あけぼの

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住み難くなったシンシナーティ I

2009-02-22 22:58:17 | まち歩き

昨年、家を覆いかぶさっていた大木から無数の芋虫が落ちてきた。家やバルコニーの側面に這い上がり、取っても取ってもきりがない。彼らは目の前で繭を作って冬籠りだ。暮にはさなぎになり、蛾になって卵を産み、再び木の葉を食用とするだろう。葉は芋虫が、幹内部は他の昆虫類が冒すのだから樹木はたまらない。枯れる運命にあるのだ。大自然の豊かな森林に囲まれた我が家やその周辺が文明の発展という名の人間の欲望に犯されてきた。空気、水、草木に至るまで自然環境が人間の排出する毒素に冒され破壊されてきた。快適に住むために車や冷暖房装置に多くのエネルギーが消費され、環境破壊に繋がっているのは周知の通りである。文明社会も度を越すと住み難くなると実感とするようになった。

身近な例で地球温暖化現象の一つではないかと感ずることがある。USに住んで約20年たつが、この5年来、裏の林の木々が次々と枯れて倒れるのである。樹齢100年以上の大木や30年以上の樹木に至るまでサンダーストームや樹氷の重みで根元から根こそぎ、或いは幹の中間から、太い枝から、となぎ倒されたり折れたりしている。屋敷内の木々に発生する現象である。勿論、周辺の家々も同じである。折れたところを観察するに虫に喰われて半分枯れている。要は虫類が大量に発生し、木々に巣作りしだしたということなのだろう。倒れて処理した太い木が9本にも及ぶ。この住宅環境、夏は木々が生い茂って涼しく、冬は木々が放射冷却や吹きさらしの風から家を守ってくれて暖かい。薪を燃す暖炉で充分暖がとれるが、風情もあって気分もよい。続く(自悠人)


天国の入り口、プラハII ~チェコ共和国~

2009-02-22 03:10:46 | ブログ

私にとってのプラハはヴァーツラフ広場だ。チェコ人の苦難と誇りの証人たるこの広場は私には故郷のごとく夢に見る地だった。夢が実現し、佇む私の目前の風景は限りなく安らぎのある美しさ。地下鉄ムーステク駅の辺りから国立博物館を眺めるとなんと美しい通りであろう。正面に聳え立つ博物館は私にはそこから階段が始まる天国への入り口に見える。金色の丸屋根やその下に透明感のある水色のガラス窓が無数に並び、幅広い建物はこの大通りの両端に跨る。こんなに外観の美しい博物館は見たことがない。通りの左右には近代的ビルが壁をなし、その前には大木の行列が緑の縁取り。中央分離帯には彩り豊かな花壇が続く。人々はこの広場をゆったり楽しみながら歩く。だがヤン青年が焼身自殺した場所、聖ヴァーツラフ騎馬像の前に来ると多くの人が献花する。私も彼の勇気を讃えて献花した。

旧市街広場には2つの尖塔が目立つティーン教会や宗教改革の先駆者で異端として火炙りの刑にあったヤン・フスの像、旧市庁舎と天文時計など見所が多い。十二使徒が窓に姿を現すからくり天文時計は15世紀に作られたというが楽しい。オープンカーの客引きに興がのり、プラハの街をゆっくりと流して豪華気分を味わい、夜は本場の交響曲を楽しんだ。

中欧きっての温泉、カールロヴィ・ヴァリは湧出量はチェコ一番、温度は4373度、16世紀に飲用が始まり18世紀末に近代医学と合体した飲用療法で有名だ。12の原泉があり、医師の処方で指定された温泉の湯を飲む。有名な音楽家、文豪、思想家が療養に訪れただけあり、17世紀の町並みのような郷愁をそそる温泉街だった。ピルスナー・ビール発祥の地、ピルセンへ行ったことは言うまでもない。このビールが世界に広まり、バドワイザーや富士高原なんとかビールが生まれたことは皆さん先刻ご承知だ。ピルスナー・ビール発祥記念の樽のあるレストランでランチをし、美味しくて「地球の歩き方」を置き忘れてきたのだが…ちゃんとレジのカウンターに飾ってあった。(彩の渦輪)