あけぼの

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「こんにちは」に歴史の重み

2010-10-17 17:30:30 | アート・文化

Tadaaki_uzbekistan_aizu_gekkabiji_3  蒼の都サマルカンド

 旅も重なり、ビザを必要とする国に軸足を移すようになって訪ねたウズベキスタンは中央アジアに属し、シルクロードのイメージに最も近い国である。蒼いイスラム建築、砂漠、ラクダ、オアシス都市、多彩な果物。旧市街では60年前の日本のような暮らしを垣間見ることも出来、懐かしさを覚え、親切な人たちに出会える国であった。  

 首都タシケントから航空機でウルゲンチに降り立ち、タクシーでヒヴァ、ブハラ、サマルカンド、シャフリサーブスと移動し、列車でタシケント、西から東に折り返した。各都市の移動には交通機関に選択性のない不便な旅、道路も悪く、高速道路でもないのに最高速度120km出すのだから驚きだった。ヒヴァからタシケントへの途中6、7世紀頃のホレズム王国の2つのカラ(都城跡)を見学、砂漠の一廓には宿泊出来る施設が作られていた。一泊10ドルと言っていた。

各都市の観光の目玉としては大きさや広さの規模こそ違えメドレセ(神学校)モスク、50mにおよぶミナレット、宮殿、廟が点在、時代時代の国王の権威の象徴として建造されていた。ビヴァとサマルカンドは世界遺産にされており、その周辺はお土産ものの店で賑わっていた。

 伝えたいことがある。我々を見つけると店番たちが「こんにちは」を連呼することだった。商売として関心を惹くのはいずこの国も同様だが、余りにも多くの人たちから声かけヲ聞き、慣れた発音での「こんにちは」には心からの親近感が感じられた。ある夜、蒼の都サマルカンドで若者のグループから「こんにちは」の連呼を受けた。ひき続き子どもたちからも「こんにちは」の連呼。「こんにちは」の言葉の奥に商売以外の何かがある。子どもは純粋だし夜中まで挨拶の必要はない筈だ。日本に帰ったら研究して見るのも旅の一環だと決めた。ところがタシケントの日本人墓地に行き、始めて日本人にたいする敬愛の情を知らされたのであった。ここで親、子、孫、三代に渡って日本人墓地の世話をしてきた二代目に会ったのだ。続く(自悠人)