かっ飛ばせ借金 打ち勝て倒産

 
 ‐オグチ経営研究所‐

 ☆★自分でできる経営の再生と整理★☆

  

痛かった保健所の監査

2008-03-08 | 事例
3月に入って1週間、Nと連絡が取れません。何か不吉な感じです。

Nは平成10年の10月不渡りを出しています。
しかし彼は法的整理も任意整理もせずに同じ場所で
同じ作業員を使い操業を続けて来ました。

勿論、簡単では有りませんでした。
広大の不動産は全て競売になりました。しかし工場は借地の
事も幸いしてか、1位の信金と同位の保証協会と、7年間、
僅かな返済を完遂すれば、担保を解除すると言う和解をしたのです。
今年が其の期限です。此れで工場と設備を確保出来たのです。
以後Nは長年の顔を利用して材料の入荷ルートを確保し、
操業を続けています。

35名の従業員は近くにパート先も無い為か、極安い賃金で
勤めを続けて呉れました。Nは今までと同じ様に仕事が
出来たのです。ただ売掛金だけは差押が怖かったものですから、
2-3年前から販売会社を作り、全て此処を経由するようにして、
売掛金の差押対策をして居ます。

Nが我欲のためでなく、本当に企業を維持したい。
それだけの気持ちしか無いと解かったために、私もNと3日に
上げず連絡を取り合い、励ましたり時には怒ったりして、
何とか今日まで続けて来ました。

勿論その間にはいろいろな事がありました。
何しろ会社整理と云うけじめをつけずに、ただ放置して
生き延びてきた会社です。下位の銀行の工場の競売申請、
又財産開示の申立て、その他仕入先からも支払いの訴状など、
記録を整理できないほど、問題は発生して居ります。
其の都度Nにはアドバイスや力付けをしてきたのです。
競売申請して無剰余が決定するまでの行動や心境の変化は
別の機会に紹介したいと思います。

中でも辛かったのは販売会社に対する請求の3500万全てを
差押えられた時です。滞納が1億1000万で無剰余ですが工場も
差押になって居ます。この時は弁護士や、民間の相談機関は
もう此れが最後とさじを投げたのです。でも20万を持って直ぐに
国税まで出向かせお願いしました。お蔭様で未だ息の根は
切れて居ません。

「何とかとんとんで10年近く生きてきた。今年は担保も
解除される。しかし、本業が駄目の時、または役所の
監査があった時は、私は全然役に立たないよ。そちらは
どうしても自分でやらなければならないよ。」

こんな会話をしていたところに保健所の監査が
入ったのは昨年9月でした。昨年は食品で方々で問題が
発生しました。其の所為とも思います。しかしNはたまりません。
細かい点で食品工場として不適格のところが多々有ったのです。
殆どの点はNも気になって居たところです。
ただお金が回らないから出来なかっただけです。
保健所の監査が特に意地悪とは思いません。

保健所の指摘には素直に聞かざるを得ないでしょう。
指摘の都度、工場は止まります。ついに10月と11月の
2ヶ月間売上は減少し、特に11月は半分に落ち込んだのです。
但しこの時はNには未だ影響の大きさがピンと来て居ませんでした。
そのために後日打つ手も遅れました。

貸してくれるところが無い企業は、売上の低下は
即資金に繋がります。12月は未だ良かったのですが
1月は従業員の給料や地代すら満足に払えなくなりました。
ついにピークが2月末に来たのです。

2月末さえ乗り切れば、3月から売上も全部ではないが
復活して居ます。此処さえ乗り切ればとNは必死でした。
その間私にも連絡も無かったのです。

其の上不慣れのNが全く足りない資金を配分するのに
少し失敗もあったらしいです。従業員の中に辞める者が
増えました。仕入先も微妙な支払いの変化に気付いたらしく、
入荷に狂いが見えています。
10日くらい待ってくれと云う言葉が反故になりそうです。

そんな時又保険所から以前指摘した処の進行状況を
見たいと連絡が入りました。多分2-3日は工場が止まります。

気分的にもさすがのNも参りました。
「もう駄目か。」
今まで口から出したことの無い言葉です。

「どうして結末をつけようか。」Nは受話器に手を伸ばしました。





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