東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

グルメ派の宿 政右ヱ門(まさえもん)

2012-01-10 00:22:09 | 南房総・千葉

 2010(平成22)年からお正月の定番行事になってしまいました。年明け最初に泊まる宿は、新鮮な海の幸をたらふく味わえる「政右ヱ門」さん。
 5回目のリピーターになってしまいました。ネット予約の「じゃらん」を見ていると、夕食★5点満点、総合★4.9点は頷けます。

 海の幸なら、千倉町の「政右ヱ門」さん。山の幸なら、檜原村「山城」さんと天空の宿、「やまなか」さん(青梅市御岳山)。
 奥多摩・檜原エリアに行くのに首都高速の渋滞がなければ、片道3時間。「政右ヱ門」さんへは、片道1時間半、距離も半分です。

201201090002 午後3時半頃出発し、午後4時45分頃到着。
 この頃になると、4時半になると真っ暗になる12月に比べると、日が長くなりました。
 海に近い、部屋からの眺めです。

201201090003
 千倉町は「海と花と太陽」の町なので、早春の季節になると、「花料理」がふるまわれるそうです。


201201090004
 着席して、最初のお料理たち。
 



201201090005 しばらくすると、お刺身が運ばれてきました。前回はヒラメの刺身だったというのに、今回はカサゴ。
 房州海老(伊勢海老)がまだ生きていました。
 苦しそうに口(?)を動かしています。
 刺身になっても、まだ動いている房州海老に対面。
 切り裂いても、まだ生きているなんて、苦しかったでしょうね。本当にごめんなさいと合掌しながら、美味しくいただきました。
 
 
 
 伊勢海老の漁獲高日本一は千葉県。ここで獲れた伊勢海老を「房州海老」にしようと宣伝中。

Aogashima23
 あまり知られていませんが、青ヶ島も伊勢海老が獲れるそうです。
 3回目の青ヶ島(2002年)の夏、浜遊びのときに撮影。


201201090006 

 揚げたてのキスと鯨の天ぷら。


201201090007
 早春限定の「キンセンカ」の天ぷら。
 食用のため、無農薬のが使われています。


201201090008 ドックおじさん(父)が酔っ払い、オーナーさんに手話で話しかけてしまいました。
 オーナーさんはもちろん手話を理解できるわけではありません。
 そこで私がメモで筆記通訳。

 「サザエのなめらかなものはメスで、角が出ていれば、オス」
 オーナーさん「関東では、サザエに角が出ていれば、見栄えもよく、高級な食材とされています。しかし、関西では、角が出ていなけば、高級なんです。オスとメスの見分け方は、サザエのワタを見て、産卵期に緑色をしていれば、メス。白はオス。その他の季節は灰色」とのことでした。
 その翌朝、ちょうどテレビでサザエのことが取り上げられていました。「サザエに角が生えてくるのは、サザエの敵がたくさんいるところ。ツルンになっていれば、サザエの敵がいないところです」
 アワビは、オスかメスの見分けができますが、サザエだけは中身を取り出さないとわからないそうです。

201201090009
 最後にデザートが出ました。
 これもすごく美味しいです。
 本当にごちそうさまでした~!!

 ビデオも撮ってありますので、いつか動画をアップしたいと思います。
 

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また来てしまいました

2012-01-08 21:44:18 | 南房総・千葉

201201090001
 海の幸なら、房総半島南部の千倉町、まさえもん。  今回も豪勢な海の幸に舌鼓を打ちました~(^_^)

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初夢2012

2012-01-08 14:05:55 | 日記・エッセイ・コラム

Kouzushima100 下の10円切手は七福神の乗った「宝船」。
 新年最初に見る夢の内容で1年の良し悪しを占うみたいです。
 元日から7日にかけては、目が覚めてもよく覚えていませんでした。
 ところが、今日(8日)ははっきり見ました。

 
 

 なぜか、青ヶ島に行くといつもお世話になっているところの風景です。
 今日は帰る日だというのに、宿の人がなかなか出てきません。
 お財布を持って、清算しようとしたら、いつもの女将さんが出てきて、「あっ、伝えるのを忘れたけど、今日は欠航だって、放送があったの。部屋は空いているし、ごはんの用意もあるから、大丈夫だよ、ゆっくりしといて」と手話で。
 ((※)現実の女将さんは手話ができません。筆談でした。)
 
 「えー、ここは本当に青ヶ島!?」と現実を確かめようと外に飛び出し、目に入ってきたものは壮観な丸山。

201009140004 
 「やっぱり、青ヶ島だ。いつ帰れるかわからないし、弱ったな・・・」と思ったところで、続きはぷっつり切れました。

 ずっと前も三宝港にスーツケースとかたくさん荷物を持った人が並んで、次々と還住丸に乗り込み。私の番になったところで定員オーバー。 急に船が動き出し、取り残される夢だったし・・・。(笑)
 自分の好きなところが出てくるのはうれしいですけど、「帰れなくなる夢」ばかりです。
 みなさん、どんな初夢見ましたか?
 
 

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ほぼ毎日遊びに来てくれます

2012-01-08 00:01:00 | 日記・エッセイ・コラム

201112100003 
 今日のテレビを見て、びっくりしたこと。
 鳩ちゃんがすっぽり顔を小さな袋で覆ってしまい、前が見えない状態で道路のど真ん中に飛び降りてしまいました。
 「前が見えないな~」
 そのとき、横断中の通行人が鳩ちゃんをそっと抱きかかえました。「えっ!?誰なの!」。
 歩道で、小さな袋を取り外しました。「やっと見えるようになった~!!」と鳩ちゃんが喜んでいました。このテレビを見て、「今日もキジバトちゃんが来てくれましたか?」と親に聞くと、「元日を除き、毎日来ているよ」とのこと。
 なんとキジバトちゃんも礼儀正しい?「お正月のあいさつ回りは1月2日にしよう」と考えていたかもしれません。
 

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昭和64年1月

2012-01-08 00:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

Img129 今年のカレンダーを見て、ふと遠い昔のことを思い出してしまいました。
 平成24年は日曜日から始まりました。今から24年前の昭和64年も同じく日曜日から始まり、1月7日(土曜日)の午前6時33分、昭和天皇が崩御されました。
 昭和64年1月7日14時36分、小渕官房長官より色紙に書かれた「平成」の文字とともに記者発表されました。
 平成の由来は、「内かに外る」。
 平成元年の始まりは、翌日の1月8日から。そのときの私は、山口県日本海側の小さな漁村に住んでいました。昭和最終日は土曜日、平成初日も日曜日。郵政省の無集配局はもちろん閉まっているので、平成初日記念押印は1月9日の月曜日でした。
 「12-18」の時間帯になっているのは惜しい。朝一の「8-12」のほうがよかった。
 

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【新刊】小笠原を歩こう

2012-01-07 00:00:00 | 小笠原

 東京都内の小笠原に行くよりも、グアムやハワイのほうが円高の影響により、ホテルと航空券がセットされたパックツアーでも安くなっています。
 グアムやハワイは右も左も分からないところ、小笠原(特に母島)は十分知り尽くしている。
 見知らぬ土地に行くよりも慣れたところへ何度もリピーターしてしまいます。
 青ヶ島も初めて上陸したときは日本一の秘境っぷりにカルチャーショックを受けてばかりでしたが、5回も行ってしまうと、懐かしい風景に加え、私はここにいるぞ!と優越感に浸ることもできます。大千代港と、大里神社へはまだ参拝していないので、今度の青ヶ島は是非クリアしたいと思います。

201006080010
 大里神社の祠では昭和43年ころまで使われていた、でいらほんの儀式に使われたお面が保管されています。


201008190002 ところが・・・入口はこれなんです。
 鳥居の下を潜ったとしても、参道が草むらになっていて、本当にあの祠まで続いている道なのか?
 なんだか危険を伴う、クライミングのようなので、断念。地図を見ると、入口がこれではなく、別のところにあるような?青ヶ島の未知ゾーン。

 小笠原の話をするつもりが、なぜか青ヶ島が出てしまいました。小笠原より気になるのは青ヶ島!?

201201060003 「小笠原を歩こう」。図書館で借りてきました。 
 著者は、小笠原恵介さん。
 
 1971年、神奈川県生まれ。世界18ヶ国を旅行するが、小笠原に魅せられ、1999年移住。

 民宿や飲食店、ガイドサービスとして、修業を積み、現在、父島の森や山、戦跡、ナイトツアーのガイド、「オガツアー」として活躍中。

201201060004
 私の大好きな母島は載っていませんでしたが、1冊まるごと父島の情報が満載。
 境浦の座礁船は昭和11(1936)年に製造された濱江丸(ひんこうまる)と言い、昭和19(1944)年、アメリカ軍の魚雷攻撃を受け、境浦までなんとか自力で漂着しました。今年は2012年、計算してみると、68年間もそのままになっています。
 1975(昭和50)年ころまでは原型を留めていましたが、次々と風化により朽ち果ててしまいました。
 2005(平成17)年に行ったときは、すでに船は海面下に隠れてしまいました。
 この本を開いてみると・・・今でも残骸が見られますね。
 今度また小笠原に行けたら、「オガツアー」を利用したいです。 
 

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正月早々背筋がぞぞーっとする幽霊

2012-01-06 00:02:39 | 日記・エッセイ・コラム

 夕刊のテレビ番組欄をチェックしたら、19時から「初出し世界の恐怖映像!超絶叫200%最強版」が目に止まりました。
 ずっと昔、幽霊が出る番組を録画し、電子機器がぶっ壊れたという不思議な現象を経験しています。
 ハードディスク録画すると、霊障によりぶっ壊れそうな気がするので、今回もDVDに直接録画。ハードディスクは本当にデリケートなので、幽霊が出る番組はやはりまずいかも??
 パソコンで幽霊動画ばかり見て、再起動しようとしても立ち上がらなかったというケースもありますし。電源を落とす前にダウンロードしたファイルを完璧に削除しておいたほうがよさそうです。
 テレビ番組はほかの普通の番組と同じように地上波デジタルで受信しているので、幽霊が悪さをしているのは到底考えられない話ですが・・・。たまたま電子機器の故障時期が幽霊が出る番組と重なったのではないかと思うのですが、名の知られている有名メーカーなので、たやすく壊れるというのは考えられないです。

201201060003 1番怖かったのは、和歌山県にある、淡嶋神社。
 全国から供養のため奉納された人形が集められ、現在2万体を超えると言われています。
 境内にある人形たちは「いわく付き」ではないため、勝手に動き出すということはありません。
 一般参拝者が立ち入ることのできない地下室に「いわく付き」の人形が二重の錠で慎重に保管されています。
 写真に写っている、人形は夜な夜なひとりでに歩いたそうです。人形が歩き出すなんて、想像しただけでも怖いですな・・。

201201060004 今回のゲストは沖縄県出身プロボクサーの具志堅さん。
 まあ、具志堅さんって、熊本県荒尾市のグリーンランドにある本物の幽霊が出るお化け屋敷のリポーターをやったばかりだというのに、今回もですか。
 
 ボクサーといえば、格闘技のはず、さすがに幽霊は怖すぎたのか、ビビりまくりでしたね。
201201060005 明け方の4時。いきなり、物音がして、ビクっとする2人。
 な、な、なんと、人形が動いたんですよ!!!
 具志堅さんが、この人形を見て、もしかすると構って欲しがったに違いない?とずっと対話していた人形をそばに置くと、それ以降怪奇現象は起きず。

 
 これだけではなく、幽霊の映像を見させてもらいましたが、本当に不思議。
 この不思議の答えを教えてくれるのは聖書。亡くなった人が幽霊になってこの世に化けてくるのは、亡くなった人の意思で現れてくるのではなく、サタン(悪魔)の化身(演出)だそうです。聖書の創世記では、唯一の神が7日目で天地創造したと書かれています。
 神が人の姿をして作られたため、ほかの動物に比べると人間だけは暮らしをよくするためにいろんなものを開発し続けています。
 神と対等な力を持つ悪魔が亡くなった人の姿を真似て現れるのは簡単なものかなと思います。これはあくまでも私の見解ですが・・・。
 でも・・・人を助ける幽霊がいるのは事実です。我が家でも人を助ける幽霊が来てくれました。
 
 それは母が経験したものです。故郷に帰るため、出発しようと思ったら、窓ガラスに人の手が振っていました。母は誰か訪ねたに違いないとそう感じ、父に様子を見て欲しいと頼むが、誰もいませんでした。
 おかしい!?とそう思い、手が見えた場所をよく確認してみると、鍵の閉め忘れでした。
 つまり、幽霊が「ここ、鍵の閉め忘れですよ!」と教えてくれたわけです。
 これは、本当に助けられた幽霊。ありがたいです。
 

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「恐怖の館」の思い出

2012-01-05 00:56:31 | 日記・エッセイ・コラム

201201050001 【注意】最近の写真ではありません。ずっと昔、2004(平成16)年3月22日(月曜日)の写真です。
 「H容疑者が警視庁本部に出向いても、取り合ってくれなかった」と書いているうちに、ふと昔のことを思い出しました。
 
 

 今から8年前、賃貸の恐怖の館の1階に住んでいたときの話です。
 いつもなら鍵を開けると、スムーズにドアが開くはずなのに、今日に限って、ドアの内側にドアチェーンがかけられていました。これはありえない現象。
 最初は「えっ!?そんなのあり?」と思考回路がパニック。「ちょっと待ってよ!?内側からドアチェーンというのは、泥棒?」と裏側のベランタに回ってみたら、やられてしまいました。
 ベランタの大窓ガラスが開けっ放し、カーテンがなびいていました。
 すぐに被害状況を確認。空き巣は3分以内に金目のモノを奪い取るように早業でやらなければならないので、本棚や食器棚、洋服タンスの引き出しは開けっ放し。
 記念にとっておいた昭和64年発行とニッケル黄銅貨が発行された直後の未使用500円硬貨や、数枚のギザ10(昭和26年~昭和33年の10円硬貨)、毛筆体の5円硬貨(昭和24年~昭和33年)、昭和30年発行の1円(現行のアルミ貨が初めて発行された年)が盗られてしまいました。
 アメリカドル札や韓国のウォン札と硬貨は手つかず。どうやら、犯人は日本円なら1円玉でも片っ端から盗っていくらしいですが、私は現金を銀行に預けるタイプなので、リスクを冒してまで侵入してきた泥棒に対して「バ~カ!残念でした~」ですね。
 泥棒はベランタから侵入し、玄関から住人が入ってこないようにドアチェーンをかけてから室内を物色したらしいな?
 賃貸住宅の火災保険は火災だけではなく、泥棒が窓ガラスを壊した分の修理代や盗まれたモノの相当金額が支払われます。警察署または交番に盗難証明書(?)正式名称は忘れましたが、それを交付してくださいとのこと。
 交番まで歩いて行ける距離なので、交番に出向き、現場検分。
 「このあたりは空き巣が多いので、気をつけてくださいね」で終わり。
 あの~、ホンネは泥棒を本気に探して逮捕して欲しいんですけど・・・・。
 1階は狙われやすいので、クレセント錠が割られても、簡単に開かないようにサッシの補助錠を即刻購入し、取り付けました。
 
 
 

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二見からの「ヒラメ」

2012-01-04 00:01:00 | 山口

201201040001 1月3日 13時30分頃。ピンポーンと玄関のチャイム。我が家では視覚で来訪者がわかるようにしているので、フラッシュがピカピカ。
 モニターを見ると、顔見知りのクロネコヤマト配達員さんでした。
 下関からの「ふく」、60万ウォンもする「おせち」を運んでくれた配達員さん。

 どうやら、クロネコヤマトさんは、地域担当として、いつも同じ配達員さんが来てくれるので、顔見知りになってしまいます。(日本郵便さん、佐川急便さんは、よく人が変わります)
 12月31日、そして今日も同じ配達員さんが来てくれたのですが、まさか、年中無休の超過勤務!?くれぐれも体を壊さないように、しっかり休養を・・・。

 ハン尚宮(母)が「ヒラソ(関東では「ヒラマサ」で~す!」と刺身を作ってくれたのですが、身が白くて、いつも見る「ヒラソ」は少し赤身がついているはず、ちょっと違うような?と思いながら平らげてしまいました。
 その後、送り主の伯母から紙電話が届きました。「今回送ったものは、ヒラメです。ふく刺と同じように薄く切ったほうがいいです」とのこと。
 厚くてプリプリとした食感がしたのですが、こりゃ、もったいないことしてしまいました。 

 
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H田さん出頭

2012-01-04 00:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

 新年早々呆れたニュース。指名手配者のH田さんが12月31日、警視庁本部に出頭したが、「交番はあっちだ」と。H田さんは「指名手配者なんですが・・・」と念を押したというのに、それも門前払いにされたそうだ。
 「年末年始によくある、いたずらだと思った」と弁明しているみたいですが、指名手配犯が堂々と警察官の前を平気に通り過ぎても逮捕されないという事態になりかねません。警察官よ、もうしっかりしたまえ!!
 H田さんが現れ、証人出廷などもあるため、あの事件の執行を遅らせる目的なのかといった見解もあります。
 今の法相は「勉強が終わっていないから」と??に消極的。廃止論者ではなく、いずれ命ずる可能性もありそうと新聞に載っているのを読んだことがあります。法相として職務を全うするために、そのように願っております。
 今の時期、「ベルトコンベヤーを用いて行うことが望ましい」と発言した、あの方が法相だったらよかったのに。
 あの方が任務中は、確定された???(サヒョンス)が100名切ったのに、現在は140名近く膨れあがっています。この状態のままだと収容スペースがなくなってしまうんじゃないですかね・・・?
 
 

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最も遠いところからの年賀状

2012-01-03 00:48:35 | 日記・エッセイ・コラム

201201010006
 東京都小笠原村母島からです
 思い起こせば・・・今から12年前の2000年からず~っと、毎年の元日に頂いています。
 ご家族全員そろっている写真に近況報告が載っており、お父さんとお母さんだけ12年前と変わらずそのままのお姿ですが、お子さんたちは、背が伸びたり、顔つきも成長しています。
 最後に行ったのは2009年、今年であっという間に4年過ぎてしまいました。若かったころは、生誕地の山口に帰ると同じように毎年立て続けに母島に帰っていましたが、今は隔年になってしまいました。
 母島へはしばらくご無沙汰なので、今年はそろそろ帰る年かな。
 八丈島より青ヶ島、父島より母島を選んでしまうのは、どちらもひっそりしているからでしょう。
100222017 手話を流暢に話せる、小笠原の局員さんもお元気かな?数年のブランクがあっても、久しぶりに郵便局に行くと手話で「○○さん?」と私の名前を呼ばれたのに、ビックリしました。

201201010007 
 
 広報あおがしま、最新号が届きました。
 村役場のホームページでカラー版を印刷しているので、郵送しなくても大丈夫ですと伝えましたのに、お送りいただけるなんて大変恐縮です。
 
 村長さんの年頭挨拶が載っていまして、旅客船「還住丸」と貨物船「黒潮丸」の老朽化により、来年(平成25年)は新造船の更新が予定されているとのこと。三宝港は現在も拡張工事中なので、青ヶ島への就航率も期待できそうです。
 
 
 
 
 昭和30年(1955)代だと、年に数回程度、東京~八丈島の大型旅客船を青ヶ島に延ばしていました。当時は港がなかったため、沖合で小型ボートに乗り換える「はしけ作業」が行われていました。
 
 来年からは新しい船に変わるので、「日曜日を除き、ほぼ毎日就航」になりそうかな。
 今の還住丸は45人乗りの119トンなので、ちょっと波が出ただけでも欠航。
 今度の新しい船はははじま丸(490トン)と同じように大きな船であればいいな。
 母島の人口は約400人。
 青ヶ島は約180人。
 船の大きさもそれに相応しているのは仕方がありませんな・・・。
 

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今年の十二支駅名遊びは・・・

2012-01-02 00:20:35 | 日記・エッセイ・コラム

 元日にたくさんの年賀状が届きました。ありがとうございます。
 現在も年賀状のやりとりをしていますので、今年の十二支駅名遊びは松の内を過ぎたあたりに載せようと思います。
 こういった駅名遊びを思いついたのは、私の故郷、山口県の山陰本線、特牛(こっとい)駅から。十二支の駅名からお正月にふさわしい縁起のよい駅名までのマルス券を作ってもらい、年賀状に使わせていただいています。
 

 今年は辰年、真っ先に思いついたのが青函トンネルの海底駅、「竜飛海底(たっぴかいてい)」駅。竜飛海底駅から(竜が)飛翔する駅まで、JR東日本の※えきねっとで操作しても、「竜飛海底」はエラーになり、出てこなかった。
 (※自宅のパソコンでJR全線全駅どこからでも乗車券、指定席券の予約ができ、「みどりの窓口」または「指定席券発売機」でパソコンで操作したとおりに発券)
 竜飛海底駅もJR北海道の津軽海峡線として、認定されているはずなのに、何でだろう?とネットで調べてみたら・・・「竜飛海底駅は一般の乗降はできず、「海底駅見学整理券」という海底駅専用のきっぷを購入し、指定の見学列車に乗車することによって見学することができます」とのこと。道理で、運賃計算ができないので、竜飛海底駅から何々駅までといったような、発券はできないということが判明。

 
 年賀状に載っている十二支切符遊びは、第二候補の駅名になりました。
 

 毎年、十二支駅名遊びを考えるのは大変ですけど、鉄道ファンでない方でも面白く感じるかも・・??
 

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目玉が飛び出すほどのおせち料理

2012-01-02 00:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

 12月31日、宅配便が届きました。差出人は国王様からで、中身はおせち料理。
 箱に「Hyatt Rency Hotel」と書かれていました。初めてみるホテルの名前なので、「あの~この英語読めないんですけど・・・?」と聞くと「ハイアットと言い、1泊6万円くらいのホテル」とのこと。内心、萎縮し、「私は貧乏庶民ですので、なかなか泊まれないところでございます」
 失礼ながら、このおせちの金額を聞いてみました。かえってきた答えは・・・・本当に目玉が飛び出してしまいした。ハングルを制定した国王(世宗大王)のお札がなんと60枚なんです!!国王様の貫禄が出ております。(為替レートはネットで調べると出てくると思います)
 長い間、世宗大王が最高紙幣でしたが、2009年の6月、朝鮮王朝時代の女性書画家(シン サイムダン)が描かれた5万ウォンが発行されました。チャングムの誓いに出ている女官たちの髪型にすごく似ています。単純に計算しても、5万ウォン札が12枚もする商品なんです。
 円高の影響で、少し前に比べると計算しづらくなってしまいました。前だったら、韓国の千ウォン、アメリカの1ドルならどちらも100円といったように瞬時に計算ができたのですが・・・。

201201010001
 和洋中の三段重おせちの「和」



201201010002
 
 「洋」



201201010003
 「中」



 1番人気があったのは、「洋」でした。あっという間に平らげてしまいました。

201201010004
 家庭で味わう元日の夕食だというのに、ン万円もするホテルや旅館に宿泊するのに匹敵。


201201010005 本当にごちそうさまでした~!!
 山口県の日本海側で暮らす、いつも鮮魚を送ってくださる伯母にも、同じように贈られたとのこと。
 伯母も美味しく頂けましたかな?

 ありがとうございました~!!
 
 

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2011年最後の来訪者は・・・・

2012-01-01 00:40:30 | 日記・エッセイ・コラム

201112310002 新年明けましておめでとうございます。
 気が付けば、2012年になってしまいました。本当に1年経つのが速いです。
 12月31日の昼過ぎ・・・今日も来ているかな~?と窓のところに行ってみると、いましたよ!2羽のキジバトちゃん。
 それまでじっと座って待っていたのに、私の姿を見ると、立ち上がって2本足であちこち徘徊。「待っていましたよ、さあ、食べるものをくださいな」と言っているかようです。
 
 キジバトちゃんと仲良くなれたのは、今年(2012年になってしまいましたが、ここでは2011年)の、夏あたりかな。
 特に台風15号は我が家のフェンスがなぎ倒されるほどの大きな被害があり、一時はキジバトちゃんはどうなったのか心配していましたが、大丈夫だったようです。
 今年も素晴らしき1年でありますように祈念します。よろしくお願いいたします。

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