おがさわら丸出港日のダイヤは
父島7:30→母島9:40/10:30→父島12:40 14:00東京行き
母島を10時半に出て、東京に着くのは翌日15時30分。
おがさわら丸の出ない日は
父島7:30 → 母島9:40 /14:00 → 父島16:10 のダイヤが組み込まれているので、母島2泊、父島1泊のコースなら母島最後の日はゆったりできる。 母島入港時の様子をヨングクさんが撮ってくれましたので、アップしますね。
入港時に不審者はいないかと目を光らせています。
ここも東京都なので、おまわりさんも「警視庁」。
小笠原警察署の管轄は小笠原村全地域なので、南鳥島や硫黄島も含む。
2006年、「硫黄島からの手紙」が上映されてからは「硫黄島に行ってみたい」と観光協会に問い合わせが殺到したらしいです。
年に1回、遺族の方々の硫黄島慰霊や戦没者遺骨収集、小笠原中学校の社会見学でしか上陸できないそうです。
私のような一般人の上陸はかなり難しい。
硫黄島の自衛官は2~3年ごとの交代、「小笠原手当」なるものが毎日出ているが、使いたくても使える場所がないため結構貯めているそうです。
鹿島建設の新しくてかなり立派な官舎、食事も充実しているとのこと。
「硫黄島からの手紙」のとおり、湧き水がなく、過酷な環境。1日500mlの水しか与えられなかったみたいなので、苦しみながら亡くなられた兵士も多い。
そのため、夜就寝する前にコップ1杯の水をドアの前に捧げておかないと、真夜中いきなり部屋の中で得体知れずものが「水くれ!!」と騒ぎだすというエピソードがあるそうです。
自衛官たちは交代しながら3ヶ月に1回は内地に帰れるのですが、赤紙の交付により硫黄島にやってきた兵士たちはここで死ぬ覚悟をしていた。
内地に帰りたいという思いも非常に強いせいか、空自輸送機に乗ろうとしたら、背中にたくさん人がすがっているような感覚になることもあるそうです。
地下壕は複雑な迷路のようになっていて、まだ見つかっていない壕もあり、まだたくさんの遺骨や遺品が眠っています。硫黄島の英霊に合掌。