「火の国」と呼ばれるアゼルバイジャンの首都はバクー、「風の街」という意味だ。カスピ海から強風が吹きつける。海岸公園の松は全て西向きに平行に傾き美しい。予約していた「ノアの箱舟」ホテルは高い城壁に囲まれた旧市街の中にあったが、窓外の柳は朝な夕な大枝ごと乱舞していた。6人の受付は皆美男でフレンドリー、日本人客は我々が最初だった。「日本とアゼルバイジャンはアルタイ語族で親近感を覚える」と共通点を強調、すぐに全員が日本語の会話を覚えて挨拶し出した。この城壁の中では強風のみならず数々の出会いが渦巻いた。古くから「火の国」の石油を求めてやって来た隊商が通ったというシェマハ門を潜るのは楽しく、隊商宿や世界遺産もある旧市街は安全でほっとする素敵な場所で老いも若きも津波見舞いを口にした。「日本人?バクーを案内してあげます」と、何人からこの言葉を聞いたことだろう。
ところで、日本人には親切なこれらの人々が「ここにアルメニア人が歩いていたらきっと殴り倒す」と言うので驚いた。隣国アルメニアの中にアゼルバイジャンの飛び地がある。「なぜ?」とホテルの受付で夫が尋ねると、暫く仲間と顔を見合わせ躊躇した後、意を決して話しだしたことは、アルメニアとの悲しい関係だった。アルメニア人による虐殺事件の年号と地図を書き示しつつ、「故郷を追われ、両親とバクーに出て来た」のだと言う。受付の2人までがそう言った。飛び地の理由だが、もともとその一体はアゼルバイジャンだったが、ソ連の後ろ盾でアルメニアに取られ、僅かの地のみ飛び地として残ったのだ。隣国アルメニアとは紛争の歴史が長く、虐殺記念日もあり、現在も国境が閉ざされたままなので、同じ国なのに直接行けずイランを通って大回りするのだという。我々もアルメニアからグルジア経由でこの国に来た。当時のソ連主導の試みは破綻、コーカサスの人々の心は分断されたままである。カスピ海の風は木々も人心も身もだえさせている。(彩の渦輪)