別府の地獄巡りをしているうちに遠い昔の記憶が蘇ってしまいました。まず、小学校1年のとき。郵便局の簡保生命?なんとかの加入者向けの団体旅行企画で我が家と親戚、祖母も一緒にマイクロバスで杉乃井ホテルへ。運悪く喘息発作。従兄弟が心配し、市内の病院に連れてもらったこと。小学1年生なので、記憶がうやむやだけど、昔のアルバムを引っ張ってみたら、やはり!!2回目は、小学校5年の夏休み。マイカーは持っていないので、親が手配した特急「にちりん」とツアーバスを利用。特急にちりんは昭和40年代に作られた国鉄のボンネット型だというのは覚えているので、たぶん481系かも??今の時代、JRや飛行機、ホテルや旅館の予約もネットでできるようになりました。私が子供のころはネットもなく、電話だけだというのに、聞こえない親がどうやって手配したのかな~??国鉄の長門二見駅は常時駅員さんがいて、小倉から別府まで特急券を申し込むと、鉄道電話で下関駅に照会。受話器を抱えながら、メモ。電話を切ると、緑色の補充券に「小倉」「別府」のゴム印を押し、電話で聞いた座席番号を書き込み発券していたので、切符は長門二見駅でお世話になっていたかもしれません。
中学生頃、真新しい100系で東京に行きたいですっ!!と長門二見駅の駅員さんに申出。電話で聞きながらメモし、緑の補充券で「小倉」「東京」のゴム印にひかり○号 何号車何番何号の細長い補充券を発行してもらい、東京。切符を記念にもらえることは知らなかったので、今は手元になく残念。100系でも小倉から東京まで6時間かかりました。今のN700A系は4時間50分から5時間以内に切っています。
3回目の別府は東京から鹿児島の佐多岬までクルマ。そのころは鉄道ではなく、クルマでどこでも行ってやるという情熱が強かったせいか、東京から青函フェリーに車を積み、稚内まで、今度は佐多岬とかチャレンジ精神旺盛。平成6(1994)年にクルマで稚内、根室、平成9(1997)年に佐多岬の記録あり。その年に小笠原航路に新しい「おがさわら丸」(山口県下関市の三菱造船)就航、新しい香りが消えないうちに乗船とか・・。
子供のころからず~っと変わらない風景。海地獄はゆで卵が有名らしく、その熱で茹でたものを売店で販売中。5個で300円でした。
ここに来たのは本当に久しぶりです。
昔撮ってきたアルバムは色が褪せてしまいましたが、脳裏に残っている色は、このまま。
灰色の熱泥が沸騰する様子です。
湧き出ると、人間の坊主頭に似ているから「坊主地獄」と名付けたとのことです。