最近、湿度計を見ると60%台に下がっているので、少し前に比べると蒸し暑さは感じられなくなりました。
千葉県は早生米の名産地なので、早くも収穫がはじまっています。窓を開けると、夜中でも野焼きの煙が漂うこともあります。野焼きは控えるようにと何度か広報しているのに・・・。
この涼しさになると、電気事業法第27条による電気使用制限が解除されます。
東京電力管内は当初9月22日まででしたが、9月9日に解除されることになりました。
東京都目黒区内の公共施設(図書館や体育館等)では節電対策とし、7月1日から9月9日までの平日午後1時から午後4時まで一時閉館。
「目黒区は平日の3時間だけ、どこも閉まっているなんて過剰節電対策だ!」と小耳にはさんだことがあるのですが、私のところは照明を一部抜き取り、エアコンを最小限にしながら通常のとおりでした。
13時前に「一時閉館になりますので、お帰りくださーい!!」なんて、ちょっと考えられないかも・・??
またもや、青ヶ島からのお便りが届きました。
9月6日(火曜日)は、12日ぶりに船が動き、貨物船と定期便還住丸のタブル入港でした!とのことでした。
メモ帳を広げてみると、8月26日から9月5日まで欠航。
そのため、溜めすぎてしまった荷物が届き、てんやわんや!!とのことでした。 すっからんだった、唯一の商店にもいろんなものが入り、買い物客でごった返す様子が目に浮かびます。
小笠原の父島、母島も台風12号のせいで「おがさわら丸」が欠航しただけでも島が大変なことになってしまったらしい。
8月22日(月曜日)の次に入港したのは9月4日(日曜日)。2週間近く、正確に言えば13日間も物流がストップしたわけなので、青ヶ島と同じく溜めていた荷物がどっさり届き、宅配業者さんは大忙しだとか・・・。
この写真は9月6日の青ヶ島における夕暮れ。何度見ても癒されます。
9月5日、青ヶ島宛ての郵便物を投函したところ、翌日配達!!日本一の最難関所だというのに日本郵便の超速達っぷりに驚きますわ!!
内地で暮らしていると、台風が来ようとも物流は動いているし、スーパーに行けば欲しいものを入手できます。島暮らしでは何日も物流がストップしてしまう、もどかしさはすごくあるかも知れません・・・。
今夜の夕食は、ゴーヤーが出ました。
職場の節電対策として、西日を遮るように今夏からゴーヤーで緑のカーテンを作りました。
ヨンロさんの提案により、実現。職場産のゴーヤーが食べられるのはヨンロさんのおかげですね。感謝です。
ゴーヤーとは、琉球語のはず、韓国ではどんな言葉が使われているか、日韓辞書を引いてみたら、「にがうり」→「つるれいし」でヒットしたのは「??」(ヨジュ)でした。
韓国語サイトで「??」で検索してみたところ、ちゃんと韓国でもゴーヤーは収穫でき、漢方食品として取り扱われているようです。
・?? ???????(ゴーヤ 草園漢方+(プラス)
韓国では毎年5月に苗を植え、沖縄と同じ気候になる7月~8月の間に収穫というところが多いようです。韓国のゴーヤー料理レシピあり!!
ゴーヤーの発音にちなみ、ちゃんとしたハングル「??」(コヤ)があることが判明。
今日は山口の伯母から届きました。
伯母からのゆうパックはいつも「切手」だらけです。(笑)
伯母は切手を集めていないので、たぶん、変な切手ばかり貼る私に対しての二見郵便局の粋な計らいかも? 開けてみたら、多量の「梨」が出てきました。
千葉県も梨の生産額日本一らしいですが、今年の「梨」は山口県産をいただきますね。
日本海側の小さな漁村とはいえ、内陸部は梨がたくさん獲れるので、「豊北(ほうほく)梨」というブランドだそうです。 追跡情報を見ていたら・・・
途中の中継地は下関支店、綾瀬支店、千葉支店。
日本海側の郵便局から取り集められたゆうパックは夜8時に下関支店を通過し、高速道路に乗り、中国道、名神道、東名道・・・ひたすら東京方面に運転。東名高速を降り、翌朝9時42分神奈川県の綾瀬支店に到着。千葉方面なら新東京支店行きのトラックに積み替え。
午後2時に千葉支店通過、午後4時に自宅最寄りの支店に到着、赤い郵便車でお届けになっているみたいです。
ここまで届くのに、何人ものドライバーによって運ばれてきました。本当にお疲れ様。
前回までは山口市の「山口ターミナル支店」経由でしたが、今回は以前の下関支店に戻っています。
「山口ターミナル支店を午前中に通過していれば、その日のうちに届くが、正午を過ぎただけで、翌日に回すなんて、遅すぎませんか」と日本郵便に苦情を出したことがあったので、下関支店に変更し、ここから出しても翌日に届くように改善したみたいです。頑張れ!郵便!!
ふだんの言語は日本手話と文字の日本語なので、韓国語を忘れてしまいそうなので、復習のつもりでタイトルにハングルを打ってみました。
ハン尚宮(母)が韓国風のサラダを作ってくれました。
「??、??、??? ? ?? ???」
??の発音は「火事」と同じく、「カジ」。ナスを意味します。
??は「オイ」、きゅうり。
日本語の呼びかけに相当する「オイ」は、韓国では通用せず。「?」(や~!!)だそうです。
???はソコキ(牛肉)、??は日本語でも通じるナムル。
サラダは日本語でもアメリカの英語でも通用できるので、韓国もサラダ?と思い、辞書を引いてみると、???。読みはセルロド。
「なす、きゅうり、牛肉のナムルサラダ」でした~!
ブルータス9月1日号は青ヶ島が載っているかもしれない、島特集ですよ!と青ヶ島からメールが届いているのに、すごく気になり、思わずネットで注文してしまいました。 注文して、2日目届きました~!!
青ヶ島の方も私と同じくネットで注文してあるみたいですが、もう届いたのかな?荷姿が「本」なら、きっとヘリコプターに積むので、もう届いているかも??
やはり、ありましたよ!!
この雑誌を書いたライターの鯨本さんは、わずか17日で東京離島を制覇。
えーっ!?わずか離島11島を全部めぐるのに、17日なんですかっ!?
私の場合は10年以上かけて、唯一未上陸だった御蔵島で全島制覇したというのに・・・。
たどったルートは、伊豆大島→神津島→新島→式根島→三宅島(普段はつながらない高速ジェット船が6月に試験運行便で渡れたとのこと)→八丈島(年に1回おがさわら丸に寄港する便で小笠原へ)→父島→母島→(これも年に1回、八丈島寄港便で八丈島へ、それから最大難関所の青ヶ島)→青ヶ島→御蔵島→利島でゴール。
伊豆諸島めぐりをして、いったん東京に戻らなくても、年に1回おがさわら丸が八丈島に寄港する便を利用し、効率よく回れたわけです。
17日で全島制覇とはすごいですな~!!! ついでに一緒に注文しておいた、雑誌「島へ 9月号」も今回は「小笠原諸島前半編。まもなく発売される、10月号も小笠原諸島後半編。
プロカメラマンの写った、小笠原諸島の景観はまるで海外のリゾートのよう。また小笠原に帰りたいな~!!
青ヶ島からメールが届きました。いつも島の様子を教えていただき、ありがとうございますっ!!
青ヶ島の新しいブログを立ち上げたとのことなので、ここで紹介させていただきます。
・ひんぎゃのお山
青ヶ島に関することなら、老舗のブログは
・青ヶ島に暮らす +++1/200のシンプルライフ+++
青ヶ島の様子や特産品を紹介するブログは
・青ヶ島特産品倶楽部
伊豆諸島のなかでブログ更新度ナンバーワンは青ヶ島なんですよ。
3本立てのブログから、本日の就航状況をメモしていますが、還住丸はなんと8月26日から欠航10日目(9月4日現在)。それでも2、3日しばらくはダメなんだろうと書かれているので、船の欠航が2週間近くになりそうです。
動いているのはヘリコプターだけになってしまいましたが、1番困っているのは内地からの食料品。大丈夫なんでしょうか・・・。
ランチは栄養満点の五日市ほうとうを考えていましたが、8月の暑い日にグツグツ煮えた熱い鍋。もちろん、エアコンが効いているとはいえ、熱い「ほうとう」は秋から本格的な暑さになる7月あたりまでが1番美味しい。
暑いからこそ、熱い「ほうとう」を食べると夏バテ防止になれますが、やはり、今回は別のところでランチにしました。
向かったところは、大型ショッピングモールの「イオンモール日の出」。
これでも、住所は「東京都西多摩郡」。
わが故郷の山口県は豊浦郡、大津郡、美祢郡・・・といったように「町」「村」がほとんどだったというのに、平成大合併により、山口県内は一部の町村を残し、ほぼ全地域「市」に変わってしまいました。
何もない小さな漁村でさえ、住所表示は「下関市」、郵便も市内全地域「下関」の消印。
山口県は秘境に相当する田舎でも「市」だというのに、日の出町はかなり都会化が進んでおり、「市」に昇格してもおかしくないはずです。それなのに、いまだに「西多摩郡」とは驚き。
わが街でも県内ナンバーワンの大型ショッピングモールができるはずだったのに、かなり失敗。駅前の都市開発がものすごく下手。イオンモール日の出みたいに、いったん外に出なくてもいいようにすごく広い屋内にいろんなお店があればいいのに、カインズモール、ケーズ電気、大型書店が店舗ごとあちこち別々に建てられているので、移動するのにクルマが必要。無駄な土地がいっぱい。
たとえば、カインズで買い物して、今度は書店に行きたいと思えば、かなり離れた場所にあるので、クルマで移動しなければならない。クルマであちこち買い物をするのが億劫。せっかく新しいものができているのに、客離れになってしまうのは必至。イオンモールみたいにすごく広い屋内に複合施設を作ればよかったのに。その不満を「市」にぶつけても、いまさら難しい。当初、複合施設のアリオができるはずだったのに、なぜか計画倒れに・・・。
今日のランチは「緑たっぷりのパスタ」。
デタラメに作り上げたものですが、味は結構いけました。
材料は・・・水菜、ブロッコリー、ピーマン、鶏むね肉、鷹の爪、にんにく、ぶなしめじ、市販のバジルソース、4種類の香りソルト、青ヶ島産ひんぎゃの塩、コショー、料理酒、ピザ用のチーズ。
1.ポールに鶏むね肉を入れ、すりおろしたニンニクと適量の料理酒、ひんぎゃの塩、コショーをまぶしておき、しばらく放置。
2.ブロッコリーの花部分と茎部分を切り分けておきます。ピーマンも細く切っておきます。
3.ブロッコリーの茎、ピーマン、ぶなしめじが柔らかくなるまで茹でておく。最後に花部分も茹でる。
4.しばらく放置しておいた鶏肉をガスコンロの「グリル」モードで半生焼きにしておきます。
5.みじん切りしたニンニクと鷹の爪をオリーブオイルで熱したフライパンに入れ、炒める。
6.パスタ麺を時間通りにゆでておき、ゆであがったら、パスタ麺をフライパンに移し、茹でておいた野菜とグリルで焼いた鶏肉を入れ、バジルソース、4種類の香りソルトをバラバラとふりかけ、ピザ用のチーズも入れてさっと炒める。麺がモチモチとした食感を出すために、茹でたときのお湯を少し(80cc~100cc)加えるとよい。 夕食は刺身と、ハン尚宮(母)の作った、五目チャプチェ。
五目チャプチェといっても、かなりデタラメな食材を入れたものですが、これもかなり美味しいです。
台風12号がすっかり西にそらし、関東圏への影響はなさそうですが、湿度が80%もあるので、ものすごく蒸し暑いです。
先週は九州からの友人を迎えに東京駅へ。小倉から5時間。飛行機だと1時間半、空港までのアクセスと搭乗手続きの時間も含むと、およそ2時間半。
新幹線は飛行機より2倍の時間を要すといっても、一昔に比べるとかなりスピードアップしています。
国鉄0系で小倉から東京まで乗ったときは6時間だったとは覚えています。流れる風景がすごく面白くて、6時間なんてあっという間だったような?(笑)
東京駅のエキナカグルメで昼食、それから京浜東北線で大宮へ。E233系は新しいし、のんびり各停で。(東京~田端間の山手線平行区間は快速。停車駅は秋葉原・上野のみ)
国鉄時代の品川~田端間は山手線と平行し、山手線と一緒に走っては止まる。わざわざ一緒にしても非効率なので、民営化後は10時半から15時半まで快速運転が始まりました。止まるのは品川・浜松町・東京・秋葉原・上野・田端と覚えていれば、数分早く目的地に着けそうです。
国鉄103系の車内。
東京に憧れ、初めて乗った国電はやはり103系。
今となってはすごく古い車両ですが、何もない漁村出身の私にとって103系は斬新でした。田舎者がいきなり都会に行くとカルチャーショックを受けてしまいます。
大都会に慣れると、何もない秘境の青ヶ島に行くと必ずカルチャーショック。
5回も行っているので、青ヶ島の秘境っぷりはもう慣れっこですが、初めて行ったときはすごくジャングルのような都道に茫然してしまいました。
「国電」はもうすでに死語になってしまいますが、国鉄時代の首都圏は私鉄と区別するために「国電」という言葉が定着していたようです。
民営化後は国鉄ではなくなったため、それに代わる言葉とし、「E(イー)電」というネーミングになりましたが、「JR」のほうが理解しやすいので、E電は廃れてしまいました。
国電がそのまま地下鉄に乗り入れるようになりました~!!
地下鉄東西線ですね。
中野駅は東京メトロとJR線への乗り換え改札口がありません。
西船橋もかつては乗換改札口がなかったため、中央線沿線から地下鉄経由千葉行きの安いキップを購入し、実際は全区間JR線といったような不正乗車が相次いでいたらしいですが、現在は西船橋駅で東京メトロとJR線の中間改札が設けられています。中間改札でどこを通ったかチェックされるので、購入した券面の経由通りにすれば大丈夫でしょう。
国鉄の赤字を訴えるポスター。
昔の国鉄時代はどんな田舎の駅でも駅員さんがいました。
長門二見という超マイナーな駅でも朝3時台の始発から夜11時の終発まで駐在。
民営化後は急激に無人駅が増えてしまったのは、人件費の削減だろうと思います。
山城さんを午前10時にチェックアウト。その後、日原鍾乳洞に行くとしたら、到着予定時刻は11時半頃になってしまいます。日原でランチできるところはなさそうだし、次の機会ということで、今回は「神戸岩」に変更。
「神戸」と書いて、「かのと」。檜原村内は難読地名がいっぱい。全部読めていれば、檜原通。
「人里(へんぼり)」、「事貫(ことずら)」、「吹笛(うずしき)」とか。
檜原村内の道路標識はとても親切。地名の下に読み方をローマ字でつづっているので、おのずと覚えてしまいました。
ここは、東京都天然記念物に指定されている「神戸岩」。
大きな岩を神様の入口として、「神戸(かのと)」と名付けたのが始まりだそうです。
神戸岩の真下は急流の川。
この道は奥多摩までつながっているみたいですが、車両の進入禁止になっています。
動画を少し編集してみました。臨場感を出すため、音は消していません。
旧国鉄時代から半世紀近く走ってきたJR東日本の「113系」の定期運転の最終列車(8両編成)が1日運行され、終着駅の総武線千葉駅(千葉市)ホームには鉄道ファンが詰めかけ、別れを惜しんだ。
最終列車は成東駅(千葉県山武市)を同日午前11時12分に出発し、定刻通り同11時59分、千葉駅に到着。埼玉県朝霞市、アルバイト秋山春樹さん(34)は「乗り心地は最新車両にかなわないかもしれないが、内装、外装ともに旅の風情を楽しむには最適。さみしい」と名残惜しそうに、写真を撮っていた。
113系は1963年に登場。紺とクリーム色を組み合わせた塗装の車両は、総武線快速・横須賀線でも99年まで千葉(千葉市)―久里浜(神奈川県横須賀市)駅間で運行され、「ヨコスカ色」を縮めた「スカ色」の愛称で親しまれた。JR東管内では近年、千葉県内の総武線や内房線など4路線でのみ運行されていた。9月中には引退記念の特別列車が運行される。
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首都圏のJR線が次々と新しい車両に入れ替わっているのに、房総半島だけなんだか取り残されているような感じがしたので、別名「ボロ房線」と名付けてしまいました。
房総仕様の真新しいE233系(海をイメージする青と菜の花の黄色帯)を導入してくれない限り、京浜東北線からのお下がりの209系が主役になっても、引き続き「ボロ房線」って呼ばせていただきます。
首都圏でいまだに国鉄車両に乗れるのは、久留里線のキハ30(ディーセルカー)、国鉄時代末期に登場した山手線205系が京葉線と武蔵野線に転属し、現役で活躍中。
あとはほとんどJRになってから製造された車両ばかりです。
国鉄車両を大切に使われているのは、JR西日本。わが故郷の山口県の山陰本線だって、幼い頃何回も乗ったキハ40やキハ47が当時の国鉄色に戻し、バリバリ現役で活躍中。
村内にいくつかの直売所がありますが、その中でお気に入りは「ばんば」さん。
顔を覚えられ、すごく気さくな女将さんなので、つい立ち寄ってしまいます。
いくつかの畑を持っておられるので、店頭に自家製の有機野菜が並ぶこともあります。 大きさに応じて、左から80円、90円、100円の檜原産ゴーヤー。
沖縄に劣らずほど立派なゴーヤーになっていますな。
冬の間もまた訪ねて、大きく立派に育った白菜をたくさん買い占め、韓国産の唐辛子で自家製キムチを作ってみたいな~!
キムチ作りが得意なのは、私ではなく生まれが韓国のハン尚宮(母)。
このお店は檜原村産がメインで、周辺市町村の奥多摩町、青梅市、あきる野市で生産された特産物を手に入ることもできます。どの商品を見ても、最も近いはずの山梨県(小菅(こすげ)村や上野原市)は、なぜかありませんでした。あくまでも東京ブランドにこだわったお店でした。
山梨県北都留郡小菅村も、檜原村に似たような秘境です。「小菅村へのアクセスは奥多摩駅からバスも出ているし、生活圏は山梨県よりも東京都。電話の市外局番も奥多摩の0428局と同一なので、ここを東京都西多摩郡小菅村にしたい」と請願があったみたいですが、結局現実に至りませんでした。
小菅村でも「多摩源流小菅の湯」といった、広くて立派な温泉施設があります。
山梨県と聞いただけでも遠いイメージがしますが、奥多摩に来れば小菅は目の前。
そういえば、「多摩源流小菅の湯」はしばらくご無沙汰。
今度の奥多摩と檜原へは、小菅村に足をのばそうと思います。
昨日、荷役専用のヘリが飛んでくれたらいいな~と書いたところ、今日は台風が近づいているのに本当に飛んできてくれました。
「今朝8時半頃、バタバタ・・・というヘリコプターの音がしたので、テレビ(※)をつけてみたらヘリポートに郵便屋さんのクルマ
が停まっていました」とのことでした。
順調に行けば、26日に届く予定なので、5日遅れの到着でした。よかったです!!
(※青ヶ島村役場のチャンネル。三宝港とヘリポートに海模様や空模様をリアルタイムで映し出されるカメラが取り付けられ、各家庭のテレビをつけるだけでも状況がよくわかります)
昭和30年代の青ヶ島は、年に4、5回しか船が来ませんでした。しかも、沖合に停泊し、小型のボートに旅客や貨物、郵袋、食料品等を移し、漕ぎながら船着き場に到着。
船が来る日は学校はお休み、子供から大人まで島民総出で積み下ろしに出かけたほどなので、あれから半世紀経った今、ずいぶん便利になりました。