これです!!
内地の靴屋さん、ABCショップ、マリンコーナーなどでも絶対に売られていないような気がします。
足元まで見るということはないけど、古びた「ぎょさん」を履いていれば、現地の人だということがわかります。
「ぎょさん」とは「漁サン」、つまり「漁師サンダル」を意味するもので、数年前は茶色しかなくまるで居酒屋の便所サンダルのようでした。
茶色だけだったら、まあ遠慮するつもりでしたが、今回は目を引くような青、黄、赤、緑、紫、黒・・・といつの間にかに、「ぎょさん」が小笠原ファッションのひとつになったんだ!?と思えるくらい、カラーバリエーションが豊富。
売られているところはフリーショップの「まるひ」さんと「何でも館アサヒ薬局」さんだったような気がしますが、写真撮っておけばよかった・・・。
この商品の特徴は・・・・
内地で売られているビーチサンダルは鼻緒が埋め込み式で使っているうちに外れてしまうこともありますが、これは絶対に外れることのない一体成型。
漁船に乗っても、滑りにくい、脱げにくい、ゴムが柔らかく長く歩いても疲れにくい・・・よい性能づくめです。
道理で小笠原の島民たちは年間通して、この「ぎょさん」を愛用する理由がわかりました。
「ぎょさん」なくして、小笠原快適ライフはあらず。
東京の渋谷や新宿で茶色の「ぎょさん」で歩くのはちょっと勇気がいりますが、青はファッション性あるかも?
いろんなカラーバリエーションがあるのに、あえて「青」を選んでしまったのは、碧い海が好きだからでしょう。
船の中での会話。
「父島や母島も含め諸島を小笠原と名付けたのは、発見した人の名字から?」と聞かれました。
「はい、そのとおり・・・」
小笠原の歴史について、うろ覚えなので、ここで改めて復習。
1593年(安土桃山時代)、信州の城主、小笠原長時の孫、小笠原貞頼(さだより)が発見。無人島のまま、しばらく放置。
1830年(江戸時代)、5人の欧米人と15人のハワイ人が帆船で父島に到着。
最初は20人の外国人が定住、その子孫はトレーラーハウスのオーナーさん(毛利荘)。
セーボレーと名乗っていたが、日本では印鑑を使う習慣があるため、当て字の「瀬堀」になったそうです。
1853年(江戸時代)、ペリー提督が二見港に入港。この島をアメリカの領土にしようと考え始める。
幕府が小笠原をアメリカの領土にされては困ると、小笠原島開拓を発令、外国奉行の水野忠徳らが父島送り。
1862年(江戸時代末)、扇浦に日本政府仮設所を置く。
1875(明治8)年、先住民が小笠原島を日本への帰属を了承。
1882(明治15)年、先住民全員が日本に帰化。
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1940(昭和15)年、町村制を施行。
父島に「大村」、「扇村袋沢村」 (父島だけでも人口7462人) → 現在2003人
母島に「沖村」、「北村」 (母島 1905人) →現在454人
硫黄島に「硫黄島村」(1164人)が設置される。 →現在 自衛官のみ
1945(昭和20)年、終戦。
小笠原諸島は米軍の統治下に置かれるようになり、青ヶ島村が東京都最南端。
1968(昭和43)年6月26日、小笠原諸島返還。小笠原村発足。 東京から南へ1000キロ。
唯一の交通手段は「おが丸」だけで25時間半もかかります。
25時間半かけてやってきたのは、この風景。
まもなく、二見港に寄港。
真っ先に父島タクシーさんが歓迎していました。
本業はタクシーなのに、船を使ってドルフィンスイム、兄島海中公園、南島観光が主でレンタルバイクもやっています。 東京から1000キロ、お疲れさまです。
でも、夏休みの間はせっかくここにたどり着いても、数時間後にまた東京へ・・・。
小笠原に滞在していると、そんなものは珍しいとは思わなくなりますが、到着したばかりだと懐かしいものばかり目に付くので興奮しながらパチリ。
南の島でよく見かける、ハイビスカス。
自宅でもイエローのハイビスカス育てています。
(冬の間だけちょっと心配ですが・・・) スーパー小祝さんに寄ってみました。
島ゴーヤー グラムあたり70円。
小笠原でもゴーヤー獲れるなんて素晴らしい。
ゴーヤーがあるのはこれだけだけど、うちなんちゅ(沖縄の人)のようにゴーヤーを消費していないかな・・・。 スーパー小祝さん名物のウミガメ缶詰。
初めて小笠原に来たとき、ウミガメ刺身や煮物を少しだけ頂いたことはあるのですが、ハマるほどの味ではありませんでした。
食べられるけど、ちょっと苦手なほう。 郵便局にも寄ってみたいな~。
おのっちさん「郵便局に行ってみる?数年前に出会った職員さんいらっしゃるのかな?」
「母島からの帰りに郵便局に寄ってみよう!」 生まれ育った場所でもないのに、この風景は本当に懐かしい。
初めて来たのは1997(平成9)年。そのときは右も左もわからない、小笠原ビギナー。何回来たか、数えてみたら今回で7回目。
4年のブランクがあっても、変わらずの街並み。 派手な看板が見えるところは、スーパー小祝さんです。
おがさわら丸入港日は次々とパンや牛乳、肉、野菜などの食料が運ばれ、にぎやかになります。
商品はまだ並んでいないので、買い物客はあまり見かけませんでした。 「小笠原寿司」。
上の3つだけは、郷土料理の「島寿司」です。
冷蔵庫のなかった昔は少しでも保存が効くようにサワラという魚を醤油漬けにしたもの、なかなか入手できない「わさび」の代わりに練りからしを使っています。
このような島寿司は青ヶ島のアジサイ荘でもいただきました。(気前がとても良く、すごく大きなジャリでした)
小笠原近海で取れた魚をネタにしているので、どれも初めて聞く名前ばかりでした。 4年前に来たときは、「おが丸」が入港1時間後、「ははじま丸」が出航。
今回は2時間後の13時半出発に変更。
(4年前は14時40分母島到着、今回は15時40分)
2時間あれば、ゆっくり食事もできるし、お土産店めぐりもできるので、そのほうがゆったりしていいかなと思います。 母島に近づくつれに天気が怪しくなってしまいました。
島の上に黒い雨雲が・・・・。
これはたぶん、南の島によくあるスコールでしょう、と気にしないでいたら、晴れてきました。
母島も4年ぶり、本当に懐かしい!
青ヶ島も2002年が最後で、その5年後空から集落の街並みを見たときは「懐かしい!」と叫びたくなるような気持ちと同じぐらいです。(笑)
一緒に行った友人も写真撮りまくり、画像を送ってもらいましたので、これからは使わせてもらいますね