Yには自慢の弟が居ります。
自分は6名の鉄工所の社長ですが、弟は上場寸前の会社の社長です。
計器を作っておりますが、その方面では名が通って居るらしいです。
Yは弟を自慢しながら、内心では負けるものかと心の中では
負けん気で一杯です。Yが無理をして、自宅と隣あわせの工場の他に、
川向こうに新規の工場を作ったのも其の表れかも知れません。
しかし不景気はこの二人に、もっと差をつけました。
Yは返済に追われるだけになったのです。
当初、保証人さえ良ければ借りれた頃、2-3回弟に保証を
頼みに行ったことがあります。
「兄さん。お互いに保証人の成りあいっこは止めましょう。
どちらかに万一のことがあれば、Y家は破滅です。
苦しくても自分のことは自分で処理しましょうや。
しかしね。若しお互いに会社が破綻するような事などあれば、
その時は徹底的に助け合いましょう。俺だって兄さんに
そんな事があれば、少なくても、自宅と続いている工場だけは
買い戻してあげますよ。」
理を尽くしての断りと、万一の時の援助を約束して貰って、
気が若干楽になったのを覚えております。
仕事はますます減って来ました。
折角の川向こうの工場も、ついに手放しです。
しかし残債務は借りた半分近いです。
この時は弟に、励まされました。
「兄さん。良く手放す気になったね。その方が正解と思いますよ。」
「まあ、此れで何とか為ると思うが、若し逆に自宅が危険に
為ったという時があれば頼むよ。」
「勿論ですよ。私に出きることは何でもやりますよ。」
しかし、現実の流れは本業も赤字続きです。
返済どころかついに期限の利益を失ったのです。
此れを弟に言った時に、弟が見せた視線は、同情より侮蔑の眼でした。
けれどYは自分に対する悲しみの表情と解釈して居ります。
この頃からYは自宅を守るために全力をかけております。
お金も無いのに銀行と買戻し交渉ばかりです。
弟の名前が充分過ぎるほど利用されています。
銀行も最初は此れを真に受けて価格交渉までをして居ます。
しかし肝心の買い付け証明は全然出てきません。
ついに銀行は任売と並行するという条件で競売を予告してきました。
競売開始決定を受け取ったとき、覚悟はしていたものの、
Yは全く頭の中がが白くなりました。不渡り手形を
出していませんから、工場は今でも動いています。
しかし6人の行員は今では3名になって居り、工場の音も
途絶えがちです。競売になれば其れさえ消えてしまいます。
Yは、以前期限の利益の喪失を弟に告げてから、
1度も会って居りません。会い難く、話し難くなって居たのです。
実は電話でも何となく弟が他所他所しくなったと感じております。
以前は留守でも後で必ず掛かって来ました。其れなのに、
最近は何となく居留守すら感じます。
しかし、もうそんなことを云って居られません。
弟に自宅の買戻しを正式に依頼しなければなりません。
「一寸頼みたいことがあって、是非1度会いたいんだ。」
弟の指示で会社の近くのホテルのロビーで会ったのです。
「最近の不景気は大変だね。」
会うと弟の口から先ずこの言葉が出ました。
「わが社も四苦八苦ですよ。」
先手を取られては言い出し難くなります。
しかし勇気を出して自宅の買戻しを切り出すYに、
弟は簡単に断ったのです。
「兄さん。兄さんの一大事の時に、是非出きることは
何でも手伝わ無ければ、申し訳無いが、我が家には
そんな大金は無いんですよ。以前は会社を利用して、
何とかできると思ったのに、この不景気で、今は会社にも
其の力は全然無いんですよ。それに、もうあの街中で鉄工場は
騒音などで駄目じゃあない。此れを機に、近県の工業団地にでも
越すべきでは無いのかな。」
Yはそれ以上、何も云う気にはなりませんでした。
Yの近くに母親が住んでおります。
昔Yと弟が買ってやった2LDKのマンションに住んで居ります。
母親は心配して、何かの足しにと1000万、差し出しています。
Yは其れを断り、妻と二人、母親のマンションに転がりこみました。
年金まで後2年です。
母親の持っているお金で暮らせます。
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自分は6名の鉄工所の社長ですが、弟は上場寸前の会社の社長です。
計器を作っておりますが、その方面では名が通って居るらしいです。
Yは弟を自慢しながら、内心では負けるものかと心の中では
負けん気で一杯です。Yが無理をして、自宅と隣あわせの工場の他に、
川向こうに新規の工場を作ったのも其の表れかも知れません。
しかし不景気はこの二人に、もっと差をつけました。
Yは返済に追われるだけになったのです。
当初、保証人さえ良ければ借りれた頃、2-3回弟に保証を
頼みに行ったことがあります。
「兄さん。お互いに保証人の成りあいっこは止めましょう。
どちらかに万一のことがあれば、Y家は破滅です。
苦しくても自分のことは自分で処理しましょうや。
しかしね。若しお互いに会社が破綻するような事などあれば、
その時は徹底的に助け合いましょう。俺だって兄さんに
そんな事があれば、少なくても、自宅と続いている工場だけは
買い戻してあげますよ。」
理を尽くしての断りと、万一の時の援助を約束して貰って、
気が若干楽になったのを覚えております。
仕事はますます減って来ました。
折角の川向こうの工場も、ついに手放しです。
しかし残債務は借りた半分近いです。
この時は弟に、励まされました。
「兄さん。良く手放す気になったね。その方が正解と思いますよ。」
「まあ、此れで何とか為ると思うが、若し逆に自宅が危険に
為ったという時があれば頼むよ。」
「勿論ですよ。私に出きることは何でもやりますよ。」
しかし、現実の流れは本業も赤字続きです。
返済どころかついに期限の利益を失ったのです。
此れを弟に言った時に、弟が見せた視線は、同情より侮蔑の眼でした。
けれどYは自分に対する悲しみの表情と解釈して居ります。
この頃からYは自宅を守るために全力をかけております。
お金も無いのに銀行と買戻し交渉ばかりです。
弟の名前が充分過ぎるほど利用されています。
銀行も最初は此れを真に受けて価格交渉までをして居ます。
しかし肝心の買い付け証明は全然出てきません。
ついに銀行は任売と並行するという条件で競売を予告してきました。
競売開始決定を受け取ったとき、覚悟はしていたものの、
Yは全く頭の中がが白くなりました。不渡り手形を
出していませんから、工場は今でも動いています。
しかし6人の行員は今では3名になって居り、工場の音も
途絶えがちです。競売になれば其れさえ消えてしまいます。
Yは、以前期限の利益の喪失を弟に告げてから、
1度も会って居りません。会い難く、話し難くなって居たのです。
実は電話でも何となく弟が他所他所しくなったと感じております。
以前は留守でも後で必ず掛かって来ました。其れなのに、
最近は何となく居留守すら感じます。
しかし、もうそんなことを云って居られません。
弟に自宅の買戻しを正式に依頼しなければなりません。
「一寸頼みたいことがあって、是非1度会いたいんだ。」
弟の指示で会社の近くのホテルのロビーで会ったのです。
「最近の不景気は大変だね。」
会うと弟の口から先ずこの言葉が出ました。
「わが社も四苦八苦ですよ。」
先手を取られては言い出し難くなります。
しかし勇気を出して自宅の買戻しを切り出すYに、
弟は簡単に断ったのです。
「兄さん。兄さんの一大事の時に、是非出きることは
何でも手伝わ無ければ、申し訳無いが、我が家には
そんな大金は無いんですよ。以前は会社を利用して、
何とかできると思ったのに、この不景気で、今は会社にも
其の力は全然無いんですよ。それに、もうあの街中で鉄工場は
騒音などで駄目じゃあない。此れを機に、近県の工業団地にでも
越すべきでは無いのかな。」
Yはそれ以上、何も云う気にはなりませんでした。
Yの近くに母親が住んでおります。
昔Yと弟が買ってやった2LDKのマンションに住んで居ります。
母親は心配して、何かの足しにと1000万、差し出しています。
Yは其れを断り、妻と二人、母親のマンションに転がりこみました。
年金まで後2年です。
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