はい、青ヶ島の島男はちょい無愛想なのがほとんどです。国立国会図書館に所蔵してある、青ヶ島に関する古い資料などで自分なりに分析してみました。
島女はすごく社交的で明るい方、母性もあって、面倒くさからずにまめに書いてくれます。
昭和30年代の青ヶ島は想像を絶するほど、過酷な秘境でした。青ヶ島教師を募集しても、「島での生活は勘弁だ」と次の船に来る船で姿をくらますのがほとんどです。当時の青ヶ島行きは年4~5回。今だと考えられないアクセス手段。
東京~八丈島の定期船が青ヶ島まで延伸する日は、島の若者が総出で大型客船から小型船に乗り移すはしけ作業に出かけます。島男は褌姿に「エイサ、エイサ・・・」と掛け声とともに漕ぎます。
そんなお父さんの後ろ姿を見て育った世代は女々しいことは一切しない「島男」。それが今の40代から60代の間かな。魚をさばくのも得意。男が作る島料理もすごくてんこ盛り。大雑把な味付けでも美味しい。
30代はちょうど三宝港に「港」が完成し、はしけ作業が見られなくなった頃です。本土からテレビの電波が届くようになり、島に居ながらも本土の情報を収集し、島言葉を話さなくなったのはその世代から。
20代は1993年にヘリコプターが365日毎日来るようになり、2000年頃から島にインターネット接続可能。2004年からは本土と変わらないブロードバンド導入。言葉も東京と変わらない標準語。障がいを持つ人と出会っても、柔軟な対応もできるのは、その世代。
10代は・・・本土と同じ基準になった頃なので、「出身は青ヶ島です」と言わなければ東京の子と全く見分けができません。
青ヶ島の郷土ブースで並んでいるときに売り子さんをちらっと見たところ、テレビで落ち着いた口調で青ヶ島の見どころを解説していた中学生(今は高校生)、2年前の青ヶ島旅で同じ船で乗り合わせた高校生でした。
「メニューに出ている、4種類全部くださいな」とメモに書いて、そっと差し出すと、自らのポケットから筆記道具を取り出し、「かしこまりました。13時から発売になります。チケットを渡しますのでその時間になりましたら、取りにいらしてください」。「今のは予約なんですか?」「はい、その通りです」青ヶ島は聞こえない人に対するコミュニケーションリテラシーは合格。
若い子だというのに、よく気が利きますね~!!
いつもお世話になっている方も、私が来るのを想定し、ポケットにメモ帳と筆記道具を忍ばせ、さっと取り出してくれたのに感激~!!
13時。青ヶ島ブースに行くと、「申し訳ありませんが、13時30分になりました」。
島のスローライフなので、時間きっかりというわけではないので、まあ、なんとなく理解できます。 ちょっと腹が減ったな~と「小笠原弁当」で行くか!と思い、小笠原ブースに行くと「小笠原弁当」がないっ!!4年前の島じまんでは小笠原の食材で詰まった弁当が売られていたのに~!!
今回はメガシキのコメハンバーカー。
なるほど、小笠原はもともとアメリカの植民地(終戦後~1968年6月26日)なので、沖縄と同じくチャンプルー文化。
小笠原のメガシキをハンバーカーにしたものでした。
メガシキは魚のはずなのに、鶏肉っぽい風味。 八丈島の島寿司。私にとっての八丈島は青ヶ島へ行くための踏み台にさせていただいています。(八丈島の皆さん、本当にごめんなさい)
でも、八丈島の島寿司はすごく美味しかったので、懐かしさもあり、買ってしまいました。
次の記事は・・・青ヶ島です。
4年前の島じまんではなかなか気づきませんでしたが、今年やっと気づきました。
村の小さな出張所だというのに、ちゃんと3つのゾーンに分かれていました。
私は犬の鼻のようで空気にすごくシビアなんです。例えば、檜原村はマイナスイオンの空気が漂っているとか、海に行けば潮の香りがするとか、そう感じ取れます。
小さな出張所からは、3つの異なる空気が漂いました。
1つ目のゾーンは三宝港の香り。
このあたりです。
島のグルメを販売するコーナー。行列ができているときは、まだ準備中なので、何も匂わなかったのですが・・・ 4品すべてが完売した夕方あたりになると、三宝港と全く同じ空気が漂いました。
浜遊びのときは獲れたての魚を炭で焼いているので、その空間をそっくり青ヶ島から竹芝に持ち込んだという感じです。
(参考画像:2002年夏・三宝港)
2つ目のゾーンは居酒屋。
なんだか、美味しそうな焼酎の香りが漂うな~と思ったら、置かれている「あおちゅう」は試飲用なので、瓶を開けると芋の香ばしい香りが漂います。
青ヶ島の民宿はどれも夕食にボリュームたっぷりなので、食後、居酒屋にはしごすることはなかったのですが、あの焼酎の香りはまるで居酒屋のようです。
3つ目のゾーンは島民たちの憩い 青ヶ島の人たちは人が集まれば、獲れたての鮮魚を肴にして酒盛りが大好き!!
今回は他の島から持ち寄ったグルメにお酒の瓶。そして、島男たちのタバコ。
竹芝出張所でもこの空間だけは青ヶ島の日常をそっくり垣間見ができます。(笑)
(参考画像:2002年夏・民宿)