チェコほどその美しさで心に残った国は少ない。チェコのプラハ、ハンガリーのブタペスト、そしてアルゼンチンのメンドーサは再訪の魅力トップ3の街だ。特にプラハは「ここで死ねたら最高!」と思ったほどだ。街だけではなく人々も素敵だった。夜プラハに着き、何とかなると思って旧市街まで行ったがあいにくのプラハ・マラソンで空室がなく、路上である青年に尋ねたら携帯であちこちのホテルに電話し、ついに見つけてくれた。誰も彼も親切で礼儀正しく、ユーモアのセンスに溢れていた。
日本人には思い出に残る人々や事件が多いだろう。東京オリンピック時のチャスラフスカの艶やかで優美な演技を覚えている人は少ないだろうか。ドプチェク首相の指導の下、自由化を目指すチェコのプラハにソ連軍の戦車が侵攻した「プラハの春」事件。ヤン・パラフ青年が抗議の焼身自殺をしたのはヴァーツラフ広場で1969年、その20年後この広場で無血でビロード革命を果たした。これらの記事は全て残しているので、ヤン青年の碑を見たときは旧知に会ったように嬉しかった。温和で信頼感に溢れたドプチェク首相の顔は今でも脳裏に浮かぶ。自由化後の発展は早く、いち早く英語圏から英語教師を招いたせいか多くの人が英語を話す。プライドを維持した人々と美しい環境は外国人にとって魅力である。
先ず訪れたのはモルダウだ。スメタナさんの像の傍でベンチに座り眺めると、キラキラ輝いてうねるモルダウ川にあの交響曲が一体となって聞こえてくるのだ。時に強くうねり、うねりは更に高まり、時に止まるがごとく静まる。反対側に目を向ければゆったりとした流れ、有名なカレル橋の彫刻、橋桁のアーチを滑りぬけていく船、白い波、赤瓦の屋根を引き立てる緑の木々、その向こうに王宮が聳え立ち、交響曲モルダウのごとく豊かなパノラマ風景だ。カレル橋にあがり、芸術的なその橋を渡るだけで幸福感に満たされる。自分が高尚な人間になった気がするか、これからは芸術に親しみたい、などと思えてくる橋だ。この橋を渡り西岸のプラハ城へは坂道を登っていく。歴代王の居城で、旧王宮や大聖堂、火薬塔、教会、修道院など、広大な敷地をフーフーと回り、カフカが短期間住んで執筆した家に立ち寄った。続く(彩の渦輪)