今夜のメニューは・・・
母島漁師さんの釣ったオナガダイの刺身に母島産きゅうり、千切大根煮島オクラ入り、エゾシカのシチュー。ごはん、味噌汁、シチューはおかわりOK。
母島なのに、「蝦夷」(えぞ)の付くメニューになっているのは、お母さんは北海道根室市出身。
我が家とは違った、親戚の家にお邪魔するような家庭的料理です。
とても美味しくて、皆さんも競うようにおかわりしていました。 デザートはパッションフルーツと三尺バナナのシャーベット。
次の日もパッションフルーツがいっぱい出ました。
自家農園を持っているという話を聞きましたので、もしかしたら、このパッションやバナナは自家製かも。
小笠原に来て、「畑」らしきものを見かけたことはありません。
ほとんど酸化鉄の赤土なので農作物を育てるのに不向きだそうです。
小笠原で畑を持つとしたら、土壌改良を施しているかも知れませんね・・・。
レジャーや遊びばかり夢中になってしまい、小笠原における農業事情の取材を逃してしまいました。
次回の小笠原は島の野菜を育てている農園を見せてもらうことにしましょう。
今日は雨が降ったので、夜光きのこの「グリーンペペ」が見られるかも知れないと思い、ナイトツアーに出発。
桑の木山の入り口にバイクを止めると、あたりは漆黒の世界だ。
ほのかに緑色が光っていれば、簡単にグリーンペペが見つけられるはずなのに、今日は発見できず。
(あとでわかったことだが、雨が降って2~3日後だと見つけやすいとのこと)
せっかく桑の木山まで来てしまったので、終点北港まで行くか・・・とバイクを走らせた。 途中の「探照灯基地跡地」。
旧日本軍が設置した、大型の敵機探照灯が壕の中に据えてあり、外に移動できるようにレールが敷かれてありました。
64年前の残骸。
初めて見たときとあまり変わらずの姿をさらしています。
壕の中で染み出た水。
ボウフラはいなかったので、あまり蚊に刺されませんでした。
ここにいる人は3人のはずなのに、もう1人いました。
もう1人って誰!?不思議な現象に遭遇。
北村小学校跡地。
開校は1887(明治20)年。
石段と校門は現在だが、廃校60年以上経っているため、ほとんどガジュマルが茂っていました。
ここから終点の北港まで200メートル。
街路灯もないので、漆黒の世界。
写真撮っても、真っ黒でした。
60年以上前にタイプスリップすれば、ここでも民家のランプでほのかに明るかったかも知れませんね。
空を見上げると・・・・小さな宝石が散ったかような無数の星。
内地で見る星は、明るく光っている星しか見られないのに、ここは感動してしまうほどの美しさでした。