、心配は要らないとのことでした。安静は必要のようです。チョット安堵しましたが、痛いのは辛いです、やはり。2週間後に、予約を入れて貰いました。早く完全治癒したいなあ。
目の前に豪邸が建っている。それでふっとこう考えた。
豪邸が羨ましい? 羨ましくない、今は。
なぜ? 病院の診察を受けての帰り道だから。症状が回復しないので、やや気弱になっているから。痛い痛い痛いが、わたしの判断をフルカバーしているから。
だから、豪邸を羨ましく思わないで、それはただの物体で、わたしには訴えてこない。意味を持たない。アピールをしてこない。
いまのわたしは、早く痛みが収まってくれることをひたすらに願っている段階。此処では、豪華な物体にも魅力を示さないでいられる。羨望が消えている。
これはいいこと? いいことなのかもしれない。痛い痛い痛いは、それだけの活用をしている、そんなことが言える。
そうかあ、そうだったのかあ。NHKラジオ番組の「子ども何でも科学質問箱」を聞くのは楽しい。今朝のはナマケモノ猿の質問だった。質問したのは4才の男の子。ナマケモノはどうしてゆっくりしているか?
回答者は、おおよそこんな説明をされた。ナマケモノはナマケモノではありません。ゆっくりしているのは、ゆっくりしている良さがあるからです。こうしていると、エネルギー消費を抑えていることができます。少ししか活動しないので、少ししか食べなくていいことになります。
ふうーーん、ふうーーんだった。ナマケモノは一日の大部分を寝ているらしい。少ししか食べないので、うんちも1週間に一度くらいでいいらしい。
そういう生き方もあるんだなあ。
もうからワシワシ蝉が鳴いている。油蝉も聞こえる。この暑さを蝉たちはどうやって凌いでいるのだろう? ニンゲンのように冷房に入ることは出来ないし。夕方もここ数日は来てないし。
おやおやおや、蛙が鳴き出したぞ。窓のすぐ近くへ来ているようだ。庭も畑もベランダもどこもからからに乾いているはず。そこをぺったりぱったり歩けば、足裏が火傷をするんじゃないかなあ。
肌と肌を合わせていられるようになったのは、進化の過程のいつのころだったのだろうか。素肌と素肌は、二者の間のすべての介在を除去し去ったのである。彼等は直接の合一という体験に進んだのである。それまでは深いざらざらした体毛に覆われていたので、官能という類いの快感は味わえてはいなかった、オスもメスも。長時間、肌と肌を合わせていられるようになって、彼等は深い穏やかな思索に耽って、人類へと脱皮した。そこでなおさらに快感が数段も跳ね上がったのである。そして子どもを産む倍率が格段に上がった。子孫は繁栄を重ねて行った。快感というのは進歩を司っていたとである。それはいまも変わらない。変わらないはずである。
新しい快感は、その後新しく生まれているだろうか。人類のこれからの進化ということを考える。おそらくこのままの、現状維持と言うことにはならないだろう。
「ねえねえ、今年は蚊が発生していないんだって」美容室に行って帰って来た早々の細君が、僕を捕まえてその大発見を伝えて来た。そこで話題になっていたらしい。「日照りで沸騰直前にまでなった溜まり水の中では、ね、ボウフラは生き残れないらしいのよ」「ふうん」僕は、相槌を打った。いつも細君のお喋りをあまり聞いていないことが多い。それでも不満ではないらしく、いつも勝手に、つけっぱなしのテレビのように、話しかける。「暑いのは嫌だけど、蚊がいなくなったのは大歓迎」美容室の女たちの話題はそこで終結を見たらしい。「蚊に食われないでいられるなんて、ね、どう、今年は爽快な夏になったわ」彼女のはいささか過大評価のようだ。今年は猛暑続きで熱射病に罹って倒れる被害が相次いでいる。それを片方の天秤に置いて、それに釣り合うような重さを持っている口振りだ。「でも、ほんとうに蚊はいないの?」僕は聞いてみた。僕は暑くて外に出ていない。このところずっと。外に出て行かないから、だから蚊に刺されてはいない。しかし、夜になっても、蚊取り線香は焚かれていない。侵入者はいないのか。噴霧器も使われてはいない。そこだけで判断したらあんがいほんとうなのかもしれない。これから外へ出てみる。鉢植えで育てている菊に水遣りをしておく仕事がある。「それで蚊に刺されなかったら、真実ということにするよ」僕は答えた。さあどうなんだろう。美容室でのトピックスというのがためされることになった。ためそうというような真面目さはあまり動いていないけれど。
我が家の畑で収穫したプリンスメロン、切って冷やしてあったのを食べてみた、つまみ食いをして。一切れ。イマイチだった。匂いは甘い匂いなのに、味はそうでもなかった。食べたわたしの舌の方が、もしかしたら、せっかくの甘さを検知できなかっただけかも知れないが。或いは収穫のベストチャンスを逸らしてしまったのかもしれない。
匂いは甘い匂いなのに、そうではない。匂いというのは実態を助長するものなのか。測定値なのか。カモフラージュするものなのか。女の人と擦れ違って、通り過ぎて、甘い匂いがすることがあるが、あれはこちらの願望を刺激したために起こったことであって、実態を指し示す値ではないのかもしれない。
手を繋ぐためにある手を繋がない 風が来て手と手の隙間吹き抜けて行く 薬王華蔵
☆
ではどうして手があるのか。繋げるようにしてあるのか。五本の指と指の合間に隙間が空いているのか。右手と左手を組み合わせるためなのか。
☆
スカートが風に揺れている。公園の木陰の下にある石のベンチに来てわたしたちは遅い時間の弁当を広げた。切ない味がした。
11
でも、わたしは至って痴れ者、うつけ者。この世にいてやはり好きなおんなの人、優しく擦り寄って来てくれる人、美しい人が恋しくなったりもする。
現実を出たり舞い戻って来たり。ふわりふわり、揚羽蝶の羽のよう。