なんなんだ!?古めかしい旧字体の漢字が使われています。
観光ガイド雑誌の「まっぷる」や「るるぶ」には載っていない、一風変わったB級観光スポット地だそうです。
この博物館は館長の栗林白岳さんが私財を投じて、1987(昭和62)年建立。
今年80歳とおっしゃっていましたので、計算してみると1930(昭和5)年生まれ。
戦局が激しくなった1944(昭和19)年、満蒙開拓青少年義勇軍に14歳で自ら志願。
その後、獣医生として関東軍に所属、上等兵として終戦を迎えた。
太ももに鉄砲の弾が当たり、貫通。獣医の知識を生かし、自らの手で弾を抜き取り治療を施したという。
戦争を二度と繰り返さない後世のためにこれだけの量を収集されたのは本当に素晴らしい。 はるばる外国のサイパン島より帰還した戦車。この戦車は昭和18年満州國(今の中国)公主領戦車隊よりサイパン防衛に参加し、同海岸で玉砕。鎮魂の品であり、遺品でもある。平成18年、同島海岸で発見し、日本に帰国。
館長さんの手作り看板にそのような説明文が書かれていました。
サイパン島は東京から南へおよそ2500キロなので、小笠原の父島からおよそ1500キロ。父島へは、おがさわら丸で25時間半かかるのに、サイパンへは飛行機でおよそ3時間。
ホンモノの戦闘機が飾られた、博物館の入り口。
遠くから見ても迫力があります。 まるで大日本帝國を思わせるような、受付の雰囲気もすごい。
受付の係員は女性の方でした。
「日本刀2本、自決用短刀1本を心なき方に盗まれてしまいましたので、館内各所で防犯カメラで録画中です」とのこと。
受付の横で鎮座。
日露戦争を舞台にしたNHKドラマの「坂の上の雲」でのロケに使われたとのこと。
「坂の上の雲」を書いたのは、司馬遼太郎さん。
彼も戦争を経験しているので、フィクションを基に小説化。
その小説を映像化にするのに、これらの展示資料が役に立ったわけですね。
(7月5日の 産経ニュースより)
7月に入り夏本番間近だが、今年は台風がまだ1個しか発生していない。気象庁によると、6月末現在で台風が1個以下だったのは平成10年以来12年ぶりで、昭和26年の統計開始以降、ほかには3回(昭和48、50、58年)あるだけだ。同庁は、インド洋の海面水温が高いことが原因の可能性があるとみており、北日本を中心とした冷夏など天候不順につながる恐れもあるとしている。
今年の台風は、3月24日に発生した1号のみ。6月末までの発生数の平年値は4・5個。
気象庁によると、今年はインド洋の海面水温が高く、大気の対流活動が活発化。逆にフィリピン近海は対流活動が弱く、台風が発生しにくい状態になっている。インド洋で上昇気流が盛んになる一方、フィリピン付近では下降気流が強まっているためとみられる。
こうした状況は「エルニーニョ現象」終息直後によくみられるという。今年は春にエルニーニョが終息したばかりで、6月末までの台風が1個以下だった過去4回のうち、3回はエルニーニョが終息した年だった。さらにフィリピン付近の対流活動が不活発だと、台風が少ないだけでなく、太平洋高気圧の北への張り出しが弱まり、西日本は暑いが北日本は気温が低い「北冷西暑」パターンになりやすいという。
同様に台風が少なかった昭和58、平成10年夏は「北冷西暑」で、「大気の状況が今年と類似している」(気象庁気候情報課)という。
(ここまで)
毎日天気予報や天気図を確認しているのに、台風のマークや進路予想図を1個も見かけず。
ブログを始めた年の2005(平成17)年は小笠原の母島、父島。
2006(平成18)年は伊豆諸島の中でまだ行ったことのない御蔵島のはずだったが、波が高くて八丈島にお流れ。朝来た船でそのまま折り返せば、午後御蔵島に降りられたかも知れない。港の状態が良くなければ、三宅島になってしまう。
振り回されたくないので、八丈島に急きょ変更。
2007年(平成19)年は青ヶ島へ4回目、5年ぶりの上陸。
2008年(平成20)年は御蔵島へリベンジ。
当初、梅雨明け直後の7月を考えていたのに、すべて宿が満室に。7月に宿泊したいときは、2ヶ月前の5月に申し込んで抽選で決定、とのこと。へぇ~と思いながら、7月の2ヶ月先の9月に変更。心配していた台風の発生もなく、すべて予定通りに。
2009年(平成21)年は再び小笠原の母島、父島。
今年は1998(平成10)年の夏に類似しているとのこと、毎年恒例の島旅は予定通り順調になれそう!?
予定が狂ったのは、梅雨明けが最も遅かった2006(平成18)年だけでした。