日本人の好きな国、ウズベキスタンはイスラム、ロシア、モンゴル、中国の文化がミックスした魅力に溢れ、中央アジアの歴史遺産が層をなし、短期間の訪問でシルクロード時代へと容易にタイムスリップ出来る。この国と日本はシルクロード時代より千年に及ぶ交流の歴史があると聞くが、終戦以降の友好関係に基く日本人への信頼が、国中どこでも明るい声で呼びかけられた「こんにちは!」の理由だろう。友好は挨拶だけではなかった。一つの街のホテルを出る時、頼まずとも次の街の同クラスのホテルを予約してくれた。気に入らなければ他を探せるし気に入ればすぐ入室でき、ホテル探しの時間が省けて楽だった。こうしてヒヴァからブハラ、サマルカンド、シャフリサーブス、タシケントとホテル受付の手から手へ、便利な場所にあり安くて朝食が美味しいホテルを利用出来たのだった。 城壁都市、ヒヴァのイチャンカラは1991年に世界遺産に指定され、街並そのものが博物館のようだ。かつてイスラム教の中心的役割を演じてきたブハラも世界遺産、ここではアルク城を見学したが、チンギス・ハーンに破壊されて見どころは少なかった。この街の市民の憩いの場、リャビハウスに近いファティマ・ホテルはお薦めだ。経営者の娘、アフリシアが美人で明るく、英語がうまく、働き者で出す料理も美味しい。「青の都」と過去の先達が形容したサマルカンドも世界遺産、余りにも美しく、レギスタン広場では溜め息ばかりついていた。天文学者、ウルグベクの作ったメドレセ(神学校)ではイスラム神学、数学、哲学などを多くの学生が学んだという。サマルカンドからシャフリサーブスへは車で峠越し、車窓の風景は素晴らしい。タシケントの話題は震度7.5の地震で倒れなかった劇場の話だ。他の殆んどの建造物は倒壊したなか、唯一倒れなかったナヴォイ・オペラ劇場は旧日本兵の捕虜が強制労働させられて作り上げ、ジャパン劇場と呼ばれて語り草になっていると聞き、見に行った。実に立派な建物だった。続く(彩の渦輪)