地雷博物館長のアキ・ラーさんの過去は悲惨だった。父も母もクメール・ルージュに殺害され、「動物や虫などを食べ、クメール・ルージュに育てられ、苦難、飢餓や銃は日常茶飯」(自伝より)という状況の中で少年期を過ごし、後にベトナム軍に加わったが食糧不足は同様で米を炊く水が無く「ビニール袋に放尿して米をふやかしたことが度々あった」(自伝より)そうだ。クメール・ルージュとベトナム軍で地雷をばらまき、設置させられ、日中に偵察、深夜には地雷の発射方向を変える、という日々が続いた。その後またカンボジア軍へ徴兵されたりと、様々な軍へ所属は変わったものの、武器や地雷に囲まれ死と隣りあわせて成長していったアキ・ラーさんだった。後に国連に協力して働いたり観光ガイドをしたりして、ようやく九年前シエム・リアップに土地を求め、小さな博物館を設立した。現在は三五歳ぐらい、毎日近くの野原に行っては地雷を探して撤去し、この博物館に追加展示している。いつも人々に役立ちたいと願い、危険を冒して暮らしているのだ。
アンコール・ワット周辺は一〇年ほど前やっと安全になったというが、カンボジアには地雷や不発弾などの恐怖と隣り合わせで暮らしている人が今でも少なからずいることを忘れてはならない。世界各地に埋まっているすべての地雷を撤去するにはまだ五〇年から一〇〇年もかかるという。この地球上には地雷を含む非人道的な兵器の数々がある。命より大切なものは何もない。筆者も身の回りに存在する非人道へ眼を向け、及ばずながら身を粉にしなければならない、との思いがこみ上げる。(カンボジア完)彩の渦輪