命ほど大切なものはない。いかなる命も失わないためには平和ほど重要なものはない。日本の政治の雲行きが怪しい今、日本の平和のスタート地点を訪問してみた。戦後70年の平和の原点ともいうべきラジオドラマ、『鐘の鳴る丘』は菊田一夫作、1947年から約3年半、放送回数790回に及び、1949年には松竹で映画化された作品だ。戦災孤児は浮浪児と呼ばれ街頭で靴磨きをしたり、上野公園や鉄道の駅構内にたむろしていた。当時の戦災孤児が最近新聞紙上で語っていたが、「“もらう”か“拾う”か“盗む”しか生きる手段はなかった。夜、列車で眠ろうとすると孤児狩りでつまみ出された!」と。
妹の号泣が映画館中響き渡った!泣いた、泣いた!こらえきれずに泣いたっけ。5歳下の妹がウォーンウォーンと号泣する声が田舎の映画館(当時は芝居小屋と呼んだ)に響き渡り、他の客に迷惑だろうと気にしながらも自分も泣き続けた映画を今でもありありと思い出す。復員帰りの青年が孤児たちに安住の場を作ろうと決意し奮戦する中で孤児たちの心が解きほぐされ逞しく成長する姿が涙と感動を誘った映画『鐘の鳴る丘』。「鐘が鳴りますキンコンカン 鳴る鳴る鐘は父母の 元気でいろよと言う声よ…」。当時小学生以上だった人は今でも主題歌を歌えるだろう。
鐘の鳴る丘少年の家 群馬県前橋市に「鐘の鳴る丘少年の家」があると知り出かけた。この家には歌のごとく赤い屋根、とんがり帽子の時計台があった。(続く)(彩の渦輪)
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