遺伝ともいうべき血統は育った環境の中でも潜在するのだろ。
子どもは親の背
中を見て育つというが、厳しい境遇の中でも人は自身で何かに目覚めたりする。私は親父の46歳の時の子である。父親は独身時代13年間アメリカで生活していたことを母から聞かされていた。明治の父は青年時代、当時誰も行かなかったアメリカへ大志を抱いて単身飛び立ち、オークランドで飛び込んだ家の丁稚小僧から始め、遂には会社経営者にまでなり、鳥取県の田舎へキャデラックを持ち帰った。だが私は父の冒険・出世物語とは別に、ほとんど母の手ひとつで育てられた。母にくっつきまわって縫い物の針を通してやったり、てんぷらの作り方を学んだりしたことを良く覚えているが父の記憶は少ない。子ども心に感じたアメリカは、家にあった「ヒルズ・コーヒー」の赤い空き缶や、握る柄のついた押し出し式の鋸だけだった。が、戦後、進駐軍の兵隊さんが郷里の温泉宿に来た折、急病になり医者を呼んだが言葉が通じず親父が出かけて通訳をしたことがあった。私自身アメリカに関心があったわけではないが、58歳にして突然駐在勤務になり何の抵抗もなく転勤し、今もって快適にアメリカに住んでいるということは血を受け継いだのかもしれない。
最近、「血」について考えた。教えてもいないのに血統が親類の若者に見られるようになった。海外指向の女の子から父の叔父である私に「血は生きている」と聞かされた。今で言うDNA、私の母方の伯父は朝日新聞の記者で上海駐在の時期もあった。彼女も通信社に勤めている。祖先を知らないのに血が騒いだのだろうか。親子の関係や遠い親戚からの声!偶然とも言えるがどこかで繋がっているのだろうか。知ればこれからの人生に生甲斐や自信が湧いて来る筈である。奇しくもその女の子の従姉妹も最近新聞記者になった。現在の状況に迎合するのではなく創造的な生き方をして欲しいものである。行動こそ力、変化こそ人生だ。発想の転換をして新しい血を呼び込み、人生を楽しんでおくれ。自悠人