図書館で偶然見つけてしまいました。
内容に興味があったので、借りています。
平成も22年になり、「昭和は遠くなりにけり」。
本書はほとんど昭和30~40年代の夏休みを収録しており、私が過ごした昭和末期の夏休みとはちょっと程遠い感じがしますが、かき氷、海水浴、夏休みの宿題なども共通点が見られ、懐かしく感じました。 さて、私の夏休みは!?
親は実家で理美容を営んでいました。
同じ屋根の下で父は理容室、母は美容室。
入り口は2ヶ所なので、それぞれ独立の店舗を構えていました。
ところが、父は「臨時休業」にしてしょっちゅう海へ素潜り。当時のお客さんもよく晴れていて海が凪いでいれば、必ず素潜りに行っているはずだと察してくれたのか、帰ってくる夕方を見計らい、夕方から夜にかけては来客が増えていました。
臨時休業のおわびとして、いつも来てくれるお得意様には獲ってきたばかりのサザエやアワビのサービス付き。
昭和時代のエアコンはパワーが強すぎたのか、キンキン冷えるタイプでした。
スイッチが1ヶ所しかなく、全部屋に冷風を配管するタイプなので、閉店の間は忍び込み、しょっちゅうかき氷を食べながら涼んでいたのを思い出します。(笑)
その頃の夏休みアルバムもいちおう大切にとっていますが・・・ほとんど無造作に入れてあり、いつ頃撮ったものなのか不明。
夏休み初日から2泊3日で野外学習というのが、当時の学校恒例行事のようなので、山奥でのキャンプや、海辺でのキャンプなどが出てきました。
少子化の影響により、今年度から休校になってしまい、残念なことになりました。
建前は「休校」となっていますが、事実「廃校」です。
山口の故郷は日本海側にあり、韓国とは鼻の先。
2004年の夏、故郷でしばらく滞在し、韓国に向かうプランを作り、ヨングクさんと一緒に旅した。
カーナビの地図に指さしながら「私の母校」と話すと、ヨングクさんいわく「母校なのに素通りするつもりなのか?せっかくだから寄っていけば」「いや、当時を知る者なんて全然いないんですよ。寄らなくてもいいかも?」彼の勧めもあって、ハンドルを切った。
母校を卒業してから数十年ぶりに校門を潜ったのだが・・・・全校の児童数が非常に少ないのは記憶しています。
あのときが最後の訪問だったとは思いもしませんでした。 なるほど・・・小湊鉄道も昭和を懐かしむこともできます。
昭和のレトロっぽいディーセルカーに乗ると、当時住んでいた山陰本線のキハ20のエンジン音(振動)を思い出すこともできます。
でも、運賃が日本一高いのがネック。
ICカードのパスモを拒否し、未だに硬い切符と改札鋏が使われているのがすごいです。
せめてJRと同程度の運賃にしてくれないかな。